第62話 ミザリの報告

 数日後、アターシアのもとをミザリが尋ねてきた。暗殺事件のその後の状況に加え、以前アターシアより調査を依頼されたある事柄についての報告をするためだ。多忙であるはずの支部長自らが報告に出向いているのは、後者の依頼というのが、他には任せられない重要かつ重大な案件だからだ。


「そう、やはり戦争になるのね」

「王都は戦争ムード一色だそうよ。お父さまも本店の人たちも大忙しでろくに取り合ってくれなかったらしいから」

「それで、戦争そのものについての情報は?」


 実家の商会が上手く立ち回れていることはわかったとアターシアは続きを促す。


「イニピア王国の要求は賠償金とダタル地方の割譲だそうよ」

「その辺りは想定通りね。だとすれば戦場は――」

「「ニーザ平原」」


 姉妹揃って同じ答えに辿り着く。それほど通じ合っているというのか。確かにスレンには仲の良い姉妹に見えていたが、それは「類は友を呼ぶ」というような関係よりも、お互いの足りないところを補う相互扶助とか「持ちつ持たれつ」とか、そういった関係なのだろうと思っていた。自分とは違うからこそ、お互いを必要としあっている。自分と同じなら彼女である必要はないのだ。だからこそ、ふたりが同じ答えに行き着いたことを不思議に思った。

 スレンの疑問は正しかった。彼女たちは通じ合っているからこそ同じ答えに行き着いたのではなく、シフォニ・イニピア両王国間で戦端が開かれた際、よく戦場として用いられたのがニーザ平原だったのだ。市民の間で語り継がれている騎士物語にも登場するので、読み書きすらできない者でも知っているくらい有名なことだ。ただ、その背景はきちんと歴史教育を受けた者しか分かっていない。


 シフォニ王国の北東をダタル地方という。東は正統アグニア、北はクリャンス王国、そして南東ではイニピア王国と国境を接している。イニピア王国は古くからこの地に領土的野心を向けてきた。それはもう伝統と言わしめるほどにだ。目的は蛮海への道を手に入れること。蛮海に出ればシフォニ王国のさらに西、オズマニカとの交易路が開ける。それがイニピア王国の狙いだった。だがシフォニ王国にとってもダタル地方は失っていい土地ではなかった。もちろん失っていい領土などありはしないが、それでもダタル地方だけは特別だったのだ。アーグ教の聖地、正統アグニアへと続く道。ダタル地方を失うということは、聖地への道を失うということに他ならないのだ。


「イニピアの動きは?」

「まだ具体的な動きは見られていないわ。けれど毎度のことだから、そうもたつくことはないでしょう」


 ミザリの見立てにアターシアは頷く。そして一際声のトーンを落とし、いよいよといった面持ちで尋ねた。


「それで、頼んでおいた件はどうだったの? 何か動きはあった?」

「本当にここで大丈夫なの?」


 部屋をきょろきょろと見渡すミザリ。盗聴を気にしているようだ。


「大丈夫よ。扉の外はアキュナに見てもらってるし」

「それ、逆に怪しまれそうだけど」

「話の内容を聞かれるよりマシでしょ。それより――」

「わかってるわよ。急かさないで」


 緊張した様子で深呼吸するミザリ。彼女にも、危ない橋を渡っているという自覚はあるようだ。


「お姉ちゃんから教えられた事前情報は、ほとんどその通りだったわ。結社という秘密組織……いえ、新興宗教団体と言うべきかしら。教祖という感じではないけど、一応信仰の対象になっているのが聖女ヨルヤ・ファーロラーゼ。貴族、平民問わず、重傷人なら誰でも癒やしているそうよ。そしてジフ・ベルディアージという騎士は騎士団の頭領ね。多くの街で目撃されていることから、宗教団体としての本拠地はないんじゃないかしら。ただ、騎士団はエルベストルの近くに砦を構えているそうよ」

