第12話 キーホルダーの夢
「おい休憩だ! 休憩っ!」
榎本の声に気がつくと、急に周りの景色がはっきり見えて、頭がクラクラした。勢い余って尻餅をつく。
「痛っ」
「無理するなと、いつも言ってるだろうが」
あおいは照れくさそうに頭を掻きながら、這いつくばるようにして水分補給用のペットボトルに手を伸ばす。
それにしても、と榎本は思う。
あおいのダンスを最初に見たときの直感が、日を増すごとに確信に変わっていった。
スキルはほとんどなく、おそらくレッスンというレッスンを受けたことはないはず。運動神経も良いとはいえず、リズム感や動きのキレといったところでも特別なセンスがあるとは思えない。
榎本が見慣れてきたプロのアイドルだけでなく、小さな頃からダンスを続けてきた他校のアイドル部員達と比べても、あおいのダンスは足元にも及ばない。
ズブの素人だと言ってよかった。
しかし、見るものを惹きつけるような何かがあった。
だからこそ、誰もいない体育館で一人踊る姿に目を奪われた。この姿を見れば、生徒達がアイドル部に興味を持つかも知れないとさえ、榎本は考えた。
なぜ、あおいのダンスが特別に思えるのか。
榎本自身にもまだ、その理由が説明できるわけではなかった。
「大原、立てるか」
「すみません」
あおいは目を離すといつも、榎本が止めるまでひたすら踊り続けた。そうなったときは決まって、既にラジカセから音楽が流れていない。音が止まった後でも、彼女の中で何かしらのリズムが刻まれ続けているようだった。
「そら、言わんこっちゃない。もういい時間だし、今日はこの辺にしよう」
「ごめんなさい……」
そして気づけば、
もしかすると何らかの可能性や素養はあるのかもしれない。けれど今の状態では、まともに一曲踊りきることすら程遠かった。
「まったく。いつでも俺が見ていられるわけじゃないんだぞ」
榎本は思う。
こういう子にこそ、支えてあげられる仲間が必要なのだと。
大事なときに支えてくれる仲間がいれば、今からでは想像もできないほど大きく成長するに違いないのだと。
そういうアイドルを、榎本はずっと見てきた。
それは自分のような大人ではないということも、榎本はよく分かっていた。
例えるならばそれは、志を同じくし、力強くて頼りになり、いざというときには身を挺してでも守ってくれるような――
途切れることなく差し込まれていた日差しが、背の高いシルエットに遮られた。
茶色の長い髪がやや強めの春風に揺られる。
しかしその体は、一本の芯が通っているように凛として動じない。
「返して、キーホルダー」
榎本は一瞬とぼけたふりをした。その後すぐに、「ああ」と呟きながら
「これか」
茜音の顔に血が上る。血眼になりながら、榎本の指にぶら下がるキーホルダーに手を伸ばした。
「それって」
突然現れた茜音に目を丸くして固まっていたあおいが、その瞬間、我に返った。
キーホルダーをじっと見つめている。
紫色をした右肩上がりの三角形は、彼女にとっても見覚えのあるものだった。
「FORTE」
茜音が、そう呟いたあおいに目を向ける。そこには初めてあおいに向けたような凄まじさは無く、戸惑いを感じさせる揺らいだ瞳だけがあった。
「じゃあ、もしかして部室のポスターって」
榎本はキーホルダーを手渡した。
「鵜久森だよ。あれをあそこに貼ったのは」
「おい、なに勝手に……!」
「本当ですか?」
まだその場にしゃがみこんだまま、様子をうかがうようにしているあおいの視線が、茜音に向かって真っ直ぐ注がれている。
茜音は無意識に手を強く握りしめていた。
開いた手のひらは汗ばんでいて、その上にキーホルダーが確かにあった。
それをじっと見つめてから、何かを噛みしめるようにしながら、もう一度ぎゅっと握りしめる。
「だったら何だよ」
茜音は強く目をつむった。
何かが崩れ去っていく音がする。
ゆっくり様子をうかがうようにして、茜音が閉じた目をそっと開く。
「やっぱり……!!」
パッチリと目を見開いて立ち上がるあおいの姿があった。
「先輩じゃないかと思ってたんです!!」
茜音は、初めてあおいに気圧された。
「ということは」
あおいの方はすっかり疲れを忘れているようだった。
子供のように、無邪気な様子で茜音の手をとった。
「戻ってきてくれたんですね!!」
「ち、ちがう」
茜音がやっとのことで声を発する。
しかしその言葉で、あおいの目には寂しげな色が浮かんだ。
「え」
その表情が、重なった。
目の前にある捨てられた子犬のような瞳と、茜音が幼い頃から憧れ続けた瞳が、そこに同時に存在するようにして重なる。
FORTEの馬場絵里。
茜音は金縛りにかかったように身動きを取ることができない。その瞳から目を離すことすらできない。
「鵜久森」
榎本の声はいつになく柔らかく聞こえた。
「もう、いいじゃないか」
そう言いながら叩いた肩は、あおいのものだった。
「先輩」
体育館の中にある全てが一度そこに集約され、次の瞬間、爆発的な振動を伴って全体へと広がっていく。
「一緒にアイドルやりましょう」
ちんまりとした両手で強く握られた手。
邪心がなく、無垢な瞳は何よりも真っ直ぐだった。
小さな体からほとばしる意志の光は明るく、茜音の中にある何かを照らして示した。
彼女にしては小さくささやかな声だった。それでもそこに込められた思いは、これまで彼女が発したどんな言葉よりも確かなものだった。
茜音は、「うん」と小さく頷いた。
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