第3話 追跡
1. ヤクザの探し物
事件は、いつも突然やってくる。
「杏子さん起きてますか? 大丈夫ですか? あのっ、客が来てるんですけど!」
大介は、あわてて杏子の部屋をノックした。
新年を迎えてから、しばらく仕事がなかった〈さがし屋〉に、本当に久しぶりの依頼人がやって来た日、杏子は頭痛で寝込んでいた。
大介がひとりで電話番をしていると、その依頼人は、突然たくさんの部下を引き連れてやって来た。
「天王寺と申します。椎名杏子さんはいらっしゃいますか?」
そう言って名刺を差し出した
上質のオーバーコートの下には、やはり上質のスーツを着ていて、一見、企業のエリートに見えなくもなかったが、彼の部下と、彼自身の持つ静かな凄みのようなものが、確かにその筋の人間だと物語っていた。
(ヤクザだー!)
大介は冷や汗を流しながらも、勇気をふりしぼって杏子の体調不良を告げた。
「────そういう訳で、大変申し訳ありませんが、後日あらためてということでお願いしたいんですが」
大介がそう言うと、天王寺はうっすらと微笑みを浮かべて彼を見返した。
「お話はごもっともですが、こちらも急いでおりますので、椎名さんに取り次ぐだけでも、取り次いではいただけませんか?」
口調は丁寧だが、天王寺の意志は固そうだ。そう思った大介は、仕方なく杏子に知らせることにしたのだ。
「杏子さん、入りますよ」
恐る恐るドアを開けると、杏子はベッドの上で体を起こしていた。
「いま何時?」
「ええと、一時半です。具合はどうですか?」
「さっきよりいいけど、お客さん、そんなに急ぎなの?」
「そーなんですよ。急ぎの上に、なんかヤクザみたいなんですよ。部下も五、六人来てて、なんかこう威圧感が……」
大介はベッドのそばまで歩み寄ると、小声で報告した。
「ヤクザ? なんでヤクザがうちに来るのよ?」
「知りませんよ。何かさがして欲しいんじゃないですか?」
「まぁ、そりゃそうなんだろうけどさ……」
杏子は天井を仰いで黙り込んだ。
「どうしますか? やっぱり帰ってもらいましょうか?」
帰ってくれるかどうかわからないけど、という言葉は飲み込んで、大介は杏子にたずねた。
「そうねぇ、そのヤクザさん、どんな感じの人なの?」
「どんな感じって、まぁ、ヤクザにしては上品ですね。服装も高級そうだし、名刺も一応は会社の取締役って肩書でしたね」
「でも、大介くんにはヤクザに見えたんでしょ?」
「そうです。なんかこう見た目とは違う、凄み、みたいなのを感じるんです」
両手の拳を握りしめて、大介は力説する。
「それで断り切れなかったのね。わかったわ。一応会ってみるから、十五分ほど待ってもらって」
意外なほどあっさり答えると、杏子は大介を部屋から追い出した。
「お待たせしました」
十五分後、ジーンズにラフなニット姿の杏子が、事務所に入って来た。
「ご無理を言って申し訳ありません」
ソファーから立ち上がり、天王寺は丁寧に頭を下げる。見ると、入口近くに立ったままの部下たちも、同じように頭を下げている。
「天王寺と申します」
「椎名です。どうぞ、おかけください」
杏子はそう言うと、自分も天王寺の向かいに腰かけた。
「お急ぎという事ですので、お話はお聞きしますが、この通り体調を崩していますので、すぐに動くことは難しいのですが、それでもよろしいですか?」
怖気づく様子もなく、杏子は淡々と天王寺に応対している。そんな杏子の様子に驚きながら、大介はコーヒーを二つテーブルの上に置いた。
「そこを何とかお願いしたいのです。もちろん、無理は承知しています」
天王寺は、真剣な眼差しで杏子を見つめている。その顔には、さっき大介に見せたような、見下した微笑みは浮かんでいない。
「そんなにお急ぎなら、他にもうちみたいな便利屋や探偵事務所がありますから、そちらに行かれた方がよろしいのではありませんか?」
「いいえ、とんでもありません。わたしは、あなたに依頼しに来たのです。あなたの噂を聞き、あなたなら必ずさがし出してくれると確信して、こうして来たのです。他の人間に頼むつもりはありません!」
天王寺は、すこし怒ったような真面目な顔をしてそう言った。