「それで?」

「……それで、暗殺に結社が関わっているかはわからなかったわ。王城からは、犯人は捕らえた後、すぐに処刑したと発表されたけど、暗殺犯の処刑なんて街の広場で大々的にやるでしょうし、死体が運び出された様子もない。市街では混乱は収まったけど、みんな嘘だって言ってるわ。犯人に逃げられたんだって」

「それじゃあ、犯人が結社かどうか調べようがないわね。それでセレベセスの方はどうだった?」


 話を進めようとするアターシアだったが、ミザリはギクリと言葉を詰まらせてしまった。そして、本当に言葉にして平気なのかと不安げに姉を見上げた。


「大袈裟ね。そんな重大なことはわかってないんでしょ?」


 そう簡単に尻尾を掴ませるほど、生易しい相手ではない。それでも、いや、だからこそ一歩踏み込んだ調査が必要だったのだとミザリは不満げな顔をした。


「……結社と、その、公爵との関係まではさすがにわからなかったけど、公爵は戦争には反対する姿勢を見せているそうよ。本当に野心を持っているの?」


 好戦的な雰囲気漂う宮廷内で異を唱える貴族は少なく、たとえ公爵といえども、多数派からは白い目で見られ、あまつさえ陰口を叩かれているそうだ。


「何言ってるのよ。公爵は戦争に意欲的じゃないんでしょ? だったらますます怪しいじゃない」


 公爵の目的が王位の簒奪だとすれば、まず彼がすべきことは王家の弱体化。それは戦争によって成就されるか。否。戦争が起こるだけでは不十分だろう。王家を弱体させるには、自身の消耗を抑えなければならない。戦争によって自分自身も疲弊していては、王家が力を失っても、相対位置は変わらない。つまり公爵は、戦争に消極的な姿勢をみせることで、それを少ない出兵数の言い分にしようとしているのだ。


「とんだ狸ね」


 アターシアは感心するような口調で呟いた。


「お姉ちゃん、大丈夫なの?」


 ミザリも姉の研究が、一歩間違えば異端呼ばわりされる代物だということを知っている。そして時には綱渡りのような彼女の無茶振りにも対応してきた。肝が冷える思いも、気をもんだことも少なくない。それでも今回は度が過ぎている。


「あら、心配してくれるの?」

「当たり前でしょ!」


 涼しい顔で尋ねてくる姉に、妹は叱るように声を上げた。

 ミザリにとってアターシアは絶対的な存在だった。常に不敵。常に冷静。常に計算高く、常に計算通り。自分の持っているものは姉も持っているが、姉の持っているものは自分にはない。平民でありながらアカデミーへ進学し、さらにはお抱え研究者として一室を与えられるまでに至っている。劣等感を抱くのもおこがましいとさえ思えるほどに、ミザリはアターシアを尊敬していた。彼女の妹として生まれてこれたことを幸運に思い、軽口を叩きあえる関係であることを幸福だと思っていた。だから、姉が妹を安心させるために貼り付けた笑顔の、その裏に隠された不安や恐怖に気づくことはなかったのだった。


 報告が終わり、部屋を後にしようと扉に手をかけたミザリ。


「最近、また盗賊が出るようなったみたいだから気をつけて。フィアレンゼ付近の村が焼かれて、死体も残らなかったって。酷い有様だったらしいわ」


 彼女は振り返り、調査中に得た副次的な情報を口にする。


「北部から下ってきたのかしら。結社とは関係ないの?」

「接点は見つからなかったそうよ」


 これから向かうのは王国北部だが、アニムが南部にある以上、知っておいたほうが良い情報だ。にこりと笑って感謝を伝えた姉に、不安げな笑みを向けたミザリだった。



 ニーザ平原までの道のりはおよそ一月弱。アニムから東、ラベンヘイズを経由して北へ、一路、鉱山都市マ・ルテルを目指す。そこからさらに北上、王都ラミアンの東に位置する国境都市セリクシア、その真北へ一刻ほどの位置にニーザ平原がある。

 スレン、アターシア、アキュナの三人がセリクシアへ到着した時、すでに都市壁の外には広大な野営地が敷設されていた。

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