4 まだまだ死んで


「あ、ちょっと! 経堂さん! 逃げないでください!」

 背後から明が叫んだ。


「いやだ! 私は催眠になんて、かかってはいない! すべて君の勘違いだ! そもそもなんで、君がここにいるんだ! おかしいじゃないか! どこから出てきた!」

 私は叫び返す。


「いやいや、二人で一緒にここに来たんじゃないですか! なんだか難しそうな事件だから、君に手伝ってもらう必要がありそうだ、って言ったのは経堂さんですよ!」

「?????」

 私はそんな事を言った覚えは全くない。

 いくら頭の中をひっくり返しても、そんなことを言った記憶はないのだから、これは間違いなく言っていないのだ。


 そこで私はピンときた。

「わかったぞ! 明! 催眠にかかっているのは君の方なんだ! 私と一緒に来たと勘違いして、実のところはたったひとりで、ここまでやってきたんだ! 筋が通るぞ! だからスタンガンをこっちによこすんだ! 私が目を覚まさせてやる!」

「やめましょう経堂さん! 催眠にかかっているのだと互いに言い合うことほど無益なことはありません! 最初に催眠にかかっていると判断した人間の言うとおりにしようと言ったのは経堂さんですよ!」

「ちくしょう!」

 その言葉には覚えがあった。確かに言った。

 その通りだ。

 しかしスタンガンに撃たれるのは単純に嫌だったので、逃げるのを止めることは出来なかった。


 やがて私は部屋の隅に追い詰められてしまった。

「よしわかった。君の言うとおりなのだろう。私は催眠にかかっているのだろう。ああ、わかったよ。うんわかった。よくわかった。たしかになんだかそんなような感じもしてきた。だからちょっと待ってくれたまえ」

 私は両手を突き出して、必死に訴えた。

「いいかい明、落ち着くんだ。一度状況を整理しようじゃないか。そうしたら、私の催眠がとけるかもしれない。それにほら、君も上司をスタンガンで撃ったなんていう悲しい過去を背負わずに済む。そうじゃないかね?」

「経堂さん、単純にスタンガンが怖いんですね?」

 私は目をつむって、非常に小さく、そして細かく首を縦に振って肯定した。


「明、まずは君の知っている範囲のことを教えてくれたまえ」

 私が言うと、明は頷いた。

「仕方ありませんね。分かりました。ええと、経堂探偵事務所に、瓜置うりおき警部から連絡がありました。東宮寺邸で行われた誕生パーティで、大量の人間が消失する事態が発生している。あまりに特異な事例なので、力を貸してほしい。そういう話でした」

「瓜置警部から連絡?? なんのことを言っているんだね君は」

 私はまったく意味が分からず尋ねた。

 なぜ急に、瓜置警部などという新しい登場人物が出てくるのか。

「じゃあ逆に聞きますが、経堂さんはどうしてここにいるんですか」

「?????」

「そもそも何の調査をしに来たんですか」

「?????」

 思い出せない。

 私はこの部屋に入り、なにやら奇怪な部屋の状況を目の当たりにし、なんらかの調査をするのだと思って、そのように振舞っていたのだが。

 なにせ私は探偵なのだから、そうするのが仕事というものだ。


 私は部屋を見回した。

 部屋に居る最後の1人、東宮寺が不思議そうにこちらを見つめている。

 私と明と東宮寺。たった3人だけの部屋。

 たしかに私はどうしてここにいるのだろうか。

 気がついたら私はここに居たのではなかったか。

 いや、それはおかしい。五分前世界誕生説だったとしても、私がここに来るまでの筋書きというものは間違いなくあったはずなのだ。

 私は額に手を置いた。

 思い出せない。


 私の様子に、明は一歩、私に近づいてきた。あと一歩近づかれたら射程に入る。

 まずい。

 私はこの切迫した不安感から逃れるため、部屋の中央で静かに動かないもふもふしたものの腕の数を数えてみた。ひとつ、ふたつ、と数えると、心から徐々に不安が消えていく。

 全部である。

 数えるまでもない、先ほどからずっと90本だったではないか。


 若干落ち着いた私は、劇的な効果を狙って、一気に表情を明るいものに転じてみた。

「ああ、ああそうか、ああそうかなるほど。うんそうか、そうだね。そうだった」

 ついでにそう、大きな声で言った。

 私はうんうんと頷く。

 それを見て、明の表情がパッと明るくなった。

「経堂さん、思い出したんですか! 自分から催眠を解いたんですね! すごい!」

 よし、いいぞ。

「ああ、そうだね」

 私は再び、うんうんと頷いた。


「それじゃあ、広間に入る前に、波岸刑事に見せてもらった会場内の監視カメラの映像っていうのは、どんな内容だったんですか?」

「??????????」

 瞬間、私の体に激しい衝撃が走った。

「ん゛ん゛ん゛ん゛!!!」

 一瞬、意識を失いそうになったが、私はどうにか踏みとどまった。

 いくらか頭がすっきりした。

 そうか、やはり私は催眠にかかっていたのだ。

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