窮鼠猫を噛む3
「……………………!!」
曲がり角から二十メートルくらい直進したところで徹が立ち止まった。続いて他の三人も立ち止まる。
「こ、ここって、もしかして……」
「わたしがレムちゃんで崩した場所だね……」
通路の中央には大きな岩が立ち塞がっており、天井の部分から外からの光が差し込んでいるのが見える。しかしそこは高く狭く、とてもくぐって抜けられそうにない。
振り向くと大量のネズミたちが怒濤の勢いで迫ってくるのを、宙に浮かぶ二本の剣が押しとどめていた。
『はっ!』
だ二本の剣が軽く振り下ろされると袋小路に殺到していたネズミの群れに向かって空気の渦が放たれた。それは多くのネズミを切り裂いたが、ネズミの数にはまるで限りがないかのように次々と沸いて出てくる。
しかし、ネズミたちは慎一郎達が立ち尽くす行き止まりから十メートルほどの位置から先へはやってこない。そこはメリュジーヌの剣の射程範囲にぴたりと一致しており、見えない線が引いてあるかのようだ。
「一体どれだけ出てくるんだよ……」
「どんなに数が多くても、無限に出続けるなんてことはないわ」
そう言って地面からゴーレムを召喚するこより。
「そうね。とりあえずこいつらを全部ぶっ飛ばしてから出方を考えるわよ!」
結希奈の言葉に全員が身構える。どのみち戦うしか選択肢は残されていない。
「どでかい魔法をぶちかましてやる……!」
「いや、待て。何か様子がおかしくないか?」
よく見ると通路をびっしりと埋め尽くしていたネズミたちが動き出すのが見えた。海を割ったという古代の聖者の伝説のように、通路の中心からネズミがすっと引いていく。
「これってまるで、何か――そう、王様を出迎えるみたい……」
果たして、結希奈の言葉は真実であった。まるで導かれるように通路の角から姿を現したのは一匹のネズミ。しかし――
「でかい……」
慎一郎が息をのむ。それもそのはずだ。そのネズミ――それをネズミと言っていいのならばの話だが――の大きさは仔牛ほどもあった。げっ歯類最大ともいわれるカピバラよりもふたまわりほど大きい。
「おいおい、こいつはヤベぇんじゃないのか?」
そう言いつつも徹は呪文を唱え始める。結希奈は防御呪文を皆にかけ、こよりは追加のゴーレムを産み出している。
それは〈竜海の森〉中央部近くに置かれていた。
午後五時。夕日がそれを照らす。聖歴2026年5月9日のこの時間、この角度によって差し込む夕日がそれを起動させる。
放射される魔力。その魔力は周囲の一見雑多な木々や岩、池に伝播していき、意味のなかったそれらの自然物に意味を与えていく。
それらは〈魔法陣〉として機能し、ひとつの形となって〈竜海の森〉全体に影響を及ぼしていく。
それに正しい角度で日の光が浴びせられてからわずか数秒。形作られた魔法陣は固定化し、不動のものとなった。
『……………………』
「メリュジーヌ?」
『…………』
「どうした、メリュジーヌ?」
『……ん? あ、ああ。すまぬ。いやなに、微弱な魔力の放射を感じたのでな。……ああ、くそっ、この身体ではドラゴンの時ほど魔力を察知することができん』
苛立った様子で頭をかいていたメリュジーヌは、やがて気を取り直して通路の先にいる巨大ネズミに注意を向ける。
『シンイチロウ、剣を返すぞ』
「え? わ、わかった」
今までメリュジーヌの力で浮かんでいた剣が一本、慎一郎の手に舞い戻った。
『あの巨体。突進されたら肉体を持たぬわしの剣では受け切れん。お主が二本の剣で対処せよ。わしはサポートに回る』
「わかった」
手元に戻った二本の剣を構える。それまで悠然と構えていた巨大ネズミの雰囲気が変わったのが肌で感じられた。
「来るぞ!」
「任せておけ。雷よ!」
突進してくる巨大ネズミに対して徹の雷の魔法が炸裂した。周囲の小ネズミともども肉体を焦がし、身体のあちこちから煙を出している。しかしさほどダメージを受けたようには見えず、その勢いは衰えない。
『ふんっ!』
