不穏な動き
第13話
カーテンを開けると外は薄暗かった。目覚ましで起きたはずなのに一瞬今が何時なのか分からなくなり時計を見ると正午だった。厚い雲のせいで暗いのだと理解できたのは、熱いブラック珈琲が喉元から腹の中へ流れ込んでいく感覚で体と頭が機能し始めてからだった。
レタスを洗って千切り、ベーコンと目玉焼きを焼いている間に厚切りの食パンをトースターで焼く。いつもと変わらない朝食だったが少しだけ新鮮だったのは探偵もどきの気持ちになっていたからなのかもしれない。外に出ると冷たい雨が降り始めた。長い一日の始まりにしては上々だ。
14時少し前に西早稲田に着いた俺は駅前のカフェに入って時間を潰した。14時は出庫で慌ただしく、その時間に訪問してもゆっくりと話をすることは出来ない。忙しい時間や休み時間を避けるのは聞き込みの基本だ。珈琲を飲みながら外を眺めた。店内からでも冷たく見える雨が窓ガラスにあたり、不思議なほどに整然と垂れ落ちている。雨の中でもガス工事が行われていて明治通りは渋滞していた。
車の流れを見ているとどうしてもタクシーにばかり目が行ってしまう。空車で走っているタクシーは早く渋滞を抜けて客を拾いたい。反対に客が乗っていれば渋滞の中でメーターは時間経過で上がっていく。苛つく客に合わせてイライラした素振りを見せながら運転するが、上がっていく料金に口許が緩むタクシー運転手の顔が想像できた。30分ほど時間を潰し俺は店を出て新宿営業所へ歩き出した。
「失礼します」
事務所に入ると何人かがこちらに注意を向けた。
梅島が立ち上がり近づいてきて小声で言った。
「お前とは電話で話したことになっている。ここに来たことは伏せてくれ」
俺は小さく頷いて、
「梅島さん、太りましたか?」
と、大声で梅島に言った。
くすくすと笑い声が聞こえ、梅島が睨み付けてくる。
「所長、真山が来ました」
事務所の奥から白髪を後ろに撫で付けた目付きの鋭い男が応接室へ行けと言うかのように手を振った。俺は梅島に連れられて、先日梅島と話した応接室へと歩いていった。
「生意気なオヤジですね」
小声で言うと梅島が腰の辺りを小突いてきた。
「曲者だぞ。気をつけろ」
俺を応接室に案内しながら梅島は言った。所長が座る机を横目で見ると「所長 天野」と書かれたプレートが乗っていた。天野はこちらに鋭い視線を向けたが、すぐにまた机の書類に目を戻した。うちの所長の机にもプレートが乗っていたかどうか思い出せなかった。興味が無いことは記憶には残らない。
20分ほど待たされてようやく天野が入ってくると、無言でソファーに前屈みに座り顎の下で両手を組んで俺を見上げた。隙のないスーツ姿だった。体の線は細く顔はゴルフ焼けしたかのように黒い。人を見下す態度が全身から
「大野のことだが」
耳障りな甲高い声だ。
「会社としては大変迷惑している。色々と問題が多い男だったからいつかこんなことになるんじゃないかと
「そういう話を聞きに来たのではないんですが」
俺は自分でも驚くほどの怒りが込み上げてきて声を荒げた。
「大野と同期の梅島の教え子か。なるほど」
わざと感情を抑えているのが余計に気に入らなかったが、そのわざとらしさが俺を冷静にさせた。
「所長さんはお忙しいでしょうからご用件をお聞きしたい」
天野の顔が醜く歪んだように見えた。
「そうだな。大野の子供に父親の失踪届けを警察に出させてくれ」
「捜索願いじゃないんですね」
「どうせ見つからないだろう。売上金を持ち逃げしてくれれば探す価値もあったんだが」
「大野の娘にそのまま言ってくれませんか?」
「調子に乗るなよ」
凄んだつもりだろうが芝居がかっていて逆効果だった。俺が無言で見返すとまた天野の顔が醜く歪んで見えた。この男の全ては虚構じゃないか?そう思った俺は警戒を強めた。卑屈な小物ほどたちが悪い。
天野は
「そういえば大野の家に何か手がかりはあったのか?」
「私が大野の家に行ったことを何故ご存知で?」
「大野の子どもから聞いたんだよ。お父さんの親友に来てもらったってな」
「そうでしたか。手がかりは何もありませんでしたよ」
親友ではないと否定する気持ちは湧かなかった。それはこの男を気に入らないからなのか、千尋の為なのか、大野に対する俺の心の変化なのか自分でもわからなかった。
話は終わりだとでも言うように天野は背を向けて片手を挙げた。俺は出ていこうとする天野の背中に向かって聞いた。
「所長は元ドライバーですか?」
「私が?まさか」
こちらを振り返った時の虫けらでも見るような天野の目を俺は心に深く刻み込んだ。
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