10. 闇


 大介と梶原は、中宮の周りと、その背後にそそり立つ岩山の周りを調べていた。とりわけ、低木や草で覆われた部分に洞窟の入口がないか、慎重にさがし回ったのだが、それらしい小さな穴すら見つけられなかった。


「無いですね」

「ああ、やっぱり中宮が入口なのかなぁ?」

 梶原はあごを撫でながら、じっと中宮の方を見つめる。


「カジさん、もう戻りましょうよ。里美さんから情報をつかんだ杏子さんが、ひとりで勝手に動く前に、戻った方がいいですよ!」


 大介は、杏子の事が気になってならない。

 そんな大介を、梶原は目を細めてじっとにらみつけた。


「おまえ、椎名のことを何だと思ってるんだ? おまえが守ってやらなきゃならないほど、あいつは弱い女じゃないぞ。あいつは〈さがし屋〉だ。自分の力ひとつで今まで生きて来たんだ。おまえと違って、ちゃんと自分の足で立ってる。おまえは椎名を守りたいだけで、結局は何もしてないじゃないか。ただあいつに甘えてるだけだろ? いい加減、自分の足で立ったらどうなんだ?」


「カジさん……」

 大介は呆然と梶原を見返した。頭から氷水をかけられたような気がした。

「そんなこと……」

 言い返そうにも、返せる言葉が見つからなくて、大介はぐっと強く唇を噛んだ。


「おい大介、あれを見ろ」


 梶原が、いきなり中宮の方を指さした。見ると、カゴのような物を持った老人が、中宮に向かって歩いて来る。


「誰だ? あのじいさんは見た事ないよな?」

「はい。もしかしたら、宮司の祖父かも知れません」


 大介と梶原に気づかないのか、老人は中宮の社の前で立ち止まると、カギを開けて小さな社の中へ入ってゆく。


 カラカラカラ。


 社の中から、滑車を転がすような音が聞こえる。

 ハッとしたように梶原が走り出した。大介も後に続き、ふたりが中宮の前に着いた時、ちょうど社の中から老人が出て来た。


「こんにちは。あの、何をされてたんですか?」


 梶原がにこやかに話しかけると、老人はジロリと梶原を見上げ、次いで大介にも胡散臭げな視線を向けた。


「あんたたちは誰だね。どうしてここにいる?」


 老人は厳しい声で問いかける。


「おれたちは、宮司さんの許可を得て、神社の取材をさせていただいてます」

「宮司? 浩章が許可しただと? あいつめ、何を考えてる」


 老人は文句を言いながら、社の扉にカギをかけた。

 大介は、老人の手にしているカゴに目を向けた。何を持って来たのかわからないが、カゴの中は空になっている。


「あの、お供え物をしていたんですか?」

 大介がそう聞くと、老人は不機嫌そうな顔のままうなずいた。


「いいか、浩章が許可しようが、ここは聖域なんだ。神職以外の者は立入禁止だ。おまえたちも一緒に来るんだ」


 老人はそう言うと、大介と梶原を追い立てるように歩き出す。


「ほら、そっちじゃない、向うへ行くんだ!」

 老人に追い立てられるまま、ふたりは仕方なく木々の間を歩き出した。


☆     ☆


 一方、宮司の家を訪ねた杏子は、庭の見える部屋で里美と話をしていた。

 里美は本当に普通の女の子で、宮司に対する信頼は厚いようだった。


「なにか困っている事はない?」

「いいえ、ありません。買い物に行く時も、宮司さんが一緒に行って下さるし、本当に申し訳ないくらい、良くして頂いてます」


 確かに、玄関先で見た宮司と里美の姿は、仲睦まじい恋人同士のようにも見えた。宮司は里美に気を使ってか、わざわざこの部屋まで、コーヒーを運んで来てくれたりもする。


「ふうん。それじゃ、このまま記憶が戻らなくても、里美さんは幸せだと思っていいのかな?」


 杏子はちょっと意地悪な質問をしてみた。


「いえ、やっぱり記憶は取り戻したいです。ここにずっとお世話になっているのも、いけないような気がして……」


「そっか、そうだよね。里美さんが倒れていたときは、何か持ってなかったの? バッグとかさ、ふつう持ってるでしょ?」


「ええ、それが、なかったそうなんです。何か一つでも、手がかりになるような物を持っていたら良かったんですけどね。着ていた服も、汚れていたので捨ててしまったし、残っているのは、この腕時計くらいです」


 里美はそう言って、左腕に通したシルバーの腕時計を見せた。


「ちょっと、見せてもらってもいいかな?」

「えっ、ええ。でも、名前はなかったですよ」


 里美は腕時計を杏子に差し出しながら、ふわっとあくびをした。


「いやだ、あたしったら、急に眠くなってきちゃった」

「この部屋は……あたたかいからね」


 うわの空で杏子は答える。

 気持ちを集中しなければ、とても平静を保っていられないほどの闇が、里美の腕時計から伝わって来ていた。

 里美が見た闇は、佐々木の見た闇と同じものだ。そして、暗闇の中で意識を失った里美を連れ出したのは、宮司の浩章だった。


 気持ちを落ち着けてから、杏子が腕時計を返そうとすると、里美は畳の上で寝息をたてていた。


「里美さん?」


 里美にささやきかけながら、杏子は違和感と恐怖を感じた。

 どんなに疲れていたとしても、客と話している時に眠ってしまうなんてありえない。


(あのコーヒーね。里美さんの分だけ睡眠薬を入れたってわけか……)


 やはり、杏子に用があったのは、里美ではなく宮司の方だったのだ。

 人の気配にハッと廊下を見ると、宮司が立っていた。


「眠ってしまったみたいですね。どうしたんだろう、疲れていたのかな?」


 宮司はゆっくりと部屋に入ってくると、里美のそばにかがみこんで、そっと頬に手を触れた。宮司の顔に、優しげな笑みが浮かぶ。


「里美さんのことが、好きなのね?」

「ええ。愛しています」


 宮司は真っすぐ杏子の目を見つめる。


「外へ出ませんか? あなたに見てもらいたい場所があります」

「わかりました」


 杏子はゆっくり立ち上がると、自分を勇気づけるように拳をギュッと握りしめた。



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