事件編 5話 全滅の先に


 必死なって走る圭吾と実乃利に追いつき、乱れた呼吸に苦しみながら呟く。


「ごめん、美紅が......」


 蒼は走りながら罪悪感に苛まれているように演じる。実は、美紅が自分のことが好きであることは知っていた。美紅の挙動を見ていれば簡単に察することのできることではある。それはともかく、彼は彼女の好意を踏みにじるようなことをしてきたのだ。


 美紅が蒼と2人でどこかへ行きたいという気持ちを知っておきながら、『みんなで』という言葉を用いた。しかも、自分の言った言葉を否定できず、流されるということも想定している上での確信犯だ。もちろん、美紅は鈍感であるため、気づくことはなかった。


 しかし、圭吾と匠は薄々気づいていた。実乃利は人を疑うような性格をしていないので、単に蒼が鈍感であるだけだと思っている。蒼はそれも利用する。


「仕方ないよ。こんな状況じゃ」


「うん、今は悔やんでる暇なんてないから。とにかく、ここから出よう」


 初めは圭吾が、それに続いて実乃利も蒼を宥める。一瞬だけ目の前が明るくなった。













 ドゴォン――



 何かが落ちる音が聞こえるのと同時に、目の前に大きな壁が立ちはだかっていること、それが3人の方へと向かっていることに気がついた。


 ゴゴゴ――


 じわじわと3人との距離が縮まる。後ろを振り返ると、さっきまでなかったはずの壁が同じように3人の方へ移動している。


 壁に挟まれ、逃げ場もないため、壁に潰されて全員圧迫死というエンドしか見えない。絶体絶命の状況に陥った。


「嘘だろ......。壁、壁壊そう! そしたら抜け穴があるかもしれない!」


 圭吾はさっき魔物がやったように、壁を壊せば他の通路に繋がっているのではないかと考えた。そして、すぐさま行動に移した。冷んやりとした壁は見た目通り硬く、体を打ち付けてもビクともしない。


 それを見ていた蒼と実乃利は圭吾が叩いた壁のほんの一部分が少し欠けたことを確認する。だが、圭吾自身はそれに気づいておらず、2人の方へ振り返って絶望しつつも、無理して笑顔を作っている表情を見せた。


 次の瞬間、壁の欠けた部分が雪崩のように崩れていく。それは瞬く間に崩れ落ち、壁の奥から、初めに入った部屋で圭吾と蒼が見た、鋭い刃物が飛び出してきた。その刃物の勢いは止まることを知らない上に、雨のように早ければ数も複数ある。


 実乃利は一寸先を想像してしまい、その想像した光景があまりにも衝撃的で、反射的に目を瞑った。


 圭吾は実乃利の想像通り、刃物の餌食となり、圭吾の体から貫通した刃物が顔を出す。すると、圭吾の体と共に針の勢いが死んだ。鈍い音に、実乃利は鳥肌が立つ。


 蒼はゆっくりと血に染まる圭吾の服を見て、悟る。もう、俺たちは逃げられないのだと。


「実乃利、俺はおまえのことが好きだ!」


 目を瞑っているのをいいことに、蒼は実乃利を突き倒し、その上に股がった。実乃利は状況を飲み込めないようで、抵抗する気配はない。


「ちょ、ちょっと! 何なの?」


 蒼は無言で実乃利の服を破り、美しい肌を露出させる。そこでようやく実乃利が身の危険を感じ、抵抗を始める。しかし、冷静を欠いた蒼の力に叶うはずもなく、実乃利の上半身は真っ白になる。彼女は手で赤い部分を隠そうとするが、両手を頭の上で固定され、身動きが取れなくなる。


「やめて!」


 蒼に対する恐怖心と恥ずかしさで、死の恐怖なんて感じる余裕もなかった。蒼の後ろに見える圭吾の悲惨な姿が実乃利を絶望の淵へ陥れる。涙が止まらない。まさか、蒼が自分のこと好きだとは思わなかったし、そんな素振りを見せたこともないので、気づかなかった。


 圭吾は薄っすらとした意識の中、2人の様子を見ていた。蒼は勉強もスポーツもできるイケメンで、人脈も広く、優しい性格で学校の人気者である。それが、本性を現しすとここまで醜い本懐が垣間見えるとは思っていなかった。


 蒼は実乃利の初めてを奪い、それだけに止まらず、愛のない乱暴な扱いをする。それは、死ぬ前にやりたいことをして、満足に浸って死にたいという欲望の現れであった。


 もちろん、迫ってくる壁が止まるはずもなく、刻一刻と死が近づいてくる。


 口を噤んで一生懸命に抑えているが、僅かに漏れる声が蒼の感情を掻き立てる。蒼は涙が頬を伝っても何も感じないほど壊れてしまったのだ。


 死とは、人間という存在の基盤を粉々にし、人間の本質を狂わせる。自分の感情に素直になれば、死を受け入れることは困難だ。


 生とは、執着するものであり、死を拒む第1要因である。それに加えて、偽ることや騙すこと、他人を蹴り落とすこともまた、生である。生きることで、罪を犯し続けるのは人間の宿命なのかもしれない。




 圭吾は痛みと空虚感に板挟みされ、苦しみ続けた。嘔吐感はあっても、吐くことはできないもどかしさもあり、でも、確実に何かを失っている実感はあった。そんな狂気になり損なった甘ったるい心は、ゆっくりと闇に溶け込んでゆく。




 気づいた時には、4つの丸い明かりが揺れる暗い場所にいた。地面にも1つの丸い明かりがある。天国か地獄、どちらなのだろうかと考えていると、遠い向こう側から記憶が脳内に入り込み、激しい頭痛に襲われる。

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