♯174 ソフィア奏でる

 クレスとフィオナが案内されたのは、いつもお茶会を行う聖女の庭――ではなく、隣接する『聖女の間』である。


 そこでは美しいピアノの音色が奏でられており、遠巻きに幾人かのシスターたちが手を組んで感動していた。中には涙する者もいる。

 クレスとフィオナが目をやれば、ピアノの前に座っているのは法衣姿の聖女ソフィアである。傍らには大司教代理・・のレミウスの姿もあった。

 ソフィアは流麗な指使いで見事に聖歌アンセムを演奏し終える。シスターたちが拍手をして目を輝かせた。レミウスがそちらに目を向けて咳払いすると、シスターたちはそれぞれに頭を下げてそそくさと去って行く。

 それからレミウスが言った。


「素晴らしい演奏でした。ミネット様に追いつくのも時間の問題でしょう」

「そうですか。それではまだまだということですね。お母様に近づくため、わたくしもさらに精進致します」

「結構なことです。それでは、本日はここまでに致しましょう。お疲れ様でした」

「わかりました」


 ピアノの前から立ち上がり、スタスタと庭の方へ歩いて行くソフィア。

 メイドが手でクレスとフィオナのことを促したため、二人も庭の方へと向かう。


 そして庭に出たとき――そこでは法衣姿のソフィアがうつ伏せで芝生の上にぶっ倒れていた。


「わぁ!? ソフィアちゃん!?」


 慌てて駆け寄り、上半身を起こしてあげるフィオナ。クレスもすぐそばに備える。メイドは特に狼狽えることもなくスタスタと去っていった。


 至宝の冠と杖を持っていたレミウスは、それをテーブルの上に置いてからまた咳払いをする。


「――では、翌日に備えてお早めにお休みください」


 それだけ言って、レミウスも法衣を翻して去っていく。


 ソフィアは青ざめた顔でぶつぶつと言う。


「なんで……どうして……聖女はピアノを弾けなきゃいけないのですか……? 公務だけでも忙しいのに、歌も踊りも……ピアノはほんとにむずかしいのです……指がぴきぴきーんてなる……つりゃい……」

「ソ、ソフィアちゃん……練習してたのかな? だ、大丈夫?」

「大丈夫ではありません……もっとごほーびを………………あれ?」


 どこかうつろだったソフィアの目だが、フィオナの顔を見て焦点が合い、星の輝きが宿る。顔色も見る見る間に血の気を取り戻した。


「あれあれあれ! フィオナちゃんだ! クレスくんもいる! 二人ともわたしに会いに来てくれたの!?」

「は、はい。少しお話が出来たらなって思いまして。それから、旅の途中でちょっとしたお土産も買ってきたのでおわたし――ひゃあ!?」


 そこでソフィアが思いきりフィオナに抱きつき、フィオナは思わず甲高い声を上げた。その勢いで二人はそのまま芝生に倒れる。


「いいんだよぉそんなのぉ~~~! 二人が来てくれるのが一番のお土産だもん! はあぁ……ふわふわもちもちすべすべ……。久しぶりのフィオナちゃんの匂い……落ち着くよぅ……すんすん……」

「わわわっ、ソ、ソフィアちゃん! そんなところ嗅がないで~っ!」

「くんくん、くんくん。石けんのイイ匂いするねぇ~」


 仰向けになったフィオナの胸の谷間に顔をうずめながら鼻をくんくんさせつつ、頬やら二の腕やらあちこち触ってほっこり笑みを浮かべるソフィア。されるがままのフィオナは身動きが取れず、羞恥からかちょっぴり顔を赤らめていた。クレスはその光景を見て、何かに納得するかのように力強くうなずいていた。


 そこへティーセットをトレイに乗せたメイドが戻ってきて、早速お茶の準備を始める。


「早々に申し訳ありません、フィオナ様。ソフィア様は多少ご遠慮ください」

「あっ、えっと、わ、わたしは大丈夫ですっ」

「ほら~大丈夫だって。フィオナちゃんは優しいから甘えても許してくれるんだよ~。んふふっ、フィオナちゃんにくっついてると癒やされるなぁ~」

「ソフィアちゃん……」


 子どものようにフィオナへと甘えるソフィア。


 フィオナはそんな彼女を見つめ――そしてソフィアにだけ聞こえるようにぼそっとつぶやいた。



「……“お姉ちゃん”には、甘えてもいいよ」



 その発言に。

 ソフィアがバッとフィオナの顔を見上げた。その真剣な表情に、フィオナはちょっと驚いてしまう。

 それからソフィアはフィオナの手を掴み、立ち上がった。


「フィオナちゃん、来て」

「え?」

「いいから来てっ!」

「は、はいっ!?」


 駆け出す二人。クレスが「えっ」と動揺の表情を見せた。

 ソフィアは走りながらクレスたちに向かって言う。


「ちょっと女の子だけの大事なお話をしてきます! クレスくんはうちのメイドとティータイムしててね! あと寝所にはしばらくぜったい立ち入り禁止だから~~~!」

「え? あ……」


 そのまま城内へ入っていった二人の背中は、あっという間に見えなくなる。最後に「レミウスも今夜は入っちゃダメだから~! 入ったら公務さぼるからねー!」という声がかすかに聞こえてきて、それからはもう静かになった。


 庭に残されたのは、呆然とするクレスと手を止めないメイドの二人のみ。

 メイドは落ち着いた表情で茶葉の蒸らし具合を確認すると、氷をたっぷりと入れたグラスにリーフティーを注ぐ。


「クレス様、準備が出来ました。こちらへどうぞ」

「あ、ああ。ありがとう」


 ゆっくりとテーブルに向かうクレス。メイドは自然な流れで椅子を引き、クレスをそこへ座らせると、早速グラスを差し出してくれた。カランカラン、とグラスの氷から涼しげな音が鳴る。

 クレスはしばらくグラスを見つめてから、傍らに立つメイドの方へ視線を移した。


「よ、よくわからないのだが……一緒にどうだろう?」


 続けて茶菓子の用意をしていたメイドは、ポーカーフェイスのまま返した。


「……少々長くなりそうですね。恐縮ですが、お付き合い致します」


 クレスは少しホッとした。

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