七夕の夜

七夕の夜1

                        聖歴2026年7月7日(火)


 今日は浅村と栗山が地下迷宮にかけるはしごを作るということで一日休みになった。二人は今ごろ、〈竜海の森〉へ竹を切りに行っているはずだ。

 二人は森へ行く前にあたしの所へやってきて、竹を切っていいか聞きに来ていた。まあ、確かにあの森はうちの――〈竜海神社〉の敷地だけど、わざわざ許可を取る必要もないと思う。意外と律儀なところあるんだなあと思った。


 そういうわけで思わず転がり込んできたフリーな一日。学校に閉じ込められて自給自足しなきゃいけないという事情があるから、さすがに遊んで過ごすっていうのもなんか居心地悪い。


 斉彬さんは今日の自由時間をトレーニングに費やすって言ってた。スタミナを付けるために下半身を強化するとかなんとか。きっと今頃は校庭――というよりもう“農園”に近いけどね――の周りを走ったりしているに違いない。


 こよりちゃんは朝から図書室に行っている。薬草の効率いい調合方法を研究すると言っていた。こよりちゃんはあのマンドラゴラ――ゴラちゃん――の一件以来、薬草の調合にハマっている。


 外崎さんは部室にいない。多分、いつものように鍛冶部の部室か炉で何か打っているんだろう。あの先輩、いつも何か作っているけど完成品をほとんど見たことがない。普段何をしているのか興味がないと言えば嘘になる。


 浅村と栗山、それにジーヌは今言ったようにはしご作りに行っている。


 こうして皆、今日の休日をそれぞれ迷宮攻略に繋がることをして過ごそうとしている。

 じゃあ、あたしもそうしようか……。でも、何をしよう?

 あたしの〈竜王部〉での役割は回復魔法とお弁当だ。新しいお弁当のメニューを考えてもいいけど、やっぱりここは回復魔法の研究かな。効率のいい白魔法はみんなの行動の選択肢に直結する。




「うわぁ……」

 部室にやってきたあたしは思わずうめいた。あまりに酒臭かったからだ。


 学校の内部で酒の置いてある場所などあるわけがない。ただし北高では二箇所を除いてという、但し書きが付いてしまう。

 この〈竜王部〉部室と保健室だ。


「辻先生! 部室で飲んでる!」

 あーもう臭いと窓を全開にした。雨上がりの涼しい風が部室を通り抜けていく。


 風に頬を撫でられたのか、酒の匂いの元凶、部室の机に突っ伏して寝ていた辻綾子先生がむくりと起き上がる。その手に握られたお酒の入ったグラスは手放さずに。

「ん? ああ、高橋か。なに、保健室の酒が切れたからな」

 そう言ってグラスに入った琥珀色の液体を一気にあおる。辻先生の顔が幸せに包まれているのが見えた。


「いつも言ってるじゃないですか。部室でお酒、飲まないで下さいって」

 この部室にはお酒が置いてある。もちろん、部員達が飲むものではない。〈竜王部〉顧問である辻先生が保健室に置ききれないと置いていったものだ。


「まあそう固い事言うな。この銘柄は保健室には置いてなかったんだよ」

「だったらここで飲まずに保健室に持っていけばいいでしょう」

 先生からグラス――いつの間にか空になっていた――を取り上げ、廊下の流しで洗ってきた。


「ところで高橋」

「何ですか?」

「何でお前、こんな時間にここにいるんだ?」

 辻先生は持っていたお酒の瓶に直接口を付けてグビグビと中のものを飲んでから聞いた。「うわぁ」と思わず顔をしかめそうになったが慌てて堪えた。多分気づいていないと思う。


「今日の迷宮探索は中止になったんですよ。それで自由行動になって――」


 自由行動になって、あたしは何をしよう?

 特に何も決めてないけどとりあえず部室に来たことを思い出した。これじゃあんまり辻先生のこと言えないな。……いや、部室でお酒飲んでる人には言えるでしょ!


 そんなことを考えている間に、辻先生の独り言とも言える一言が耳に入った。

「ちっ、失敗したな……」

「ちょっと先生、どういうことですか? もしかしてまた部室で夕方までお酒飲むつもりだったんですか?」

「な、何のことだ……? わ、私は今まで部室で酒なんて一度も……」

 辻先生の視線がふらふらと宙をさまよう。これで騙せたと思っているのかな、この人。


「はいはい、そうですね。先生は部室でお酒なんか一度も飲んでませんよね。だから今日も飲まない。いいですね?」

 お察しの通り、辻先生は昼間、あたし達が迷宮探索に行き、外崎さんは裏庭の炉で剣を作っているときによく部室に入ってお酒を飲んでいるようだ。

 夕方戻ってくる頃にはいなくなっているから本人は隠しおおせているつもりらしいが、今朝部室に入ったときのように匂いでバレバレだ。


「さあさあ、先生は保健室に戻って下さい」

「うわっ! ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 辻先生の腕を引っ張って立たせ、扉の方まで連れて行く。

「だーめーでーす。あたしはこれから部室の掃除をするんですから!」

 そう言って先生を扉の外に押し出して、部室の扉をぴしゃりと閉めた。


 後に残されたのは(やや酒臭い)静かな部室。




「さて、どうしようかな……」

 あたしは部室を見回した。部室のソファにカビが生えているのを発見した。


 掃除はしている。毎朝、こよりちゃんと交代で――ここで寝泊まりしている男子達を追い出して――ほうきで掃いて、一週間に一回、ぞうきんがけもしている。こちらは部員全員で行っている。

 しかし、いまここに、目の前にこうして緑色のシミが……。油断していた。梅雨だからと、いつ雨が降ってきてもいいように部室の窓は閉め切っていた。それが逆にカビを繁殖させることになっていたのだ。


 そういえば、さっき辻先生を追い出すときに部室の掃除をするって言ったっけ。

「よし、今日は部室の掃除をしよう!」

 誰もいない部室であたしはひとりそう決意をして掃除用具入れを開いた。確かまだ使ってない新品のぞうきんがあったはずだ。が――


「うわっ……!」

 後ずさりした。掃除用具入れから漂ってくるあまりの悪臭――かび臭さに。ここもカビにやられてしまっていたのだ。


「くっ……!」

 あたしはカビにやられている掃除用具入れの中のぞうきんをそのままゴミ箱に入れ――ちょっ、何で靴下が入ってるのよ! ――ゴミ箱を両手で担いで部室を後にした。


 そのまま、裏庭にある焼却炉へと持っていき、中身をすべて捨てた。焼却炉の隣には鍛冶の炉があるんだけど、そこに外崎さんはいなかった。鉄を叩いている音もしないから、今日は剣は作ってないみたいだ。


 ぞうきんをまとめて捨てたことでようやくあたしの鼻はかび臭さから解放された。

 そのままの足で購買部へと向かう。


 購買部は合唱部員の一部により運営されている。基本的に購買部の物資は無料で受け取ることができる。購入時に名前を書き、解放後にまとめてお金を払うという仕組みだ。校内で唯一〈北高円〉ではなく“日本円”での後払いシステムになっている。

 あとで“日本円”で支払わせることによって購買部に人が殺到することを避け、限りある物資を節約しようということだ。

 しかし、背に腹は代えられない。あたしにはあのかび臭さに耐えられる自信はこれっぽっちもない。

「ありがとうございましたー」

 自分の名前を書き、ぞうきんを二枚、受け取って部室へと戻る。さあ、部室の掃除をしよう。

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