第3話 追跡

 1. ヤクザの探し物


 事件は、いつも突然やってくる。


「杏子さん起きてますか? 大丈夫ですか? あのっ、客が来てるんですけど!」

 大介は、あわてて杏子の部屋をノックした。


 新年を迎えてから、しばらく仕事がなかった〈さがし屋〉に、本当に久しぶりの依頼人がやって来た日、杏子は頭痛で寝込んでいた。

 

 大介がひとりで電話番をしていると、その依頼人は、突然たくさんの部下を引き連れてやって来た。


「天王寺と申します。椎名杏子さんはいらっしゃいますか?」


 そう言って名刺を差し出した天王寺誠てんのうじまことという男は、三十代前半くらいの物腰おだやかな紳士だった。

 上質のオーバーコートの下には、やはり上質のスーツを着ていて、一見、企業のエリートに見えなくもなかったが、彼の部下と、彼自身の持つ静かな凄みのようなものが、確かにその筋の人間だと物語っていた。


(ヤクザだー!)


 大介は冷や汗を流しながらも、勇気をふりしぼって杏子の体調不良を告げた。


「────そういう訳で、大変申し訳ありませんが、後日あらためてということでお願いしたいんですが」


 大介がそう言うと、天王寺はうっすらと微笑みを浮かべて彼を見返した。


「お話はごもっともですが、こちらも急いでおりますので、椎名さんに取り次ぐだけでも、取り次いではいただけませんか?」


 口調は丁寧だが、天王寺の意志は固そうだ。そう思った大介は、仕方なく杏子に知らせることにしたのだ。


「杏子さん、入りますよ」


 恐る恐るドアを開けると、杏子はベッドの上で体を起こしていた。


「いま何時?」

「ええと、一時半です。具合はどうですか?」

「さっきよりいいけど、お客さん、そんなに急ぎなの?」


「そーなんですよ。急ぎの上に、なんかヤクザみたいなんですよ。部下も五、六人来てて、なんかこう威圧感が……」


 大介はベッドのそばまで歩み寄ると、小声で報告した。


「ヤクザ? なんでヤクザがうちに来るのよ?」

「知りませんよ。何かさがして欲しいんじゃないですか?」

「まぁ、そりゃそうなんだろうけどさ……」


 杏子は天井を仰いで黙り込んだ。


「どうしますか? やっぱり帰ってもらいましょうか?」


 帰ってくれるかどうかわからないけど、という言葉は飲み込んで、大介は杏子にたずねた。


「そうねぇ、そのヤクザさん、どんな感じの人なの?」


「どんな感じって、まぁ、ヤクザにしては上品ですね。服装も高級そうだし、名刺も一応は会社の取締役って肩書でしたね」


「でも、大介くんにはヤクザに見えたんでしょ?」

「そうです。なんかこう見た目とは違う、凄み、みたいなのを感じるんです」


 両手の拳を握りしめて、大介は力説する。


「それで断り切れなかったのね。わかったわ。一応会ってみるから、十五分ほど待ってもらって」


 意外なほどあっさり答えると、杏子は大介を部屋から追い出した。



「お待たせしました」


 十五分後、ジーンズにラフなニット姿の杏子が、事務所に入って来た。


「ご無理を言って申し訳ありません」


 ソファーから立ち上がり、天王寺は丁寧に頭を下げる。見ると、入口近くに立ったままの部下たちも、同じように頭を下げている。


「天王寺と申します」

「椎名です。どうぞ、おかけください」


 杏子はそう言うと、自分も天王寺の向かいに腰かけた。


「お急ぎという事ですので、お話はお聞きしますが、この通り体調を崩していますので、すぐに動くことは難しいのですが、それでもよろしいですか?」


 怖気づく様子もなく、杏子は淡々と天王寺に応対している。そんな杏子の様子に驚きながら、大介はコーヒーを二つテーブルの上に置いた。


「そこを何とかお願いしたいのです。もちろん、無理は承知しています」


 天王寺は、真剣な眼差しで杏子を見つめている。その顔には、さっき大介に見せたような、見下した微笑みは浮かんでいない。


「そんなにお急ぎなら、他にもうちみたいな便利屋や探偵事務所がありますから、そちらに行かれた方がよろしいのではありませんか?」


「いいえ、とんでもありません。わたしは、あなたに依頼しに来たのです。あなたの噂を聞き、あなたなら必ずさがし出してくれると確信して、こうして来たのです。他の人間に頼むつもりはありません!」


