「三角形は一つの点となる」 3ぶろっく

 待合に座った私は、電光掲示板をただただ眺めていた。


 時刻はもう15時半を過ぎ。謙の飛行機は行ってしまった。掲示板には次の便の表示が出ている。


 携帯のメール画面は彩月からの文『典君交番にて確保! そっちはどう?』と。


 せっかくここまで来たのに……。彩月と浜田もこんなに協力してくれたのに……。


 悔しさと悲しさで視界が歪む。鼻水まで出てくる。私は鞄から箱ティッシュを出し、手鏡を探す。


「あのー隣いいですか?」


 何なの? 席一杯空いてるのに、違うとこ座ればいいじゃん。もしかしてナンパ? 私は鞄の中の鏡を探しながら答える。


「はい。どうぞ」


 その人は隣に腰かけたのか、ベンチが少し動く。


 目的の鏡も見つかり、私は顔の確認をする。メイクは最悪なほどに崩れている。そりゃそうだ、汗だくになりながら走って……さらには涙まで。今すぐ顔を洗いたい。

 ティッシュで目尻の滲んだメイクをふき取り応急処置をする。


 ふと隣が気になり鏡を少し傾けて確認した。


「え!」

 ばれないように確認したつもりが、鏡越しに目が合ってしまった。


 でも、問題はそこではない。


「謙! なんでここ……に?」

 私は立ち上がった。


 目の前にはここにいるはずがない謙の姿。普段の私服とは違う少しオシャレな謙。ジャケットなんか羽織っちゃってる謙。横には朝にも持ってきていた黒いキャリーバッグ。


「なんでって、それは俺のセリフなんだけど……。なんでお前がここにいんだよ」

「飛行機もう行っちゃったよ?」


「いや、次の便なんだけどな……。で、なんでここにいんだ?」


 なんなんだコイツは。勝手に行っちゃってさ。皆にじゃあねも無し。そのくせいきなり現れて無表情な顔しやがって。確かにあんたは色々考えがあってしてることなのかもしれないけど、私や彩月、浜田はどんだけ心配したと思ってるの。


 私は思いっきり手を振りおろした。


 すさまじい張り手音が待合に響く。周りにいた人達の動きが止まった気がした。


「……痛って」

「あんたね、馬鹿じゃないの! 何が二時間もあれば着くよ! 東京に行くなんて一言も言わなかった! もう殆ど会えないじゃない! 親戚のとこに旅行行くとか嘘ついてさ。浜田は本気でお土産楽しみにしてたんだよ! あんたが遠くに行っちゃうって知っても浜田は信じて待ってやろうぜって言ってた。学校であんたに強く当たってたのだって浜田の優しさでしょ! なんでその友達にこんなことするの? 本当にあんたは馬鹿!」


「……」

「なんとか言いなさいよ!」


 謙は頬を手で押さえたまま動かない。

 黙りこくった謙に怒りが込み上げる。私は謙の腕を掴もうと手を伸ばした時、謙はぼそりとつぶやいた。


「俺だって辛い……」

 謙はこちらを向く。目には微かに涙を浮かべている。


 私は謙の涙に固まる。


「どうしたらいいか分からなかったんだ……。本当はお前らと離れたくない。でもお袋も心配だ。相談だってしたかった。だけどお前ら優しくていいやつだから。離れるのがもっと辛くなる。今だってそうだ。あんなに突き放したのに……こんな俺の為にお前はここにいるんだろ……。ほんとお前らすげーよ……」


 私は静かに腰かけ、少し携帯をいじる。


「それが友達でしょ? 今はお母さんのこと大切にしてあげて。頻繁には行けないけど遊びにだって行くから。きっと浜田はハイテンションで企画するよ」

「ああ」


「ってか、私たちと離れるのが辛くなるから今まであんな態度とってたの?」

「……そうだよ。なのに浜田は数日起きにシャンプーしに来てたんだよ。俺は客触れねーって言ってんのによ。親父がいつもやってた」


 浜田はそんな事してたのか。浜田らしいっちゃらしいが……。


「彩月からはメールの嵐。ほぼストーカーだよあれは……」


 彩月までそんな事……。


「お前は店に乗り込んできたりよ。どうやって知ったのか空港にまで乗り込んでくるし……。お前らはどんだけ突っぱねてもその分突っ込んでくるよな。浜田と彩月は・・・・・・最強の親友だよ」

