第79話順応というのは恐ろしいな

シオンはねじり上げた男の腕をぽいっと投げ捨てた。

男はその反動で尻餅をつく。


「な、何をする!」


「気づいていた?あんたの声、店の中まで丸聞こえだったよ。この子に喧嘩吹っかけていた理由やそっちの事情も全部」


シオンは男を見下ろしながら軽く笑った。


男はその言葉でハッとし、周囲を見回す。私も周囲を見回すと街を行き交っていた人々が数人足を止めてこちらを見ていた。辺りには私に対して同情的な視線や呟き、そして男には訝しむ視線が向けられている。


「この様子だと兵を呼ばれているかもね」


「うっ」


男は兵と言う言葉にぎょっとし、素早く立ち上がった。


「くっ、覚えてろ!」


男は私たちを睨み付けた後、逃げるようにその場を立ち去っていった。


あんなチンピラが喧嘩で負けたときに言う捨て台詞吐く人間始めてみたわ。男が去ったと同時に野次馬も散っていき、そこには私とシオンが残された。


「ふぅ、あんなダメな大人久しぶりに見たよ。あんなの気にしないほうが―」


ガン!


「………何するの」


私は場が収まったにもかかわらず、シオンの頭にブラシを直撃させた。シオンはブラシを頭の上に置かれたまま、私のほうを振り向かずに低い声で唸る。


「振り上げた拳の行き場ってどうすればいいんだろうね。引っ込みが付かないし後戻りもできない。それならいっそのこと振り下げたほうがいいと思わない?そっちのほうがストレスも発散できるし後腐れもない」


私はシオンに庇われている間、ずっと箒を振り上げたままの格好だった。


「悪いけど言ってる意味がわからない。それに俺にはそれは拳じゃなくて箒に見えるんだけど」


「私も自分で言ってて意味わかんないわ」


語源がおかしくなるほど思いのほか混乱しているらしい。言いがかりを付けられ殴られそうになり、間一髪で攻略キャラクターに助けられたこの状況に。


「ま、いいや」


私はシオンの頭の上に乗っけた箒をどかし、ブラシを地面に下ろした。

それにしても自分が主人公である以上厄日が続くことはわかってはいたがこうも毎日やっかい事が続くと鬱になりそうだ。私は深い深いため息を吐く。


「ねぇ」


私はシオンの足元を凝視しながら話しかけた。


「何?」


「邪魔」


私はシオンの足元を見ながらしっしっと虫を払うような手つきで払った。


「オマエの足元に集めてたんだよ、葉っぱ」


さきほどの騒ぎが起こるまでゴミを集めていた。

これでも目に見える大きな葉はほとんどかき集めていたつもりだ。多少散ってしまったが、1ヶ所に集めたゴミの塊がまだ残っている。それがちょうどシオンの足元だった。


シオンは何も言わずゆっくりと横にずれた。


「あ~、また最初からやり直しか」


うんざりしながら地面を見る。

めんどくさいな。もう、いっそのことやめるか。


「ちょっといい?」


「なんだ、まだいたのか」


私は地面を一瞥しながら答える。


「俺に何か言うことはないの?」


「何かって?」


「言わなきゃわかんない?」


「わかんない」


シオンはぐいっと私の右手を掴み、引き寄せた。ふいに引き寄せられたため身体を預ける形になる。


「こっち見てよ」


不満げな紅茶色の瞳がそこにあった。


知るか。


「って!」


私は持っていた箒の柄をシオンの右足に直撃させた。


「オマエも懲りないな」


不意打ちが嫌いだって知っているはずなのにこの男は同じことを繰り返す。いい加減相手するものめんどくさくなってくる。


「別に見返りがほしかったわけじゃないけど、まさか箒で殴られるとは思わなかったな」


「オマエさっき言ったじゃんか」


「さっき?」


「『気にしなくていい』って。だから気にしないことにする」


「俺は『気にしないほうがいい』とは言ったけど『気にしなくていい』とは言った覚えはないけど」


めんどくさいな。

ていうか、意味がほとんど同じだと思うけど。


「あ、そうだった?どっちにしても見返り求めてないんだったら別に何も言わなくていいよな」


「怜」


やりとりを見ていたうさぎが耳打ちしてくる。

なんだまた説教か。

『そんな言い方ないんじゃないの』か?それとも『お礼くらい言ったほうがいいんじゃないの』か?


