♯279 ソフィアが守ろうとしたもの

 フィオナとソフィアが勝利を確信して安堵していたとき。


「――悠長なことね」


 突然頭上から声を掛けられて、二人はまた揃って仰天した。ソフィアの方が驚きと共にフィオナの腕を抱く。

 二人が見上げた先で、女神シャーレが逆さまに浮いている。


「また出たぁー! もうっ! いい加減急に出てきて驚かせるのやめてよっ!」

「知ったことではないわ。そのようなことより、いつまで児戯を続けるつもりなのか。無意味で不完全な愚行は、とても見ていられたものではない」

「何ワケワカンナイこと言ってんのさー! もうあいつらは私たちウルトラ美少女姉妹がこてんぱんに倒してやったでしょ! これで私たちの一勝ねっ!」

「どうやらお前の聖眼まなこは曇っているようね」

「へっ?」


 女神のため息と共に、フィオナとソフィアは嫌な予感に視線だけをゆっくりと動かす。


 二人は呆然とした。


 遠く――地平線を埋め尽くすアンデッドの群れが、復活を果たしていた。


「うにぇぇ~~~~!? なんでなんでっ! さっき私たちが全部倒したじゃん! 絶対倒したじゃん! そうだよねフィオナちゃんっ!?」

「う、うん……」


 両手を頬に当てて叫ぶソフィアと、うなずいて応えるフィオナ。

 見間違いではない。フィオナにもその手応えはあった。あの大魔術を完璧に使いこなせた確信があった。その上でなお、まだあれだけの数が生き残っているとはフィオナには思えない。まるで無限に出現しているかのようである。もしくは、あのアンデッドたちには何か特別な――。


 困惑する二人に、女神シャーレがサラッと告げる。


「――皮肉なものね。お前が守ろうとした姉の寿命は、今この瞬間にも神域に溶け続けている。この様では、たとえ地上に戻ったところで余命幾ばくもないか」


 それだけを言い残して、女神シャーレは再び世闇に姿を消した。ソフィアが「あんたが帰してくれないからじゃんか~~~!」と拳を振り上げて怒鳴りつける。


 一方のフィオナは「えっ?」と思考を止める。シャーレの発言に気に掛かるところがあった。


「ソフィアちゃん……? ソフィアちゃんが守ろうとした、“姉の寿命”って……」

「あっ」


 尋ねると、ソフィアはわずかに固まった。

 

「え、えっと、それはねっ、ほら女神様には隠し通せるわけないし、でもお役目を押しつけたくなかったし、早めに直談判しといた方がいいかなってさ! 天星にはまだ早かったんだけど、こっちから呼びかけてね! なんとかここまで来られたのはよかったんだけど、ぜーんぜん話通じなくて、その上まさかお姉ちゃんまで来ちゃうなんて思わなかったよぉ! えへへ失敗失敗っ! そ、それより早くあの魔物たちをなんとかしよ!」


 ちょっぴり気まずそうに、照れたような顔で早口に説明するソフィア。


 フィオナの頭からは、とうに魔物のことなど消えていた。

 この世界でソフィアと出会ったときに彼女が真っ先に言ったことを思い出していた。そして、今回の事の成り行きをようやく理解した。



『なんで……どうして!? 来ちゃダメって言ったのに! どうやって来たの!? ここがどこだかわかってるの!? もーフィオナちゃんが来ちゃったら私がここに来た意味ないじゃん! あーもーどうなっちゃってるの!』



 ――“来ちゃダメ”。それがいつのことかよくわからなかったが、今はもうはっきりとわかっていた。

 あの夢のことだ。

 忘れてしまっていたあの不思議な夢で、天国のようなこの世界に足を踏み入れた。そのことを思い出した。ひょっとしたら、あれが女神シャーレによる“選定”だったのかもしれない。そこでこちらに手を振るソフィアに出会い、彼女が言った。来てはいけないと。

 ソフィアはやはり、まだ寿命を迎えたわけではなかった。天星したのではない。にもかかわらず、自分からこの世界にやってきた。そこで女神と“交渉”していた。



 ――何のために?

 

 ――誰のために?



「ソフィアちゃん」


 フィオナは、目の泳ぐソフィアの手を握った。



「わたしのために――ここへ来てくれたの?」



 ソフィアが、ぴくっと動いて反応した。


「わたしが次の聖女に選ばれないように……わたしを守るために、シャーレ様とお話をしに来たの?」

「あっ……えっと、そ、それはぁ……」

「ソフィアちゃん」


 フィオナは、真剣なまなざしでじっとソフィアを見つめる。ソフィアはチラチラとフィオナの方を見ては困りきった表情を浮かべていたが、やがて観念したのか、肩を落として小さくうなずいた。それが、すべての答えだった。


「ソフィアちゃん……どうして……」


 フィオナは、彼女の口から真実を聞こうとした。

 遠くから少しずつ魔物たちが近づく中、しかしそんなことは気にとめず、姉妹は向き合った。


 するとソフィアが、少しの間を置いてぽつりぽつりと語り始める。


「……私のには、フィオナちゃんが星の力に目覚め始めてることがわかったの。正直、それがずっと怖かったんだ。だから初めはお姉ちゃんと“姉妹”になるつもりはなかったの。そしたら、もしかしたら隠し通せるかなって。でもダメだった。やっぱり、シャーレ様は最初から知ってた」


 悔しそうな、苦しげな、その一言ずつがフィオナには重たく感じられた。

 ソフィアは自分のワンピースの裾をぐっと強く握りしめながら話す。


「私が天星するのはまだ先だけど、それがいつかはわかんないけどっ、でも、次は間違いなくフィオナちゃんが選ばれちゃう。私、嫌だった。お姉ちゃんを選ぶのはやめてって、言いに来たの。聖女になんてなったら、もう、元の暮らしに戻れない。生命じゅみょうを捧げなきゃいけない。せっかくお姉ちゃんのことを見つけられて、お姉ちゃんがクレスくんと幸せになれて。これからなのに。これからもっと幸せになるはずなのに。そんなの嫌だ」

「……ソフィアちゃん……」

「その分自分ががんばるからって、上手く交渉して、さっさと帰るつもりだったの。けど失敗しちゃった。甘かったんだ。私はいつもそう。レミウスにもずっと怒られてた。どうしようってすっごく焦っちゃって、それでもなんとかしなきゃって思って、だけど上手くいかなくて、そしたら、フィオナちゃんが来てくれた。迎えに来たよって、すっごく嬉しかったよ。でも、でも――」


 ずっと握られていたソフィアの手が、ほどける。ワンピースには大きなしわが出来ていた。


 ようやく、ソフィアはフィオナと目を合わせてくれる。


 ソフィアの大きな美しい瞳は、水面のように揺らぐ。


「お姉ちゃんのことっ! 巻き込みたく、なかった、のに。結局、こうなっちゃった。あーあ、どうして、一人で上手く出来なかったのかなぁ。違う方法があったら、上手くやれたのかな? 私、お姉ちゃんに何もしてあげられてない。私が守りたかったのに、なんで、私は、ミレーニア様みたいに、なれないんだろう。ほんと、ダメダメ。こりゃ不完全な聖女ですよねぇ」


 笑みを浮かべるソフィアの瞳から、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちた。

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