 天王寺は、すこし怒ったような真面目な顔をしてそう言った。


「それなら……」


 すこしくらい待ってくださいと言いかけて、杏子は口をつぐんだ。この天王寺という男が、自分に頭を下げてまで探したいモノとは、一体何なのだろうかと、正直興味がわいた。


「何を、おさがしなんですか?」


 杏子が問いかけると、天王寺はホッとしたように少しだけ表情を和ませた。


「実は、ネコをさがして頂きたいのです」

「ネコ……ですか?」


 予想に反した答えに、杏子はすこしポカンとしてしまった。


「そうです、ネコです」


 天王寺は大まじめに答える。そして、スーツの内ポケットから写真を一枚取り出すと、杏子の前に置く。


「あっ」


 杏子は写真を見て、思わず声を上げた。写真に写っていたのは、あまり見たことのないような毛足の長い白い子ネコだったが、瞳の色が左右で違っていた。


「オッドアイ?」


 横からのぞき込んだ大介も、声を上げた。


「そうです。ブルーとゴールドの瞳です。外国の友人からもらった、ターキッシュという種類のネコなのですが、わたしによく懐いていました。外に出した事もないのに、昨日から姿が見えないのです。どう考えても、誰かが連れ去ったとしか思えません」


 天王寺は真剣そのものだった。

 彼の様子からは、珍しいネコだからという事ではなく、彼自身がこのネコを愛し、心配しているのがわかった。


「どうか、このネコの居場所をさがしてくれませんか? ネコを連れ去った者が、どんな扱いをしているのかと思うと、心配でならないのです。もちろん、お礼は十分させて頂きます」


 天王寺は、部下から受け取った分厚い封筒をテーブルの上に置き、ネコの写真に並ぶように杏子の前まで滑らせると、頭を下げた。


「お願いします」


 杏子は思わずまわりを見回し、部下たちすべてが頭を下げているのを確かめると、大介に視線を送った。

 大介は杏子の視線に答えるように、目を丸くしたまま肩をすくめる。


「わかりました。上手くいくかわかりませんが、とりあえずやってみます。天王寺さん、このネコちゃんの身に着けていたものとか、何かお持ちじゃありませんか?」


「はい。首につけていた鈴を持ってきました」


 天王寺が合図をすると、部下の一人が小さなジェラルミンケースをテーブルの上に置いた。


「余計な〈気〉が入らぬよう、注意したつもりですが」


 そう言いながら、天王寺はケースの中から鈴を取り出した。そんな天王寺の姿に、杏子と大介は思わず顔を見合わせる。


 どんな風にかはわからないが、いつの間にか、この〈さがし屋〉と杏子の噂は、裏社会にまで知れ渡りはじめているらしい。

 天王寺のような男にまで、物の〈気〉の心配までさせるのだから、噂のレベルもハンパではない。


 さがし物だけに特化したこの便利屋が、杏子の特殊能力だけを頼りにしていることに、世間が何の疑いも抱かないようになっている証拠かも知れない。

 きっと杏子も、そう感じているだろう。

 大介は何だか嬉しくなった。


 杏子は、天王寺から受け取った鈴を手に目を閉じている。彼女の目には、遠く離れた子ネコの姿が見えているのだろうか。


 大介がここの居候になってから、杏子が体調の悪い時にその能力を使うことはなかった。だから、例え上手くいったとしても、きっとかなりパワーを消耗するに違いない。

 大介は心配で仕方がなかったが、杏子はいきなりパッと目を開けると口を開いた。


「ここから南の方にある住宅街に、二階建ての白いアパートがあるわ。その二階の左端の部屋にいる……と思います」


 つけ足すように口にした『思います』は、自信の無さのせいだろうか。


「その場所まで、一緒に行って頂けますか?」


 天王寺は、真剣な眼差しで杏子を見つめる。たかがネコ一匹の事とはとても思えない、思いつめたような表情を浮かべている。


「わかりました」


 杏子は観念したようにそう答えた。


「杏子さん、大丈夫なんですか?」


 天王寺が部下たちを伴って玄関に向かっている隙に、大介は杏子に小声で話しかけた。


「大丈夫よ。行って帰って、暗くなる前には戻って来られるんじゃないかしら?」


 杏子は肩をすくめると、上着を取りに部屋へ戻って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る