3. この人、死んでるかも
翌朝、中央高速を突っ走るバイクがあった。
二人乗りのバイクは、車の間をぬうように走りぬけてゆく。
「スピード落としてぇー!」
「えー、なんか言いましたぁ? 聞こえませんよー。しっかりつかまってて下さいね!」
「だからぁー、スピード落としてぇー!」
杏子の絶叫は、バイクの音にかき消されていた。
この日の朝、杏子が目を覚ますと、諏訪行きのしたくはすべて整っていた。
杏子が朝食を食べるそばから大介が片付けてゆき、杏子がしたくを終えて外に出ると、大介がバイクに荷物を括りつけていた。
「なんでバイクなの?」
「なんでって、まさか電車で行くつもりだったんですか? JRいくらすると思ってるんですか? 二人で諏訪まで往復したら、一泊が限度ですよ。それに、向こうに着いてからだって、足がないと不便ですよ。その点ぼくのバイクなら二人乗りOKだし、安上がりですよ」
「大介くんはバイトがあるでしょ? あたしひとりで行くわよ」
杏子が荷物を取り戻そうと伸ばした手を、大介はつかんだ。
「バイトは休みを入れました。杏子さんひとりで諏訪に行って、バスやタクシーで動くより、ぼくのバイクで行った方が早く理恵さんをさがせますよ。もし理恵さんが、危険な目にあってたらどうするんですか?」
「それはそうだけど。でも、バイクで高速は怖いわ。諏訪まで遠いじゃない」
杏子は大介の手を振り払う。
「大丈夫ですよ。ぼくの運転技術を信用してくださいってば」
「でも大介くんって、むかし暴走族だったんじゃなかったっけ?」
「違います、ツーリング部です! 大丈夫ですって、安全運転しますから!」
大介はにっこりと笑い、杏子にヘルメットを渡した。
そして約二時間後、諏訪ICで高速を下りた大介のバイクは、そのまま上諏訪市街に向かった。
「大介くん、どこかで休もうよ。ここまで休憩なしで来たんだよ、もうすぐお昼だしさぁ」
大介のジャンパーを握りしめたまま、杏子が情けない声を上げた。
「わかりましたよ。それじゃ、あのファミレスでお昼にしましょう」
二人を乗せたバイクは、吸い込まれるようにファミレスの駐車場に入って行った。
「疲れたぁー」
杏子はファミレスに入るなり、テーブルの上につっぷした。
「体力ないですね杏子さん。普段からもっと食べて運動しないと、肉体年齢が早く老けますよ」
「うるさいわね、ほっといてよ」
杏子はつっぷしたまま文句を言った。
二時間に及ぶツーリングの疲れも、食事を終える頃にはずいぶん回復してきた杏子は、食後の一服をしながらスマホを取り出した。
「杏子さん、誰に電話してるんですか?」
コーヒーを飲みながら大介が聞くと、杏子はニッコリと笑った。
「カジさんよ。せっかくだから情報交換しようかと思って」
「ええっ、カジさん?」
「とりあえず電話してみて、カジさんが諏訪にいるかどうか確かめてみましょ」
杏子は嬉々としながら電話をかける。
「電話しなくても、杏子さんなら、カジさんの居場所くらいわかるだろうに……」
大介は小声で文句を言った。
数回のコールの後、いきなり梶原の声が聞こえた。
「椎名か? 協力してくれる気になったんだな、そうだろ?」
いきなりの大声に、杏子は思わずスマホを耳から離した。
「ここまで聞こえますよ」
大介が苦笑する。
「今ね、あたしたち上諏訪のファミレスにいるんだけど、もしかしたらカジさんもこの近くにいるんじゃないかと思って電話したの。もし近くにいたら来てくれない? 場所はええと……」
「えっ、上諏訪? こっちまで来てくれたのか? すぐに行くから待っててくれ!」
慌てぶりが想像できるくらい、ドタバタ音をたててから電話が切れた。
「たぶんカジさんの方は、行方不明者の捜索が進んでないんですよ。きっと飛んで来ますよ」
大介の言うとおり、どこから来たのか十分ほどで梶原が姿を現した。
「椎名、本当に来てくれたんだな!」
梶原は満面に笑みをうかべて、今まで大介が座っていた杏子の向かい側の席に着くと、コーヒーを一杯注文した。