さらにメリュジーヌが鋭い一撃を巨大ネズミに食らわせる。小ネズミであれば数匹まとめて葬り去ることのできるその一撃もネズミにはさして効いていないように見える。
「徹は下がって! ここはおれが……!」
「気をつけろよ慎一郎」
『正面からでは無理じゃ! 勢いを殺すのじゃ!』
「わかった!」
剣を二本重ね合わせて突進してくる巨大ネズミにタイミングを合わせる。鋭い前歯を剣で受け止める。一瞬激しい衝撃が慎一郎を襲うが、メリュジーヌに言われたとおり、正面から受け止めることはせず、力を横にそらして巨大ネズミをやり過ごした。
ネズミは派手に通路の壁にぶち当たり、通路が大きく揺れる。
「レムちゃん!」
そこにすかさずゴーレムが取り付く。直後、小規模な爆発が五回。爆発の煙の奥にネズミの巨体がくずおれる影が見えた。
「よっしゃあ!」
「思ったよりたいしたことなかったわね」
徹と結希奈がハイタッチをして歓声を上げる。
『まだじゃ!』
その瞬間、煙の奥から巨体が飛び出した。
「ぐはっ!」
「きゃっ!」
ネズミの近くに駆け寄っていた徹と結希奈を庇ったこよりがネズミの体当たりに吹き飛ばされた。
「くそっ、まだ生きてるのか!」
巨大ネズミは全身を黒焦げにしながらも、その力強さは衰えさせてはいなかった。
素早く慎一郎から距離を取ると、再び突撃の姿勢を取った。
慎一郎はすかさず剣を構えて鼠と対峙する。数歩前に出て、壁にたたきつけられた徹とこより、そして二人を治療する結希奈を庇うような体勢を取る。
『まずいな……』
メリュジーヌの言葉に慎一郎が歯ぎしりをする。ネズミの突進を正面から受けきることはできない。しかし彼の背後には動けない仲間達がいる。万が一攻撃をそらし損ねたときのことを考えると、大きなリスクは犯せない。
二歩、横に動いた。ネズミの視線がそれにあわせて動く。ネズミはこちらを見ている。しめたと思った。
さらに二歩動いた。今度はネズミは身体全体をこちらに向けた。
ネズミと慎一郎の間をむすぶ直線の延長線上から結希奈達をそらすことはできた。しかしそれはネズミの攻撃を受け流せないということになる。
「正面から受けるぞ」
『致し方あるまい。わしも援護しよう』
三本目の剣がふわりと浮かんで慎一郎の頭上をまわった。仲間達が動けない以上、自分だけで何とかするしかない。慎一郎は腹をくくった。
慎一郎が腹をくくるのを待っていたわけではないだろうが、巨大ネズミが全身に力を込めたのが見えた。巨大な前歯が白く光った。
次の瞬間、ネズミがその巨体には似合わない速度で突進してきた。
慎一郎は両手に持った剣を目の前で交差させてそれに対抗する。
歯と剣がぶつかる鈍い音がしたのと同時に、先ほどとは比べものにならない衝撃が全身を襲う。
「ぐっ……!」
ネズミのスピードとパワーに身体が吹き飛ばされそうになるのを懸命に堪える。しかし、スピードに乗った巨体をすべて受け止めきれることはできず、ネズミに押し出されていく。
『ふんっ!』
その時、メリュジーヌのかけ声とともに宙に浮いた剣がネズミの首筋に深く刺さった。しかしネズミの勢いは止まらない。
「なら、これで……!」
慎一郎はネズミの身体を押しとどめている二本の剣のうちの一本を引き抜いて、メリュジーヌが刺したのとは反対側の首筋に剣を深々と差し入れた。
手応えはあった。急所をうまく貫いたのだろう、目の前のネズミの瞳から生命の灯が消えていく。
しかし、それで巨体の勢いが減ずることはなく、慎一郎の身体はネズミの死骸に押されて通路を塞いでいる巨岩へと向かっていく。
『シンイチロウよ、奴の足下に潜り込むのじゃ!』
反射的に言われたとおりにする。慣性のままに進むネズミの巨体の下敷きになり、意識が遠いていく。
「ぐは……っ!」
薄れゆく意識の中、ネズミが岩にぶつかる音だけが聞こえていった。
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