別世界線編 3話 現実逃避


 もう、誰も何もできない。結局のところ、何をしても変わることはないだろう。魔物の存在感にその事実を突きつけられ、蒼は自己嫌悪に陥る。


 鋭利な爪が振り上げられ、標準が実乃利に定められる。蒼が目を瞑る間もなく、魔物は無慈悲に凶器を突き刺す。


「あっ......あぁぁぁ‼︎」


 実乃利は反射的に身構えたが、それすらも貫き、右肩に穴が空く。




 その後も、魔物に弄ばれるように肉の裂ける音が奏でられ、実乃利の甲高い悲鳴が圭吾の頭を搔き回す。蒼は、無気力にその光景を眺めることしかできず、実乃利の力が無くなると同時に膝が地に付いた。


 実乃利が苦しむ表情を、バラバラになる様子が鮮明に頭に張り付く。蒼のことなんて忘れてひたすら泣いた。実乃利と同じ痛みを感じているような感覚に襲われて、胸が溶けていく。どんどん虚ろになっていく。


 悲鳴が止み、静寂が生まれた。もう、体力的にも精神的にも限界がきた。圭吾は全てを忘れる勢いで階段を駆け上がった。足音が耳に入らないように、全てを受け入れないように、叫んだ。


 実乃利が死んだ。実乃利が死んだ。実乃利が死んだ。実乃利が死んだ。実乃利が死んだ。実乃利が死んだ。死んだ、死んだ、死んだ?


 悪夢では蒼に犯され、現実では見殺しにしてしまう。俺は、彼氏失格だ......。


 待て、これは夢だ。また悪い夢を見ているのだ。そうに違いない。


 そう自分に言い聞かせて、実乃利の死を拒もうとする。でも、さっきの鈍い音と悲鳴が脳裏で何度も再生され、現実を突きつけられる。


 やはり、その音声を振り払うため、必死に声を絞り出した。呼吸も忘れて目を瞑り、ひたすら階段を上る。その先に何があるのかわからない。でも、走る以外にこの悪夢から覚める方法を思いつかなかった。


 階段を上りきった先で、お札の放つ光に包み込まれた。刹那、周りの風景がガラリと変わり、飾り気のないコンクリートが、いつも通っている見慣れた風景になった。


 運動場のど真ん中。周りには砂漠が広がり、その大きすぎる世界にぽつんと立っている。地上に戻れた安堵感と、これが夢であってほしいという感情が入り混じって吐き気がする。砂が一粒の涙を吸い込み、それに連なって次々と砂が水分を吸収していく。


 口は渇いて、走っている間に切れてしまったらしく、口内に恐ろしい味が広がる。空は霧がかかったように薄い雲が覆っている。そのため、圭吾は月も星も、霞んで見えた。いや、理由は雲だけじゃないのだが。


 行き場を失い、今になって他のメンバーのことを思い出した。


 崩壊。


 結局辿り着いたのはそこだった。圭吾は罪悪感に駆られ、立っているのが苦しくなって走り出した。とにかく家に帰って眠れば、また、いつものように平穏な学校生活に戻れるという平和ボケしすぎた考えに至った。


 まだ息が整っていないのにもかかわらず、渇いた地面を踏みしめて校門を出た。その後、できる限りの近道を通って自宅へ辿り着く。ドアの鍵を音が出ないように開け、中へ入る。安心感によって喉の痛みを感じた。もう、何時間水分を取らずに歩き、走ったかわからない。涙すらも枯れている始末であった。


 食器棚からコップを取り、水道を捻って水を注いだ。コップの中を一瞬で空にした後、口に鉄の味が広がり、息が荒くなった。冷静を取り戻した気になって、自室へ行き、すぐベッドに横たわる。


 今日の出来事を全て忘れるようにゆっくりと目を閉じ、大きく息を吸って吐いた。疲労感がお迎えに来て、意識が無くなるのにそう時間はかからなかった。




***




 ぐっすり眠れていたはずなのに、謎の胸騒ぎが目を開かせた。外はまだ暗く、時間は3時くらいだろうか。やはり、まだ眠気が残っていて、もう一度眠り直そうかとも思った。


 天井を見上げ、薄っすら開く瞼に身を委ねようとした瞬間、瞼は閉じるどころか大きく見開いた。それと、夏の暑さに感覚を麻痺させられたのか、全身が凍えるような寒さを訴える。冷や汗と震えの異常さに圭吾は気づく。



 天井に何かが張り付いていることに。



 闇の中で輝く一粒の光に、闇に溶け込むほど黒い体に、圭吾は既視感を覚えた。その原因を思い出したくなかった。いや、もう、思い出しているからこそ、現実を否定する意味でも考えを引っ込めたのだ。


 実乃利を見殺しにしたことを認めたくなかった。自分の無力さを認めたくなかった。ただそれだけのために、目の前の現実を受け入れず、目を閉じた。


 そんなことは御構いなしに、光る目は圭吾を睨みつけて、素早く腕を伸ばした。爪が首を貫いて、叫び声を遮断する。闇夜に咲く血花が可憐に宙空を舞い、その後、弄ばれることもなく、圭吾の肉体は噛みちぎられ、消化された。


 弾けた鮮血も残さず、綺麗に舐めとり、魔物は従者の元へと帰っていった。

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