「実はね、うちにも人さがしの依頼が来たの。家出した女子高生の居場所をさがしたら、このあたりの神社に行ったことがわかったのよ。それで、カジさんの言ってた伝説ネットをもう一度見てここへ来たの」
杏子が説明すると、梶原の顔から笑みが消えた。
「それじゃ、その女子高生も行方不明者の一人ってことか?」
「たぶんね。でも、書き込みされてた人とは別よ。彼女はあまり……心配してくれるような、親しい友達はいなかったみたいなの」
「なるほど。ってことは、今わかってるだけで、少なくとも四人の行方不明者がいるわけか」
梶原は、運ばれてきたコーヒーをひと口飲むと、タバコに火をつけた。
「カジさんのさがしてる人は見つかったんですか? 神社には行ってみたんですか?」
大介が聞くと、梶原は首を振る。
「いいや。まだ神社の場所すらわからないんだ。観光案内所に行ってもわからなかった。梛神社の場所を聞きに来たやつが二人いたというだけで、おれはまだ、そいつらの足取りを追っているところだ」
「そうなの。カジさんが身元をつかんだ人ってどんな人?」
「山梨に住む二十歳の大学生だ。名前は
「ヘビ……」
サーっと杏子の顔から血の気が引いた。
「杏子さん?」
「おい、椎名、大丈夫か?」
「だめ……」
杏子は首を振る。
「ふたりとも、ヘビは平気?」
「えっ、蛇?」
大介と梶原はポカンとした。
「なんだ、椎名は蛇が苦手なのか? 大丈夫だ。山道にも蛇にも慣れてるから安心しろ」
「あっ! 不気味でドロドロしてて、そばに寄りたくないって言ってたの、蛇のことですか?」
大介の言葉に、杏子は眉間にしわを寄せた。
「なんだぁ。ぼくはもっと、事件の裏にドロドロした不気味なものがあるのかと思ってましたよ。自然の多いところなら、蛇くらいいますよ。杏子さん都会っ子だから」
「そんなんじゃないのよ……」
「その、不気味でドロドロってのは何だ?」
梶原は首を傾げた。
「実は杏子さん、この件に乗り気じゃなくて、昨日もずっと考え込んでたんですよ。らしくないですよね。依頼人のためなら、犯人の前にも飛び出していく人が、蛇が嫌いだからってねー」
「確かにな」
大介と梶原が面白がって『らしくない杏子』の話で盛り上がりはじめると、杏子はあきらめてタバコをくわえた。
暗闇の中に感じる、目に見えない何か。それはとても、言葉で説明できるようなものではない。微かな気配に、全身が粟立つような恐怖感。そんなものを、そもそも普通の神経すら持ち合わせていないような奴らに、理解しろという方が無理なのだ。
杏子は、ため息まじりの煙を吐いた。
「それはともかく、せっかく椎名が来てくれたんだ。佐々木の行方を見てくれるんだろ? 約束どおり金は払うし、宿泊費も面倒みる」
梶原が身を乗りだした。
「カジさん、ぼくの分は?」
大介が、親指をくいっと自分に向ける。
「ああ、こうなったらまとめて面倒みるさ。とにかく、おれ一人じゃお手上げなんだ」
梶原はそう言って、黒いリュックの中をガサゴソと探った。
「これが佐々木涼介の写真と上着だ。佐々木は一人暮らしで家には入れなかったから、これは大学に置きっぱなしになってたものを借りてきたんだ」
梶原が差し出した佐々木の写真と黒い上着を受け取ったとたん、杏子の頭の中に、目眩がするほど大量の映像が渦巻きはじめた。
神社、木、闇、影。そのどれもが、三枝理恵のものとは比べようもない。
(……怖い)
杏子は自分でも気がつかないうちに、手にしていた写真と上着を、テーブルの上に落としていた。
「杏子さん、大丈夫ですか?」
隣に座る大介には、杏子の体がかすかに震えているのがわかった。
大介は杏子の肩をそっとつかんだ。
「杏子さん?」
ハッとしたように杏子が顔を上げる。
視線が、大介と梶原の上を交互にいきかう。
「あ……どうしよう、この人……死んでるかも……」
杏子は泣きそうな顔でそう言った。
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