事件編 3話 走り続けたらきっと


 靴と地面が忙しく打ち付ける音が複数響き、通路は騒がしい。その上、あまり状況を理解できていない美紅が「何? 何なのよ!」と叫ぶ。


 魔物は開いた小さな《・・・》扉をくぐり、鋭く光る目を走る5人の背中に向けた。


 蒼は背中に視線を感じ、恐る恐る後ろを振り向いてみる。そこには、人間の形をした化け物がいた。口からむき出しになっている歯と爪が異様に長くて鋭い。掠っただけでも重傷になり得るし、まず、爪を振り回されたら避けることもできずに、等分され、惨めな姿になってしまうだろう。


 魔物は彼らが人間であると気づくと、怒りを露わにしてゆっくりと追いかけ始める。それに続いて、他の魔物たちも扉から出て、平和な世界へと一歩踏み出した。




 いくら走っただろうか。果てしなく続く一本道、一切変わらない風景、背後から絶え間なく聞こえる叫び声(吐息)に怯えながらも一同は走り続けた。


 そんな中、美紅の体力に限界がきた。呼吸が乱れ、目を開けるのもやっとという苦しそうな表情を浮かべる。


「ちょっとみんな、待ってくれ!」


 それにいち早く気づいた匠がみんなを引き止める。その止まった時に美紅以外は魔物の存在を遠目に確認する。そして、焦燥感が増す。


「どうしよう。美紅が......」


「くそっ! あいつもうすぐそこまできてるぞ!」


 蒼は美紅の存在を忌々しく感じる。美紅のせいで魔物に追いつかれる可能性があるからだ。


「わかった、俺が担いで走るから。ほら、捕まって」


 舌打ちする音が鳴ったので、匠は急いで美紅をどうするか考え、出た答えは自分で担ぐであった。


「じゃあ、匠、お願いね」


 実乃利はこんな状況で心に余裕がないはずなのに、不安や恐怖を洗い流してくれるような優しさに満ち溢れた、この上ない美しい笑顔を匠に向ける。


 匠は美紅を背中に乗せると、頭を空っぽにして走り出した。何か考えてしまうと集中して走れなくなるだろうから、できる限り自分自身を恐怖で満たし、緊張感で頭を真っ白にさせる。


 いくら美紅が軽いとはいえ、他のメンバーよりも遅いことは一目瞭然で、魔物との差が少しずつ縮まる。


 匠たちと魔物の距離が50メートルくらいなった時、一匹の魔物が助走をつけてジャンプし、その勢いで匠たちとの距離を一気に詰めた。匠は走るのに必死でそれに気づかない。


 刹那、魔物が手に付いた凶器を振り下ろす――と同時に、天井に貼られていた一枚のお札が光る。光ったと思えば、まるで元からなかったかのように魔物の立っている地面が消え、魔物は重力に逆らえず、ぽっかりと開いた穴に落ちていく。魔物が振り下ろしていた凶器が美紅の背中を掠め、服に爪が引っかかる。


「痛っ!」


 美紅は暗く終わりの見えない穴の奥底へと引きずり込まれる。匠の肩を掴み損ね、背中から剥ぎ取られる。痛いという声に反応した匠が美紅の手を掴み、なんとか道連れを阻止することに成功するが、美紅は未知なる闇へ向かって宙ぶらりん。美紅の持っていた懐中電灯が光を放ちながら闇の中へと溶けていった。


 穴の向こう側はいつの間にか壁になっていて、他の魔物たちの姿はなかった。そのおかげで、匠はゆっくりと、確実に美紅を引き上げることができた。


 美紅は背中に軽傷を負い、涙を流しながら匠に担がれ、3人の後を追った。すると、すぐに3人の姿が見えた。


「よかった......無事だったんだね」


 匠たちが追いつくのを待っていたようで、実乃利が安堵の言葉を零す。足音が消えたから心配になり、待ってたそうだ。


「いや、美紅が......」


 匠はさっき起こったことをみんなに説明した。


「......早くここから出ないと、やつらに殺される」


 蒼が冷静に言う。そうだねと全員が頷き、また歩き始めた。数分もしないうちに、Yの形をした分岐点が見えてきた。


「あれは......」


 圭吾は分かれ道の間の壁にお札が貼られているのを見つけ、魔術が発動してしまう前にと走って駆け寄り、お札を剥がした。さっき見つけたお札とは違って、そのお札には翼のマークが描かれていた。


 圭吾がそのマークに目を奪われていると、蒼がどうした? と声をかける。何でもないと返して右の分かれ道に光を当てた。


「右に行ってみよう」


 圭吾は止まっていても仕方がないと思ったので、右に行こうと提案してみる。右というのは気まぐれで言ったのだが、みんなわかったと言って右に進む。


 どこから出てくるかわからない魔物に怯え、いつ発動するかわからない魔術に警戒を強め、長時間の移動で疲労を感じる。みんなを元気付けようと笑顔を振舞っていた実乃利でさえも、表情に疲れや不安が見えてくる。


 ピュッ――。


 短い音を立てて何かが勢いよく飛び出す。前方から先端の尖った細い針のようなものが光を反射しながら、こちらへ向かってくる。


 針の本数は一歩であるが、それは的確にとある人物を狙っていた。


「え――」


 一瞬の出来事であった。針は5人の中で一番疲労に苛まれている体をいとも簡単に貫き、その後、満足したように勢いはなくなった。そして、針は思い出したように、元の場所に戻って行く。


 針が引き抜かれた瞬間、なんの変哲もないコンクリートに真っ赤な花が萌え、質素な風景が華やかに彩られる。




 生きるとは罪で、死ぬことも罪。無知も罪であれば、博識であることも罪であるのか? それを決めるのは本人であり、他人が決めることではない。


 私は思うのだ。この世に潜む悪とは罪を罪として認識しないことであると。私は悪こそが生きる術であると、悪こそが最も自分への益となるものだと、思う。そんな、自己に酔っている人間は私の良い駒になるだろう。それ故に、そういう輩を求めている。

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