真山、調査開始

第8話

 午後になると雪はもうすっかり止み電車も通常運転に戻っていた。西早稲田で電車を降りて、歩道に残った雪を踏みしめながら諏訪通りへと歩いていった。新宿営業所は明治通りから早稲田の方に少し入った場所にある。乗務中に何度も前を通っていたので迷うことなく着いた。他の営業所に比べると車の保有台数も少なく、こじんまりとして工場もない。車庫の奥に一台止まっている以外には車は見当たらず閑散としていた。


 凍った雪に注意しながら外階段で二階に上がり中に入ると事務所の中でパソコンに向かっているスーツ姿の梅島の姿を見つけた。梅島以外には納金をしている乗務員が数名居るだけだった。


「梅島さん」


 と、声をかけて軽く会釈をする。


「真山か?久しぶりだな」

「ご無沙汰してます。似合わないですね、その格好は」

「この野郎」


 梅島は恥ずかしそうに笑うと手招きして応接室に通してくれた。


「突然すいません」


 梅島に続いて向いのソファに座り頭を下げた。


「大野のことか?」


 回りくどいことが嫌いな梅島はこちらの意図を組んですぐに切り出してきた。


「はい」

「お前にも連絡を取りたかったんだが、番号変えたか?」


 俺は一昨年、携帯電話を買い換えた時に番号を変えたことを思い出した。


「すいません、変わってます。梅島さんのことは今朝、坂本から聞きました」

「お前らは同じ上野だったか」


 梅島は懐かしむような眼で俺を見た。


「大野のことなんだが」

「梅島さん、実は」


 梅島の話を遮ってさえぎって鞄から大野の書き置きと千尋からの委任状を取り出し昨日の出来事を説明したが必要な部分にだけ留めておいた。梅島は書類を見ながら俺の話を聞き終えると困惑した顔で俺を見た。


「そうか。お前、探偵だったな」

「今は大野と同期の、ただの乗務員です」


 俺は灰皿を見つけてタバコに火をつけ、梅島にも一本差し出した。


「今年は禁煙しようと思っていたんだけどな」


 梅島はタバコを受け取りで火をつけた。梅島の禁煙の誓いは会うたびに聞いている気がする。

 俺は辛抱強く沈黙を通した。梅島の葛藤かっとうが伝わってくる。


「色々と個人情報にうるさい世の中でな」


 俺は梅島の目を見ながら待った。


「教え子との世間話なら文句もないか」

「ありがとうございます」

「娘さんの委任状も用意してあるとはな」

「梅島さんがここに居てくれて助かりました」


 梅島は顔の前で手を振った。

 梅島の話によると、大野の車は芝浦ふ頭近くの首都高速道路の下に放置されていたのを、パトロール中の警官が見つけたということだった。エンジンはかけたままで、釣り銭箱や私物もそのまま車内に入っていたらしい。不審に思った警官は暫くその場で大野の帰りを待ったが30分が過ぎても現れなかったために、会社を割り出して問い合わせてきた。


「警察はまだ動いていないんですか?」

「車が荒らされた様子もないし売上金も残っていた。会社が大事にしたくないってのもあるだろう」

「下に止めてあるのは大野の車ですか?」

「そうだ。昨日、警察の立ち会いの元で俺がここまで移動させた。事情がはっきりするまで触れないようにと警察から言われている。手袋を嵌めて運転したのは現役だったころ以来だ」

「大野の私物はそのままですか?」

「あぁ。今夜、所轄から調べに来ることになっている」


 そこに俺が立ち会うのは難しそうだった。


「俺は立場上、立ち会うことになっている。お前の番号を教えてくれるな?」


 暗に情報をくれると言ってくれた気遣いがありがたかった。俺は梅島と携帯電話の番号を交換した。


「梅島さん、大野は芝浦辺りでも営業していたんですか?」


 俺は大野の車が芝浦ふ頭に放置されていたことが気になっていた。


「いや。あいつはいくら注意しても新宿で仕事をしていた。銀座まで客を乗せて行ってもまっすぐ新宿に戻ってきていた。誰かさんみたいにな」


 最後の一言は余計だったが、俺は軽く流した。


「大野は芝浦ふ頭で何をしていたんでしょう?」

「それは、あれだ。芝浦ふ頭まで客を乗せたのかもしれないし、静かな場所で休憩をしたかったのかもしれない。必ずしもそこで営業していたとは言えないんじゃないか?」


 確かにあらゆる可能性が考えられる。


「大野の車がそのままなら記録は残っていますよね?」


 俺の会社のタクシーには、ドライブレコーダーと車内カメラが搭載されている。ドライブレコーダーは言うまでもなく事故を起こしたり事故に遭った時の映像証拠となる。車内カメラは乗務員の安全のためという建前だが、実際は客からの苦情が入ったときに乗務員がどういった対応をしているか、乗務員の「穴」を探すために見られることが多い。


 例えば、「遠回りをされた」という苦情が入った場合、車内カメラの映像と音声で乗務員がどういうやり取りをしていたのかを確認する。客とルートの確認をきちんとして指示通り走っている場合もあれば、ろくにルートも確認せずに走って、結果遠回りになっている場合もある。この記録を元にして客の苦情に対してどういった対応が取られるかが変わってくる。


 実際に走ったルートは、乗務中の走行記録を全てGPSログとして保管されるシステムで確認することができる。その記録を見れば客を乗せて走ったルート、空車で走ったルート、休憩を取った場所が一目瞭然いちもくりょうぜんでわかる。

 通常、一台のタクシーには二人の担当がついて交互に乗務をこなす。そうすることで車を遊ばせることなく常に稼働させることができるからだ。GPSログや映像記録は一乗務分だけ保管される。つまり、次の乗務員が出庫をした時点で前の記録は上書きされて消えてしまう。


 大野の車は昨日梅島が引き揚げてきて下にあるから、ログも記録も書き換えられていないはずだ。但し、これらの記録は乗務員と客のプライバシーに関わるものであるため、事故や苦情と言った事情がない限り本人でさえも見ることはできない。ましてドライバーが自分以外の記録を目にすることはまずできない。

 大野が自主的に消えたにしろ、何かの犯罪に巻き込まれたにしろ映像と音声から得られる証拠は大きい。


「まだ事件性はないが、今後どうなるかわからない。いずれ警察からも指示があるかもしれないな。今夜、大野の私物を調べるときに抜き出して保管しておこう」

「よろしくお願いします」

「わかっていると思うがお前が直接見ることはできないと思うぞ」

「わかっています。今日は梅島さん一人なんですか?」

「昨日の雪で事故車が多くてな。うちは工場がないから職員総出で他の工場へ車を回してるところだ」

「電話番ってところですか」

「じじいは留守番してろってことだろう」


 昔と変わらない豪快な笑い声が応接室に響いた。

 課長になった梅島は会社寄りのはずだった。今日、梅島が一人じゃなかったらここまで話して貰えたかわからない。いや、この男なら他に聞かれようが話してくれたかもしれないが、所長の耳に入ったら梅島の立場が悪くなったかもしれない。梅島に礼を言って新宿営業所を出た。寝不足で頭が朦朧もうろうとしてきたが、まだやることが残っていた。明治通りに出ると新宿方面へ向かうタクシーを止めた。

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