友と呼ばれた冬

シライワイガラ

同期の失踪

第1話

「650円になります。ありがとうございました」

「お世話様」

 ドアを開けると強風で雪が舞い込んでくる。

「寒っ!」

 客が震えながら駆け足で駅に駆け込んでいく。これで4人連続の三桁だ。


 東京に初雪が降ったその日、俺の売上は散々だった。朝からテレビやラジオで、今夜は雪が積もり首都圏の交通網が乱れると騒げば、よほどの酒好きでもない限り電車が動いている間に家に帰るだろう。

 不夜城と呼ばれるアジア随一の繁華街――新宿歌舞伎町もさすがに人が少ない。閑散とした繁華街を流しても、店の前では女達が寒そうに震えながらスマホを触り、呼び込みの男たちも暇そうに話し込んでいる姿が目につくだけだった。


 区役所通りから花道通りを這うように車を流しても手が挙がる様子はまったくない。こんな日は少ない客を取り合うかのようにタクシードライバーは殺気立ち運転も乱暴になりがちだ。花園神社の裏の一方通行でタクシー同士が接触したらしく、交番の前で初老の運転手とまだ30代に見える若い運転手が激しく罵りあうのを横目で見ながら先の信号で止まるようにゆっくりと流す。


 小さな店がひしめくゴールデン街から馴染みの客が小走りに走ってきて手を挙げた。店も本人も昭和からタイムスリップしてきたかのような小さなバーのママが、肩の雪を血色の悪い手で払いながら乗り込んできた。俺のお袋くらいの年齢かと思うが恐ろしくて本人に尋ねたことはない。


「今日は早いですね」

「こんな暇な日はさっさと締めて家で一杯やって寝るわ。タクシーも暇でしょ?」

「さっぱりです。歌舞伎町も今日ばかりはダメですね」

「天気予報が大げさなこと言うからみんな帰っちゃうのよ」

「逆に外れるよりは苦情がないんでしょうね。こっちにしたらいい迷惑ですよ」


 JR東中野駅近くの古びたマンションにママを送った後、山手線の線路沿いの静かな場所に移動し座席を倒して顔にタオルをかけ目を閉じた。このまま雪が降り続くと少しは都心にも積もるだろう。明日の朝は路面が凍っている可能性が高い。事故の危険は増すが朝の通勤客のタクシー利用が増えることは考えられる。


「夜中は勝負を捨てて明日の朝挽回するしかないな」


 そんなことを考えながらヒーターの暖かさも手伝って俺は眠りに落ちた。


 携帯電話が耳元で振動して目が覚めた。ダッシュボードの時計を見ると22時を過ぎたところだった。1時間は寝ていたらしい。ぼやける目で携帯電話の画面を見ると番号がそのまま表示されていた。

 電話帳に登録がない番号だったが以前自分の携帯電話番号を教えた客から仕事の電話かもしれない。もしそうならこんな暇な日はありがたい話だ。暫く画面を眺めていたが相手は諦める様子がない。半分期待を込めながら電話に出た。


「もしもし?」

「真山さんですか?」


 若い女の声が電話の向こうから聞こえてきた。消え入るような小さい声だ。声の主に心当たりはなかった。


「失礼ですが?」

「……。」

「もしもし?」

 

 俺の問いかけに返事はなく、息遣いだけが聞こえてくる。


 「もしもし?」


 返事はない。俺は苛立たしげに電話を切った。

 電話の後ろから物音は聞こえなかった。野外や店ではない、どこか静かな室内からかけているようだった。イタズラ電話なら非通知でかけてくるはずだが、いずれにしても仕事の電話ではなさそうだ。何をやっても空振りする日はある。

 

 目の前を山手線内回りの電車が通り過ぎ細かい雪を舞い上げた。客はほとんど乗っていない。やはり今日の夜中の稼ぎは期待できそうにない。

 目が冴えてしまった俺は車を降りて街路樹の下でタバコに火をつけた。寒さで一気に目が覚める。吐き出した煙を眺めていると左目の端で車内の携帯電話の画面が明るく光っていた。覗きこんで見ると先程の番号が表示されている。もう一口タバコを肺深く吸い込んで携帯灰皿に吸殻を入れ、車内へ戻り電話を取り上げた。


 電話は震え続けている。このまま相手の正体がわからないのは気に入らなかった。俺は電話を受けた。

 こちらからはしゃべらない。沈黙。また相手の息づかいだけが聞こえてくる。


「真山さんですか?」


 同じ若い女の声だった。


「そうだと言ったはずだが」


 再び沈黙が始まった。


「悪いが切らせてもらう」

「待ってください!」

「あんた誰だ?なぜ俺の名前と番号を知っている?」

「……すいません。わたし、大野の娘です」


 俺の知り合いに大野姓は二人しか居なかった。一人は田舎の同級生、もう一人は俺と同じ会社に勤める男だ。


「大野?大野って……。」

「大野彰雄です。真山さんとは同期だって」


 後者の大野だった。胸騒ぎがした。


「大野がどうかしたのか?」

「父が……仕事中に居なくなったって父の会社から電話があって……それで……。」

「ちょっと待ってくれ。あれは大野のことだったのか」


 俺の退屈ながら平穏な日々が壊れだした瞬間だった。

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