隻腕の剣士6

「う、ぐ……が……」


 突然力が抜け、糸の切れた操り人形のように床に転がった慎一郎。必死に身体を動かそうと思っているが指先一本ぴくりとも動かない。


 それだけではなかった。ベルフェゴールに届く寸前だった三十二本の〈エクスカリバーⅢ改〉が次々床に落ちていく。不可視の腕で持ち上げようとするものの、全く動く気配がない。


「何が起こったのかわからない、そんな顔をしているな」

 玉座の間の床に落ちた三十二本の〈エクスカリバーⅢ改〉をまるで絨毯のように踏みつけながらベルフェゴールがやってきた。


「特別に教えてやろう。動物の身体というものは脳から出た命令を魔力を媒質に全身に伝えることで動かすことができる。魔力とは魔法の元となるエネルギー源であり伝達物質だ。その流れをカットした」


 ベルフェゴールは慎一郎の頭を掴んで持ち上げた。指の一本も動かすことができない慎一郎はなすがままだ。


「つまり、今貴様の頭と身体は別人になっている」

 ベルフェゴールがだらりとぶら下がっている慎一郎の胴体に強烈な拳を食らわせた。

「ぐふっ……!」


「しかし、頭と身体は繋がっているから痛みは感じる」

「がっ……!」

 慎一郎の頬に衝撃が走った。


「まあ、種明かしをすればこんなもんだ。原理はさほど難しくない。わかってしまえば誰にでもできるし、解除も簡単にできる」

「がはっ……!」


「しかし、貴様自身には戻せない。何故なら、身体を動かすことができないからだ。身体が動かせなければ高度な魔法は使えない。呪文を唱えることも魔法陣を構築することもできない。マジックアイテムを使うこともできない」


 ベルフェゴールは掴んだ慎一郎の身体を持ちながら壁まで歩いて行った。そしてそのまま慎一郎を石造りの壁へと力任せに押しつける。


「ぐはっ……!」

 玉座の壁にめり込む形になった慎一郎はまるで磔刑に処された罪人のように全身をぐったりとさせている。壁に固定されていて頭は正面を向いているのだが、その瞳に何が映っているのか、余人に計り知ることはできない。


「心配するな。貴様の仲間もすぐに同じ運命を辿る。仲間だけではない。地球に住む全ての生物が同じ運命を辿るのだ。安心して待っているがよい」

 ベルフェゴールがゆっくりとその大きな剣を振り上げた。そのまま振り下ろせば目の前の少年の命を絶つことができる。


 ――しかし、そうはしなかった。


「…………!!」

 魔帝は見逃さなかった。動くはずのない少年の左手の指がほんの少しだけぴくりと動いたのを。


「そうは……させるかぁっ!」

 ベルフェゴールは振り向きざまに剣を一閃。その衝撃波によってベルフェゴールの背後を狙う三十二本の〈エクスカリバーⅢ改〉を一掃した。


「どうやって動かしたのかは知らぬが、このような小細工が余に通用……ぐぶっ……!」

 ベルフェゴールが口から紫の血液を吐いた。その左胸からは黒く輝く刃が高々と屹立している。


「ば……馬鹿な……」


 〈ドラゴンハート〉が不可視の腕に操られてベルフェゴールの身体を背から胸に貫いていた。そこは漆黒の鎧と濃紺の鱗によって守られている部分であったが、まるで臣下が王に進む道を譲るかのように鎧と鱗の間を抜けてベルフェゴールの身体に達していた。


 それが竜王の意思ドラゴンハートである。


「〈副脳〉をバイパスして身体と〈浮遊剣〉を制御してみたけど……」


 頭と身体の間の魔力のやりとりを封じられた慎一郎は、一か八かで身体の制御を〈副脳〉に任せてみた。〈副脳〉は慎一郎自身と魔術的に接続されており、しかも遺伝情報的には慎一郎と全く同じであるから〈副脳〉で身体を動かせないかと考えたのだ。


