波の花
海へ突き出た岬の先端に、男がひとり佇んでいる。
コートの襟が強風で翼の様にはためいている。
男は鈍色の海原を暗い目で見つめている。
灰色の雲が低く重く垂れ込めている。
高波が荒々しく岩礁を洗っている。
海岸線で波は白く泡立っている。
泡は波打際に吹き溜っている。
突風にさらわれ舞いあがる。
岬の先端まで吹きあがる。
粉雪の様に舞いおどる。
「波の花というんです」
声に男は振り返る。
「お久しぶりです」
「元気そうだな」
男は言った。
「元気です」
「そうか」
「電話を貰って驚きました。よくわかりましたね」
「ずいぶん捜したよ。寂しいところだな、ここは」
「何もありませんが、いいところですよ。僕には」
「おれは全てを失ったよ。妻も財産も友の信頼も」
「僕が失敗したせいですか」
「まあそれも少しはあるな」
「すみません、僕だけ逃げ出して。卑怯ですよね」
男は若者の顔を見据えた。
「おれが何の為におまえを捜し出したかわかるか」
「ええ。覚悟は出来てます」
「覚悟って?」男は笑った。「違うよ。全然違う」
「え?」
「もう一度二人で仕事をしないか、おれはそう言いに来たんだ。なあ、今度こそ成功させようじゃないか」
「それは……」
「駄目かい?」
「いまさら何故です」
「わからないのか?」
男は泣きそうな声で言った。
「おれはおまえと一緒にいたいんだよ、これからもずっと! おまえのいない人生なんて考えられないよ」
重い沈黙が辺りを支配した。
波の花が激しく舞い踊った。
ようやく若者が口を開いた。
「ごめんなさい。あなたの気持ちに応えることは出来ません。僕はこの土地で新しい人生を始めたんです」
「じゃあ、俺もここで暮らすよ。それならいいだろ」
「僕には結婚の約束をした人が。そこに来ています」
後ろを向き、道路脇に停まっている車を指さした。
運転席にいた若い娘が笑って、若者に手を振った。
「僕は車がないので、ここまで送って貰ったんです」
「そうか、おまえは幸せを見つけたのか。わかった」
「本当に何というか申し訳ありません」頭を下げた。
「いいよ。もう行け。彼女が待ってる」顔を背けた。
「それではお元気で。幸せを祈ってます。さよなら」
黙って海を見つめる男に背を向けて、若者は車のほうに歩き出した。
運転席の女の子は微笑みを浮べて、近づいてくる若者を待っている。
彼女の笑顔が突然強ばり、若者の背後に視線を向けて悲鳴を上げた。
若者は岬の突端を振り返った。そこにいるはずの男の姿はなかった。
暗い海を背景に、大量の白い波の花が岬を越え、天に昇っていった。
立ち上る波の花はやがて、白から鮮やかな紅色へと変わっていった。
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