「それが私たちでしょ? 謝るなら今よ」

 私は少し笑いながら言った。


 浜田と彩月は……か。私は何なんだろうな……。

 

 謙は少し戸惑った様子。


「そうだな。本当にごめん。浜田と彩月にも後で連絡入れて謝る」


 私はニヤケる。


「なんだよ! 変な顔すんなよ! ちゃんと謝っただろ!」

「ふふ。連絡を入れる必要はないわ」


「はあ?」


 私は携帯を謙の前に突き出す。


『はははは! 矢元! ついに俺を親友と認めたな! そうかそうか、そんなに俺らと離れるのがちゅらかったでちゅかー』

『ちょっと矢元君! 私の事ストーカーって言ったでしょ!』


 大音量で携帯のスピーカーから出る浜田と彩月の声。


 私は彩月の携帯に電話を掛け、スピーカーにして会話を聞いてもらっていたのだ。


『まあ今回の事は許してあげる! 典君もね。じゃー後は千夏に任せたよー。二人の邪魔するのもあれだし。じゃーねー』 


 通話が切れる。

 なにか含みのある言い方だったが気にしないでおこう。


 謙は変な顔のまま固まっている。


「連絡入れる手間が省けてよかったね」

「お前いつからだ! いつから繋がってた!」


 顔が真っ赤になっている。元々気持ちを言葉にしない謙だ、さぞかし恥ずかしかったのだろう。


「ナイショ! そう言えば向こうの学校受かったの?」


 謙は頭を掻いている。


「……まあ一応な。ここまでばれてるならもう全部話すよ。……俺向こうの学校美容師科で受けたから。やっぱ床屋の仕事より美容のほうがずっとやりたかったし。親父もそれには文句言わなかった。ずっと家の店に入って欲しいもんだと思ってたけど、やりたい事やれってさ。だから美容にした」