「敬語抜けてるよ」


「は?」


「気づいてなかった?シオンのこと初対面の客にするんじゃなかったの?」


「………………」


「いたっ」


私はうさぎの額に軽く箒の柄をごちっと当てた。


うさぎの言うとおり。助けられた瞬間、この男に取り繕っていた体裁が一気に剥がれた。初対面のふりを演じるのもバカらしくなってきたので完全に素の部分を見せている状態だ。

正直、こっちのほうがしっくりくる。肩の荷が下りた感じだ。


「そんなに気になるんならこれがお礼ということで」


私は一回、掃いていた手を止め呆気に囚われているシオンを見た。


「初対面をやめるということがお礼ということで」


「言ってる意味がわからないんだけど」


「わかんなくていい」


これは私の心の折り合いの問題。私だけが理解すればいい。



「いつまでそこにいるんだ」


シオンはさきほどから思案にふけるような仕草で目を細め、その場から動かなかった。何か文句があるのなら勿体付けずに早く言って欲しい。


「さきほどから思ってたんだけど客に向けてその口の利き方は何?」


やっと口を開いた言葉は私に向けての非難だった。確かに今の私の口調は客に対してのものじゃない。このクレームは客としては当然の反応だろう。

だが、この男は私にとってただの客ではない。バロンの従業員で私に変に絡み、私の絶対に他人に知られたくない悪癖を知っている男だ。そのため金輪際関わりを絶とう思っていた攻略キャラクターでもある。

だからこそ、シオンが来店してきたときただの客として接しようとした。無理矢理にでも、初対面の男にしてしまおうとした。


しかしそれができなかった。いや、もうできない。

私は完全に認めてしまっていた。この男が攻略キャラクターのシオンであるということを。

クズ男の分際で私を助けるなんてことをするからいけないんだ。あともう少しで初対面という設定を貫くことができたのに。


なんか負けた感じがしてむかつくな。

私は内心舌打ちをした。


シオンはずっと私を見据えたまま何も言わない。さすがに助けてもらった(私は助けてくれなんて頼んでない)のに、ゴミが絡んだブラシを頭の上に置き、知らん顔したことに対して腹に据えかねているのだろう。もし、向こうから嫌ってくれるならそれは願ってもない。以前のように私にではなくリーゼロッテに絡んでほしい。


「………ふ」


シオンは気の抜けたような笑みをこぼし、肩を軽く揺らした。


「普通だったらそう言って怒鳴っても良いんだよね。それなのにおかしい」


シオンは怒るどころかなぜか可笑しそうに口角を上げている。私は訳がわからず突然噴出したシオンに訝しげな視線を向けた。一体、どこに笑える要素があるんだ。気でもふれたか。


「なんか畏まった態度よりもそっちのほうが君らしいや。店で眺めていたとき違和感ありすぎていたから。客に対しての横暴な態度のほうがしっくりくるなんて自分でも変に思うよ」


いやいや、おかしいだろ。なんでそこで嫌わない?なんでそこで可笑しそうに笑う。

この態度に怒りを感じずむしろしっくりくるなんて少しマゾッ気があるんじゃないのか。


きもちわる。クズ男でチン○頭でマゾなんてきもちわる。


「客に対して普段はこんな口調で話さないって。オマエだけだ。しかも外だし」


今いる場所は曇り空の下の店外。幾人かが店の前を通り過ぎているのに対し、私たちは店の真ん前で突っ立っている。寒さのせいなのか口調に苛立ちが交じってしまい態度も悪くなる。


「俺だけ特別?」


「そうそう、オマエだけ特別に嫌い」


いちいち特別に含みを持たせるな。声を固くしながら答えた。


「それってもしかして強がり?」


「あ?」


「殴られそうになったら普通ならもう少し大人しくなるものじゃないの?だから強がってんのかなって」


オマエの普通を私に当てはめるな。もしかしてここにいる理由は私がさきほどの一件で怯えていると思って気を遣っているのか。だとしたらすごいありがた迷惑だ。要らない世話だ。


「順応というのは恐ろしいな」


ぼそりと呟いた。

その呟きはシオンに語ったわけでもましてやうさぎに語ったわけでもない。無意識に口から零れたのだ私は持っていた箒の柄に顎を乗せ体重をかけながら虚空を見つめる。


一度、手を止めてからどうにも進まない。もう、掃除する気になれなかった。


現実だったらありえない。見ず知らずの人間に殴られそうになってもすぐに冷静に振舞うなんて普通だったらできないだろう。しばらくは家の中に引き篭もってもおかしくない経験だ。

しかし、私は自分でも不思議なほど頭の中が冷えていた。これは決して寒さのせいではない。確かに突然のことで驚きもしたし混乱もした。そこに恐怖もあったのも事実だ。だからといって、精神的ショックなどといった大騒ぎするような感覚はなかった。2、3日経てば今日のことなどなかったかのようにケロリとできるような感じだ。

この世界に来て1週間近く経った。普段だったら絶対に会うことがない人間にここ1週間ですいぶん出会ってきた気がする。そのなかで驚きや発見もずいぶんしてきた。

もう、あんなモブ男一人が言いがかりをつけてきたくらいじゃ感覚が敏感にならないのだろうか。それくらいこの世界に順応してきているということなのだろうか。


もしくは現実の思考がゲームの思考に近づいてきているのか。主人公のご都合主義の思考に近くなってきているのか。

(うわ、それすっごく嫌だ)


