第25話 星を探して その1
カチ、コチ、カチ、コチ。
振り子が時を刻む音が、耳の奥まで響いてくる。気まずい沈黙に、百合子は目だけで三人の顔を伺うが、誰も口を開かない。
先ほどから静かな隣のメトゥサを見れば、砂糖を大量に入れたコーヒーを美味そうに、ちびちびと飲んでいる。
百合子は時間を持て余し、突きつけられている質問の答え合わせも出来ず、やり場のない怒りにも似た感情が湧き上がってきた。
「一体なんなのよ……愛だとか恋だとか……意味が分からないわ」
うっかり吐き出した心の声に、百合子は目を見開いた。
ヴァニスタは黙って、ただ微笑んだ。
「これ、どうぞ」
カウンターの中から、百合子の前に白いパスケットが置かれた。
「なんです?」
ピクニックに行け、と言わんばかりの籐のバスケットに、額にしわを寄せた。
「開けてみてください」
百合子は険しい顔で、バスケットに視線を落とした。
そして、もう一度ヴァニスタを見る。
ヴァニスタが向けてくる極上の笑顔は、早く開けろと言っている。
恐る恐る上蓋を開けてみると、色鮮やで繊細な装飾が施されたケーキが入っていた。
「これは?」
「良かったら、道中で食べてください。まだまだ旅は、続きそうですもんね」
コホン、と小さく咳払いする、ヴァニスタの照れ隠しのような仕草も、百合子には意味が分からない。
「いやあ、お恥ずかしい。僕、マジパンでケーキを可愛く装飾するのが得意なんですよー」
「いえ、そこではなく」
百合子の戸惑う声も虚しく感じるほど、カウンターの向こうから、善意の塊のような笑顔が向けられている。
「ちなみに、スポンジはスペースのお手製です。甘さは控えめ。ふわふわの食感が特徴です。美味しいですよ。これが、いわゆるコラボレーション、ってやつですね」
「私が聞きたいのは、そういうことでは……」
ツッコミ不在の中、百合子がヴァニスタに聞き返そうとするも、パッシオが頬杖をつき宙を見つめながら、誰に言うでなく甘えるように話し始めた。
「もう行っちゃうんだぁ。昔の男の話をもっと聞きたかったな。叶わない恋って辛いけど、他人のあたしには、最高のプディングなのよねえ。ああ、キュンとしたいわぁ」
楽しげなパッシオに、百合子は一瞬だけ顔を歪めた。
注目すべき点は、百合子がいつの間にか、追い出されようとしていること。確かに、ヴァニスタは「道中」と言った。
百合子は夕飯の支度を心配するより、次の移送先を疑問視すべきだろう。
「一体、いつになったら、私は帰れるのですか?」
メトゥサが百合子の低い声に反応して、意地悪そうにケラケラと笑った。
「いつって、何言ってんの。まだ選んでないじゃーん」
皆に期待された答えは出せずとも、最終的には家に返してくれるだろう。百合子は曖昧で根拠のない結末を、一人勝手に想像していた。
メトゥサの高笑いは感に触ったが、背後には別の脅威が迫っていた。
「どうよー。盛り上がってるう?」
百合子が振り返ってみれば、扉の前に、にんまりと笑い顔のスペースが、ひょいっと片手を上げて立っていた。
黒い細身のスーツ姿も、派手な水玉のネクタイも、身軽を信条とするスペースに似合っているのが憎らしい。
「そろそろかなあ、と思って来てみたんだけど。心は決まったかな?」
「……いいえ」
その声は、弱く、か細かった。
なんで私が、と募る不満の中に、愛がなんたるやが理解できない己にも落胆している。
スペースは口を大きく開けて、ワザとらしく驚いて見せた。それから、背中を丸めて不安そうに座っている百合子の虚ろな顔に、ジーンと似た細く長い指先を向けてきた。
「あれ? おっかしいなあ。俺、言ったよね?」
「……何をですか?」
「そういうこと言っちゃうんだ。お兄さんは、がっかりだなぁ」
「今すぐ選ぶのは無理です。今すぐ帰って、ジーンと話をさせてください」
強めに放たれた語気に、スペースは口元をほころばせた。
「ほう」
他の三人は沈黙をきめこみ、百合子とスペースの成り行きを静かに待っている。彼ら四人に位置付けられたヒエラルキーというものが、どうやらあるらしい。
スペースは百合子にゆっくりと近づきながら、胸の辺りに右手をそっと添えて言った。
「さっきのはちょっとグッときた」
カウンターの中に立つヴァニスタが、笑顔を保ったまま二度頷いた。
スペースも呼応するように続ける。
「このお嬢さん、少しは言いたいことを、表に出せるようになったわけだ」
どこぞの子息のように、すました顔で、メトゥサはスペースに背を向けたまま、言葉を繋げた。
「でも」
スペースは広角を上げ、眠そうな半目でにんまりと笑った。
「そう。でも、帰れないのよねえ。少しばかり成長を見せたからといって、俺からのオーダーとは全然関係ないから」
「他に……どこに行けと?」
百合子は伏し目になり、涙声になりかけていた。
「大丈夫、大丈夫。すぐそこだから。そうね、今頃はちょうど我が弟も、君を探すために。この辺りを彷徨ってるんじゃないかなあ」
百合子はカウンターに両手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。勢い余って、座っていた椅子が床に倒れるのも御構い無しに。
ジーンと離れ離れになった一瞬が、ずいぶん昔のことのように思えてくる。懐かしさからなのか、原因は分からない。この思いがけない胸の高まりに、百合子は内心たじろいでいた。
「あれあれ? 会いたくなっちゃった? それなら、探しに行くしかないよねえ」
意味ありげな笑いを浮かべ、スペースは右腕をすうっと持ち上げ、カウンターの上を指差した。
視線の先には、ヴァニスタから受け取ったバスケットがある。
百合子は不満を隠すことなく、スペースを横目で睨んだ。
「これを持って出かけろ、ということでしょうか?」
「そうそう。いつ会えるか分かんないからね。腹が減ったら食べてもいいし、道を教えてくれそうな、親切な精霊にでもくれてやればいいさ」
カウンターの中で微笑むヴァニスタから「おしぼりは中にあります」と要らない情報と一緒に、百合子は文句を飲み込み、ケーキの入ったバスケットを手に取った。
「ボンボヤージュ。良い旅を」
あの時と同じように、焦る間もなく、スペースは百合子の目の前で、指をパチン、と高らかに鳴らした。
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