「え、そうなんだ。前におじさんがそんなような事言ってたかも……謙の仕事は柔らかいだったかな? 理容は向いてないって」


「はあ? いつ親父とそんな話したんだよ?」

「あれ? あの時謙もいなかったっけ? 確か花火やった日だよ」


「覚えてねー。……お前美容の練習とかしてんの?」

「してるよー。ワンレンは結構自信あるなー。あ、この前ねレイヤーやってみようとして手切っちゃったの。すっごい痛かった。甲側で切るのって難しくない?」


「そりゃ欲張りすぎなんだよ。一杯切ろうとし過ぎ。あとちゃんと中指にシザー当てて安定させてるか? こんな感じでさ」


 謙は手をカットする時の形にして説明してくる。その顔はさっきまでとは違いとても楽しそう。


「あとポイントは右肘をカットラインと同じにすることだな。お前はきっと脇締めてカットしてるだろ?」

「ふふふ」


「なんだよ! こっちは真剣に教えてんのによ。っておま……」


 私は涙が出ていた。

 本当のいつもの謙との会話。何気ない会話。こんな簡単な事がずっと出来なかった。でも最後の最後に普通に話せた。本当に良かった。


 気付くと私は思わず謙に抱き着いていた。


「千夏……?」

「ゆじゅりゅ……わだしほんどにづらかっだ……ふつうに話せないだげでづらがっだー。離れるのやだよお。いがないでよお。せっかくいつも通りにもどでだのにい」


 私の我慢していた感情が溢れだした瞬間だった。


 顔は涙でグシャグシャになり鼻水も口に入ってくる。


 謙の大きな手が私の頭に触れる。


 私の抱きしめる力が強くなる。


 謙は何も言わず私を優しく抱きしめた。



『出発便のご案内を致します。東京行――ご利用のお客様は保安検査をお通りになり――』


 しかし無情にも別れのアナウンスが流れた。


「もう行かなきゃ……」

「……うん」


 謙は保安検査場に向かう。


「謙! 待って!」


 私は急いで鞄から小さな箱を二つ・・取り出し謙に渡す。


「なにこれ?」

「シュークリーム! 私が作ったんだよ! クリーム入れただけだけどね。謙、私の作ったシュークリーム食べたいって言ってたでしょ?」


「まじ? もう一個は?」

「こっちのは向こう行ってから開けて」


 謙はその場で包みを開け一つ口に入れた。


「これマンゴー味だ! めっちゃうまい」

 今まで見たことがない位優しい顔で謙は微笑んだ。


「良かった」

 私も笑顔で答える。


「残りは飛行機ん中で食うよ。ありがと。じゃ、行くな」

「うん」



 謙は保安検査場を抜け、向こうからこちらを振り向く。


 検査を終えた人たちが私たちの間を行き来している。


 そして謙は大声で私に向かって話しかけてくる。


「あのさ!」


「うん!」

 私も大きめな声で返事する。


「浜田と彩月は最強の親友!」


「うん!」


 謙は頭を掻いている。


「お前はさ!」


「うん!」


「……」


 私はこのほんの少しの間がとても長くスローモーションのように感じた。



「俺の最強に好きな人!」




 4月16日月曜日。


 私は朝から学校の準備に追われている。

 今日は美容学校の初授業日。四月の頭は十日間程のガイダンスで授業の流れや規則、クラスメイトとの交友関係作りのような事が行われた。


 突如届いていた大きな段ボール箱から美容道具を出していく。

 このダンボールは三箱届いた。一つは美容道具の入ったみかん箱位の大きさ。もう二つは馬鹿でかく、小春が二人は入れそうなサイズ。中身は全てカットウィッグでかなりの数が入っている。


 今日はワインディングとカット。座学は色彩と衛生管理。


 旅行にでも行けそうなほど大きい美容鞄に入れていく。クランプにカットウィッグ、ワインディングウィッグにコーム類、シザーにダッカール、スプレイヤーにタオル十枚。


「あー物多すぎ!」


 教科書にノート、筆記用具に、シャンプークロスは入れたっけ?


 下からお母さんの声が聞こえてくる。


「千夏ー! 電車遅れるわよー! 朝ごはんはー?」

「もー、今行くー!」


 一通り入れ終わり、鏡で身だしなみをチェックする。

 髪も理奈お姉ちゃんにやってもらったし完璧。


 すると携帯が鳴った。確認すると謙からのメール。


『お前今日から学校だろ? 俺もだ。お互い頑張ろう! こっちはもう半袖で歩ける位あったかい、道産子には想像できない天気。そっちはまだ寒いだろ? 風邪に気を付けろよ』


 なんだこの謙らしくない文は……。あれ? 画像添付されてる。


 開いた画像は写真だった。

 謙と謙のおばさんが肩を組んで笑ている写真。ピースをしている左腕には見覚えのある時計。


「良かった。元気そう。……あ」


 私は鞄を置き宝物入れの引き出しを開ける。


 奥の方にある縦長の雑に包装されている長い包み。

 私は包みを開き中からピンクのコームを取り出した。


「今日から私の相棒だ! よろしく!」


 また下からお母さんの声がしてくる。


「千夏ー! 遅刻するわよー!」

「はーい」


 私は新たな相棒とのツーショットを撮り謙に送り返す。 

 そして壁の時計を見る。


「あ! まじで時間ヤバい! おかーさーん朝ごはん食べる時間ないー!」

 私は階段を降りながら叫ぶ。


「だから昨日準備しときなさいって言ったでしょ! 店からシュークリームでも持っていきなさい! 電車の中で食べれるでしょ」

「はーい。じゃー貰ってくねー。いってきまーす!」


 こうして私の美容人生が幕を開けた。


 そして美容師になった私が活躍するのはまた別のお話。


「千夏ー! あんたなんで高校のローファー履いてるの! 靴靴!」

「あー間違えた!」



――おしまい――


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