第6話 私、ひとりになっちゃった
マリから貰ったのは、襟元の切れ目を革紐で結んだ麻のシャツとシンプルな麻のズボンだった。擦れて薄くなっていたり、裾が解れている。スレンが物珍しげに襟や裾を引っ張ったりして服を見ていると、マリが両膝を地面につけてスレンの顔を見上げた。
「ごめんなさい。本当はもっとちゃんとしたお礼をしなくちゃいけないのだけれど、うちは裕福ではないし、麦も、今年は不作だったから……」
「何かをしてもらったらお礼をしなくちゃいけないって、ズウラが言ってた」
マリは不安げに眉をハの字にする。
「でも、おれ」
スレンが何か言いかけたが、家の扉が叩かれる音に遮られてしまった。
「はい」
マリが扉に駆け寄りノックに応対する。
「俺だ」
「村長さん」
「マリ。そこに魔道師様がいらっしゃるのか?」
「はい、あっちに」
マリは服を着ているスレンを見てほっと息を吐いた。村のヒーローを全裸の変態にしておくわけにはいかないと、服を差し出したのはそういう意図もあったようだ。
マリが扉を開けると、白髪交じりの初老の男性が立っていた。村長は家の中を覗き込み、ちらりとスレンを一瞥すると、すぐにマリに視線を戻す。
「あちらの?」
「ええ、そうです」
「……」
物言いたげな村長。魔法を扱うには幼い頃から魔道師を家庭教師につけて、身に宿る魔力を操る鍛錬をつまなければならない。それには金も時間も必要だ。その両方を満たせる者。それが貴族ぐらいだということを村長は知っていた。
自分たちと同じような服を平然と着るような者が、魔法を使えるとは到底思えない。しかし、村の複数の者が魔法を使う全裸の子供を見たと騒いでいる。そしてマリが保護した見知らぬ子供。村長がスレンを件の魔道師だと推測する状況証拠は揃っている。だからこそ村長は不審がった。
「そうか。あの服はヨックの?」
「はい」
ヨックとはマリの弟の名だ。数ヶ月前に流行り病で死んでしまった。
「良いのか?」「服だけあっても仕方ないですから。あのぼろでは売ることもできませんし」
「そうか…………ふたりは?」
ふたり、とはマリの両親のことだ。村長の問いかけにマリは悔しそうに首を横に振った。
「……そ、そうか。これからのことは後で相談しよう。それから《外》のことはやっておくから、お前は魔道師さまのお相手を頼めるか」
「…………はい」
「すまない」
スレンには、二人の会話の意味はほとんど理解できなかった。話が終わると村長はスレンの前まで来て跪く。
「魔道師様、私はこのカロア村の村長をしております、ダドリと申します。この度は我が村の危機を救っていただきまことにありがとうございました。ご覧の通りの寒村ゆえ、大したお礼もできませんが、出来得る限りのもてなしをさせていただきますので、どうかゆっくりしていってください」
と、改まって頭を垂れた。
村長が去った後、マリはスレンのために椅子を引いた。だが椅子というものを知らないスレンはただ黙ってその様子を見ているだけだ。生じた不自然な間に困り顔のマリ。そこへスレンは、何気なしにとんでもないことを口にした。
「死んだやつは食べるのか?」
ぎょっとするマリは思わず声を荒げる。
「食べるわけないでしょ!」
スレンは純粋すぎた。スレンにとって、木の実をもぐことと兎を殺すことは、命をいただくという点でまったく同じ意味の行為だった。殺すことは食べるために必要な過程で、逆に言えば食べるからこそ命を奪っていたのだ。だからここまで強く反応されるとは思ってもいなくて、マリの《過剰な》反応にすっかり戸惑ってしまった。
「た、食べないのに殺すのか? ああ、そういえばズウラが、人間は動物の皮を服にするって言っていたっけ。食べないなら皮を剥いで服にするのか?」
「違う違う!」
考えるだけでも怖気がはしるようなことを言うスレンに、マリは大袈裟に首を横に振る。誰だってそうしただろう。しかしスレンの次の一言で、マリは言葉を失ってしまった。
「じゃあ、あいつらは何のために殺したんだ?」
なんのために……そう問われてマリは血に塗れた父と母の姿を思い出す。
いったいなんのために父さんと母さんは殺されたの?
村から食べ物を奪うだけならば、住人を殺す必要はなかった。武器で脅しただけでも、自分たちは抵抗しなかっただろう。ではいったいなんのために大勢殺されたのか。それは自分を殺そうとしていた盗賊たちの表情を思い出せばわかることだ。下卑た笑みだった。彼らは愉悦のために殺しをはたらいたのだ。彼らの快楽のために、父と母は殺されたのだ。
マリは主のいなくなってしまったふたつの椅子を見つめる。すると恩人の手前我慢していた涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
その涙を見てスレンは息を呑んだ。そして、
「ど、どこか痛いのか? やっぱり怪我して!?」
と、慌てるスレンにマリは、涙を拭いながらまたも首を横に振った。
「ちがっ、ち……ちがくて」
嗚咽が発音の邪魔をして上手く話せていない。それがスレンにはとても苦しそうに見えて。
「あのね、そこの椅子には私のお父さんと、お母さんが座っていたのよ」
スレンが、ズウラから人間について学んだ時、家族のことも教わる機会があった。スレンには血の繋がった親はいなかったが、話を聞く限り親とは、家族とは、スレンにとってのズウラのようなものだということがわかった。だから酷く純粋なスレンでさえ、マリの涙の理由は理解できた。スレンだって、どのような理由があれズウラが殺されるなんて許せない。
そう思った時、盗賊たちにヘラヘラしていた自分が恥ずかしくなって、そして、どうしてもっと早く駆けつけられなかったんだと、どうしようもないことを悔やんだ。
スレンの悔恨に拍車をかけるようにマリは笑う。
「私、ひとりになっちゃった」
赤くした瞼には、まだうっすらと涙が浮かんでいた。
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