 そしてその試みは成功した。彼自身の身体はうまく動かないが不可視の腕はそれなりに動かすことができるようだった。三十二本の〈エクスカリバーⅢ改〉を背後から囮として攻撃させ、本命である〈ドラゴンハート〉で魔帝に致命傷を与えることができた。


「くそっ。まだうまく身体が動かない」

 よろめきながら頭に手を当てて首を振る慎一郎。


 慎一郎は不可視の腕を使ってようやく壁の中から出ることができた。まだ身体の動きは覚束ないが、なんとか立つことはできた。


 魔帝の身体から〈ドラゴンハート〉を引き抜いた。ベルフェゴールはふらふらと数歩歩いたところで足を止めた。

 そこで慎一郎は気がついた。心臓を貫いたにしてはベルフェゴールの出血が少ないということに。


「咄嗟に心臓を右胸に転移させねば死ぬところであった……」

 ベルフェゴールがゆっくりと振り返る。その顔は憤怒の色に染まっていた。


「許さんぞ、小僧……。よくもこの余に死の恐怖を味わわせてくれたな……!」

 ベルフェゴールが慎一郎に向けてゆらりと歩き始めた。その右手は強く剣を握りしめており、魔帝の怒りを表わしているかのようだ。

 それに対応するために取り落とした〈エクスカリバーⅢ改〉を拾い、ベルフェゴール向けて斬りかかる。


「無駄だ! 貴様の攻撃パターンはすでに読んでいる!」

 その言葉通り、ベルフェゴールは雨のように降り注ぐ〈エクスカリバーⅢ改〉の全てをたたき落とし、また回避してそれでもなお悠然と慎一郎に迫ってくる。


「くっ……!」

 慎一郎が一歩下がろうとした。しかしそこは先ほどまで慎一郎がめり込んでいた壁があり、それ以上下がることができなかった。


「うがぁっ!」

 ベルフェゴールが力任せに剣を横薙ぎにした。慎一郎は〈ドラゴンハート〉を剣と身体の間に回り込ませ、さらに剣を持っていない三本の不可視の腕を使って勢いを相殺させるために横に飛んだ。


 みしりと左腕の骨が割れる音がした。そのまま瓦礫の山に頭から飛び込んだ。


 激しい痛みを感じるがそれどころではない。慎一郎は不可視の腕を使って周囲の瓦礫をどけて立ち上がった。


「がぁぁっ!」

 再びの衝撃。頭に激しい衝撃を受けて大きく吹き飛ばされた。慎一郎は玉座の間の中央付近に転がった。


「楽には死なせん。存分に苦しませ、仲間の首の前で生まれてきたことを後悔させながら少しずつ命が失われていくことを感じるが良い」

 いつの間にか目の前にやってきていたベルフェゴールが慎一郎の肩を力任せに踏みつけた。


「あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」

 ぱきんと腕の骨が砕ける音がした。それでもベルフェゴールの動きが収まることはなく、傷を抉るようにぐりぐりと踏みつける。細かく砕かれた骨がジャリジャリと身体の中で不快な音を立てた。


「おっと、まだ寝るのは早い。楽になぞさせてたまるか」

 薄れゆく意識の中、先ほどと同じように頭を掴まれて身体が浮き上がる感覚の直後に頭を水に突っ込まれる感覚があった。


「ぐぼっ……!? ぐぼがあぁぐぼぼぼ……」

 息ができずに必死でもがく。それでも呼吸はできず、再び意識が薄れていくと頭が引き上げられた。


「げほっ、げほっ……!」

 床に放り捨てられた慎一郎が見上げると、そこには仁王立ちになったベルフェゴールが立っていた。左の手のひらを上に向け、その先には球状の水の固まりがふわふわと浮かんでいた。魔法で作り出したあの水の球に顔を突っ込まれたのだろう。


「そらよ」

 動けない慎一郎にベルフェゴールが再び水の球を押しつけてきた。


「うぐ、ぐ……うぅぅぅぅ……!」

 もはやもがくだけの力も残っておらず、身体から少しずつ力が抜けていくのが自分でもわかった。水が容赦なく口腔を蹂躙し、それを否とも思わなくなっていき、意識が暗転した。

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