私は頭を軽く振った。

引きずられるな怜、現実の思考を思い出せ。


「それにしても女子に殴りかかるなんて非常識だね。その前の物言いも非常識だったけど」


シオンは男が逃げていった方向を眺めながら呟いた。


「そうだな。非常識だな。オマエと似てるわ」


「え?」


シオンの聞き返す声が固くなった。横目で見るとかなり不快な表情をしている。


「似てる?」


「うん。似てる」


「どこが?俺はあんな非常識なことはしないけど。少なくても女は殴ったことない」


「いやいや似てるわ。だってオマエ、女馬鹿にしてるだろ。最初から決め付けて見下している。思い当たらない?」


私はシオンと女性の最低な別れ方をしている現場を目にしていた。その女性に対しての物言いや態度、そしてその別れ方自体も私の目から見ても下品で不快なものだった。

まさか、忘れたんじゃないだろうな。その後、シオンは女と別れたばかりだというのに平然と私と大衆食堂で相席したのだ。その軽い態度に呆れたことも覚えている。そのときの言動は非常識という範囲に十分入るだろう。


「似てる………俺があの男と」


「うん」


「君にはそう見えるの?」


「うん。ていうかオマエ、まさか自分がクズじゃないって思ってる?」


私の問いにシオンは何も言わなかった。一応、自分の言動に対しての思い当たる節はあるらしい。自覚しているという点だけはあの男よりはマシだろう。


「俺ってあんな風に」


シオンは顔を伏せふっと息を吐き、私に視線を合わせてきた。


「自覚はしていたつもりだけど。君には俺はあんな感じに見えるの?」


「しつこいな」


私は眉を潜ませながら答えた。


「………」


シオンは私の答えに今日一番、ショックを受けたという表情を見せる。


「まぁ、私には関係ないけどさ」


私はふいっと視線ははずす。

そもそも私の主観は関係ないだろ。私の視界に入らなかったらこの男がどこで女と×××しようが×××しようが×××しようが関係ない。



「あの」


「「!!」」


シオンとの間に微妙な空気が漂い始めたとき、割って入るように声をかけられた。


「いつからいたの?」


その声に顔を向けるとリーゼロッテがそこにいた。青いドアの前でおずおずと遠慮がちに近づいてくる。


「シオンさんが出て行ったすぐ後に私も続いてドアから出たんだけど」


「なんで声かけないの?ずっとそこにいたの?」


「出て行くタイミングがつかめなくて」


ずっと私たちを見ていたのか、まったく気づかなかった。一応、主人公なんだからもっと存在感を出さないとだめだろ。


「そんなことよりレイ、大丈夫だった?アルも心配してたよ」


「見ての通り」


「とりあえず、中に入って。掃除はもういいから」


リーゼロッテは店に入るよう促した後、神妙な面持ちでシオンに向き直った。


「あの、レイを助けてくれてありがとうございました」


ぺこりと頭を下げた。


「いや、たいしたことはしてないから頭上げて」


シオンは軽く手を振った。


「あ、髪に葉っぱがついてますよ」


リーゼロッテはシオンの右耳の後ろ側についている葉を発見した。たぶん、ブラシを乗っけたときについたのだろう。リーゼロッテはすっとシオンに付いている葉に手を伸ばした。


「いいよ。自分で取るから」


シオンはそう言ってリーゼロッテが伸ばした方向の箇所に付いている葉を取った。その時、なぜか私のほうをちらりを見てきた。

取ってもらえばよかったのに。親愛度がちょっぴり上がるチャンスだったかもしれないのにもったいない。


「俺、もう行くよ。いつまでここに留まるわけにもいかないからね」


そう言ってシオンはポケットから銅貨を取り出しリーゼロッテに渡した。


「あ、そうですか」


「あの男が戻ってこないようにこの店に俺のノア使っておいたから。あの男にもね。強めに念じておいたからしばらくは大丈夫だと思う」


「ノア?」


「君は知っていると思うけど?俺のノア」


「あ」


そういえばそうだった。シオンは磁力のノアを持っているんだ。触れたものを磁石のように引き合わせたり弾いたりする力。ノアをあの男やこの店に使ったというなら、あの男はこの店には近寄れないはずだ。


「じゃあね。ケーキおいしかったよ」


シオンは私に何かを言いかけたみたいだったが、結局は何も言わずその場を去った。


「怜、お礼くらい言っても………痛っ!」


小言を言ってくるうさぎを振り向かずに小突いた。下手に礼なんて言って好感上がったらどうするんだ。


「レイ」

リーゼロッテはドアを半分開けて中に入るよう促す。


「まったく、今日は最悪な日………っ!!」


突然、背中からぞくりと悪寒が走った。突き刺さるような視線が体中を巡る。びくりと肩を揺らし、ばっと周囲を見回した。


ただ人が流れているだけで目立って不可解なものはなにもない。

なんだ今の悪寒は。


「レイ、どうしたの?」


私の様子を不審に思い、リーゼロッテが声をかけた


「いや」


気のせいだと思い込み、そのまま店の中に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る