「それなら……」
すこしくらい待ってくださいと言いかけて、杏子は口をつぐんだ。この天王寺という男が、自分に頭を下げてまで探したいモノとは、一体何なのだろうかと、正直興味がわいた。
「何を、おさがしなんですか?」
杏子が問いかけると、天王寺はホッとしたように少しだけ表情を和ませた。
「実は、ネコをさがして頂きたいのです」
「ネコ……ですか?」
予想に反した答えに、杏子はすこしポカンとしてしまった。
「そうです、ネコです」
天王寺は大まじめに答える。そして、スーツの内ポケットから写真を一枚取り出すと、杏子の前に置く。
「あっ」
杏子は写真を見て、思わず声を上げた。写真に写っていたのは、あまり見たことのないような毛足の長い白い子ネコだったが、瞳の色が左右で違っていた。
「オッドアイ?」
横からのぞき込んだ大介も、声を上げた。
「そうです。ブルーとゴールドの瞳です。外国の友人からもらった、ターキッシュという種類のネコなのですが、わたしによく懐いていました。外に出した事もないのに、昨日から姿が見えないのです。どう考えても、誰かが連れ去ったとしか思えません」
天王寺は真剣そのものだった。
彼の様子からは、珍しいネコだからという事ではなく、彼自身がこのネコを愛し、心配しているのがわかった。
「どうか、このネコの居場所をさがしてくれませんか? ネコを連れ去った者が、どんな扱いをしているのかと思うと、心配でならないのです。もちろん、お礼は十分させて頂きます」
天王寺は、部下から受け取った分厚い封筒をテーブルの上に置き、ネコの写真に並ぶように杏子の前まで滑らせると、頭を下げた。
「お願いします」
杏子は思わずまわりを見回し、部下たちすべてが頭を下げているのを確かめると、大介に視線を送った。
大介は杏子の視線に答えるように、目を丸くしたまま肩をすくめる。
「わかりました。上手くいくかわかりませんが、とりあえずやってみます。天王寺さん、このネコちゃんの身に着けていたものとか、何かお持ちじゃありませんか?」
「はい。首につけていた鈴を持ってきました」
天王寺が合図をすると、部下の一人が小さなジェラルミンケースをテーブルの上に置いた。
「余計な〈気〉が入らぬよう、注意したつもりですが」
そう言いながら、天王寺はケースの中から鈴を取り出した。そんな天王寺の姿に、杏子と大介は思わず顔を見合わせる。
どんな風にかはわからないが、いつの間にか、この〈さがし屋〉と杏子の噂は、裏社会にまで知れ渡りはじめているらしい。
天王寺のような男にまで、物の〈気〉の心配までさせるのだから、噂のレベルもハンパではない。
さがし物だけに特化したこの便利屋が、杏子の特殊能力だけを頼りにしていることに、世間が何の疑いも抱かないようになっている証拠かも知れない。
きっと杏子も、そう感じているだろう。
大介は何だか嬉しくなった。
杏子は、天王寺から受け取った鈴を手に目を閉じている。彼女の目には、遠く離れた子ネコの姿が見えているのだろうか。
大介がここの居候になってから、杏子が体調の悪い時にその能力を使うことはなかった。だから、例え上手くいったとしても、きっとかなりパワーを消耗するに違いない。
大介は心配で仕方がなかったが、杏子はいきなりパッと目を開けると口を開いた。
「ここから南の方にある住宅街に、二階建ての白いアパートがあるわ。その二階の左端の部屋にいる……と思います」
つけ足すように口にした『思います』は、自信の無さのせいだろうか。
「その場所まで、一緒に行って頂けますか?」
天王寺は、真剣な眼差しで杏子を見つめる。たかがネコ一匹の事とはとても思えない、思いつめたような表情を浮かべている。
「わかりました」
杏子は観念したようにそう答えた。
「杏子さん、大丈夫なんですか?」
天王寺が部下たちを伴って玄関に向かっている隙に、大介は杏子に小声で話しかけた。
「大丈夫よ。行って帰って、暗くなる前には戻って来られるんじゃないかしら?」
杏子は肩をすくめると、上着を取りに部屋へ戻って行った。
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