愛奴再会行

第1話

 遠方からアトラシア国へ向かう旅人、行商人、使者などが利用する宿場町バデオラ(町、とは呼ばれているものの、小さな民宿が五件、酒場が二軒、土産屋が一軒あるだけだった)。ユリカが馬車に揺られてこの町へ到着したのは、太陽が山の向こうへ沈み切った頃である。


「はい、確かにお代は貰ったよ。二階の一番奥の部屋を使いな」


 年老いた女主人から鍵を受け取った際、ユリカは「少しよろしいでしょうか」と問うた。


「男性と獣人の女性……二人組がバデオラに来てはいませんか」


 女主人は染みの目立つ腕を組み、「さて……」と唸り出した。


「職業柄、お客さんの顔は結構憶える方なんだけどねぇ……見ていないねぇ」


 そんな組み合わせの、珍しいんだけどねぇ――この言葉に、ユリカは微かに眉をひそめつつも……。


「お気になさらず、ありがとうございました」


 最大限に「毒の無い」微笑みを見せ、深々と一礼した。ユリカが立ち去ろうとした時、女主人は「ちょいと」と彼女を手招いた。


「どうかなさいましたか?」


「いやね、何だかさ……言って良いのか分からないんだけどね? お客さんとを受けているんだよ、それも二回も」


 ユリカは周囲を見渡し、声を潜めて言った。


「詳しく、お聞かせ願えますか」




 曰く――ユリカと同じ質問を彼女に問うたのは、別々の時間帯に現れた二人の男らしかった。二人共が鋭い目付きをしており、何処と無く「陰日向」に暮らしているような雰囲気だったと、女主人は強調した。


「何だか気味が悪くてさぁ。いや、あんたは別だよ、私の娘よりも何倍も礼儀正しくて、その上器量も――」


 話は大半がユリカにとって無益なものだったが、それでも興味深そうに頷いて見せる聞き手に気を良くした女主人は、別料金の肉料理を後程部屋まで運ぶと約束した。


「ごめんねぇ、随分話し込んじゃって……だけど、その夫婦は何なんだろうね。あんたみたいな別嬪さんから、気味悪い男達にまで捜されて……」


「いえいえ、大層な理由などありません……とても楽しいお話を聞けて嬉しかったです。お肉、楽しみにしていますね」


 ユリカは階段を上り、奥まった部屋の鍵を開けた。簡素なベッドとテーブル、椅子で構成された部屋だが、枕元に置かれた「ごゆっくりどうぞ」と書かれたメッセージカードが妙に嬉しかった。元の世界の旅館を思い出させた為である。


 外套を脱ぎ、膨ら脛を軽く揉むユリカは、二人の男の正体について考えたが……。頭脳を疲弊させる事無く、限り無く正解に近しいはずの推測へ辿り着けた。




 執行者を増員したのね。機構あれが――。




 畳んだ外套の下に隠れている「武装」を見やるユリカ。続いて包帯の白が目立つ手首へと視線を移す。


 仕方の無い闘争――血生臭いそれが、再び大きな足音を響かせ、着実に迫って来るようだった。


 あと何回、私は引き金に指を掛けるのだろう。


 以前なら考えもしなかった疑問が、ふと……ユリカの胸に去来する。同時に両手から、温もりを持った赤黒い液体の臭気が立ち上る気がした。


 鼻を近付け、嗅いでみる。臭いはしない。次に手を顔面から離してみる。途端に嫌な臭いがするようだった。


 この手で孝行を愛撫したいと思うのは、果たして冒涜に値するのか?


 バデオラへ向かう馬車の中で、ユリカはこの疑問と幾度と無く向き合っていた。正解を求めるのはまだ早い……疑問に押し潰されそうになる度、彼女は溜息と共に思案を中止した。


 コツコツと扉を叩く音がした。覗き穴から廊下を見ると、盆に料理を満載した女主人が立っていた。


「どうぞ」


 床を軋ませながら入室した女主人は、いそいそとテーブルに料理を並べ、「聞いておくれ」とユリカを見やった。


「また来たんだよ」


「来た、とは?」


 もどかしそうに女主人が続けた。


「三人目の怪しい男だよ! 示し合わせたかのように、『男と獣人の女が来たか』って!」


「……その方は、こちらに宿泊を?」


「いやいや、知らないって答えたらさ、礼も言わずに出て行ったよ。本当、最近の男は――ちょっと、何処に行くんだい?」


 ユリカは料理に手を付ける事無く、即座に外套を羽織った。努めて女主人に見られないよう、素早く二丁の拳銃を胸元にしまい込んだ。


「確かめたい事がありまして……申し訳ありません、料理はそのままにして頂けますか」


「確かめるって……あんた、あの男を追うってのかい! 止めときなって! 何考えているか分からないんだよ、悪い事は言わない、絶対に――」


 ちょっと待ちなって! そう叫んだ女主人に振り返りもせず、ユリカは階段を急いて下りると、そのまま夜のバデオラへと駆け込んで行った。


 規模の小さな宿場町を歩く人間は少ない、時折誰かを見掛けても千鳥足で陽気に笑う酔客ばかりだったが……。


 一人だけ、「警戒するような足取り」で夜道を行く男がいた。暗がりに溶け込む暗色の外套は、酷く不吉な印象を振り撒いている。


 ユリカが彼の後方一〇メートルまで接近すると、不意に立ち止まって「何だ」と声を上げた。ユリカは返事をせずに歩み寄ると、男は更に問うた。


「後ろのお前だ。名乗らず、それ以上近付くならば――」


、と申します」


 かつて、親友の振りをして喜ばせた少女――その名をユリカは利用した。身分の隠蔽というよりは、「同じ世界の出身である」と先んじて証明し、安心感を持たせる効果を期待したのである。


 そして……ユリカの作戦は功を奏した。


「……?」


 男は振り返り、ユリカの顔を見やった。


「お前も、俺と同じか」


 ユリカはゆっくりと頷き、煌々と輝く酒場を指差した。


「積もる話もあるでしょうから――」

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