File23:厄災は向こうから

 時は僅かに前に遡る。


 ジェシカ・マイヤーズの人生は順調に進んでいた。少なくとも一度死んだ人間にしては……いや、むしろ一度死んだからこそ、より人生を有意義に過ごそうという意識が強くなったのかも知れない。


 あの【悪徳郷】との戦いの後……。あのモニカという少女と、そしてそれに協力したローラ達や『死神』の尽力によって死の淵から蘇生したジェシカ達。


 友達のマリコには自分が人狼であるという秘密がバレてしまったが、マリコは絶対に誰にも……同じバンド仲間で友人のローレルやペネロペにも話さないと誓ってくれた。


 あの戦いの舞台となった廃病院では、ほとんどの敵の死体が消えてしまったが、一部〈信徒〉達などの死体は残っていた。それで整合性を取る為に、ローラがその〈信徒〉達を誘拐犯・・・という事にして辻褄を合わせた。


 マリコや他の生き残った女性達はその誘拐犯・・・達に監禁されていたが、ローラやジェシカ達が無事に助け出したという事で収まり、マリコの両親やローレル達もそれで納得させる事ができた。


 母親も怪物に襲われて、あのリンファという刑事が守ってくれたらしい。勿論その後機会を設けてしっかりお礼は言っておいた。尤もその後も事あるごとに興奮した母親から、その時の事を聞かされるのには辟易したが。




 そうしてこれまでの様々なゴタゴタも片付いて、概ね平穏な日々を送っていたある日の事。ジェシカは通っている大学からの帰り道にあるコーヒーショップに立ち寄っていた。店のテラス席に目を向けると、待ち合わせ・・・・・の人物が既に座っているのが見えた。ジェシカはその人物に手を挙げる。


「よう、先輩・・! 久しぶり!」


「……! ジェシー。ええ、そうね。かれこれ数か月ぶりになるわね」


 対面に座ったジェシカに対して、その人物――ヴェロニカ・ラミレスが苦笑する。2人は同じ高校、大学の先輩後輩の間柄であったが、ヴェロニカは最終学年に入ってから論文や就職活動などで忙しく殆ど大学には来ていなかったので、こうして直に会うのは彼女の言う通り数か月ぶりであったが。



「ローラさんから聞いたけど就職決まったらしいじゃん。順調みたいで良かったよ」


「ふふ、ありがとう。いきなり大手は無理だし、小さな映画スタジオだけどね。そういうあなたも結構順調らしいじゃない? ローラさんから聞いたけど、バンドの動画配信始めたんですって? 私も見てみたけどチャンネル登録者数の伸びが凄いじゃない」


 ヴェロニカが褒めるとジェシカは満更でもなさそうに頭を掻いた。


「はは、まあこんなご時勢だからな。中々実地じゃ観客を集めにくいし、ペネロペの提案でYou tubeでやってみようって話になってさ。あいつ元々そっち方面に興味があったらしくて、あれよあれよという間にセッティングしてくれて、今じゃ御覧の通りって感じさ」


 カメラに向かっての演奏なので臨場感はどうしても得られないが、そこはまあ我慢するしかないだろう。だがネットでの反応も上々であり、コメントなどで応援してくれる人も増えて、また視聴者の感想を直に聞けるのは中々新鮮な体験でもあった。


 動画に広告を付けて再生数が伸びるとそれに応じて広告収入がもらえるし、何よりこの街だけでなくアメリカ全国、ひいては世界中の人に演奏を見てもらえるチャンスがあるので、これからの時代はネット配信だとペネロペが熱く語っていた。


「彼女、目の付け所が良いわね。映画の仕事もテレワークで出来る部分は切り替えていくって風潮になってるし、時代の流れって事なんでしょうね」


 ヴェロニカがしみじみと呟いた。社会の在り方が変化していくなら、それに合わせていける者だけが成功するのだ。彼女達も例外ではない。


 今いるこのコーヒーショップも一時期休業しており先月から再開しているものの、席数が大分減って閑散とした印象になっている。どこも生き残りや順応には必死だ。


 ジェシカが咳払いする。



「まあ、それはそれとしてだ。今回久しぶりに会おうって言ったのは、やっぱりコレ・・についてか?」


 ジェシカが何もない上空を指差しながら確認する。それだけで伝わったらしく、ヴェロニカは真面目な表情になって頷いた。


「ええ……やっぱりあなたも気付いていたのね。……今またこの街全体を何か良くないエネルギーのような物が覆っているわ」


「やっぱりかよ……。ここ最近、アタシも魔力だけじゃなくて今までに嗅いだ事が無いような奇妙な臭いが鼻につくようになってたんだ。絶対にまたなんか起きてるよな、この街で」


「ええ。私としては最近ニュースでも取り上げられている連続失踪事件が怪しいと睨んでるの。目撃者の話だと犯人は悪魔・・みたいな姿をしていたって話もあるみたいだし」


 勿論普通は荒唐無稽な情報として弾かれる類いの話だろう。だが彼女達にとっては荒唐無稽でも何でもない。



「……ローラさんも警部補に昇進したし、多分捜査に関わってると思うんだけど、案の定というか事件については何も話してくれなかったよ」


 単に事件の事だけについてなら捜査上の機密などもあるから解るのだが、それとなく街に漂う不快な魔力について話を向けてみても、むしろ更に頑なな態度で話を打ち切られてしまった。


 尤もその理由はなんとなく想像がつく。


「……もう私達を人外の事件に巻き込まないと決めているんでしょうね。悔しいけど……私達は半年前に一度死んでしまった・・・・・・・から」


「……っ。だよなぁ……」


 ジェシカは嘆息する。後でナターシャに聞いた所では、ジェシカ達の死体・・を前にしたローラの取り乱しようは目も当てられない程だったらしい。


 自分達の力が及ばなかったばかりにローラに辛く悲しい思いをさせてしまった事は、どれだけ悔やんでも悔やみきれない。ローラが同様の事態を怖れて、自分達を人外の事件から遠ざけようとするのもある意味では当然の成り行きだろう。そんな優しいローラだからこそジェシカもヴェロニカも惚れた・・・訳であって。


 しかしだからと言って、ローラがもし再び人外の事件に関わったとして、何の力にもなれずに自分達だけ安全な場所にいる気はジェシカには無かった。ヴェロニカも同様だろう。


 問題はローラ自身がそれを拒絶している為に助勢のしようがないという点だ。



「ローラさんの匂いは記憶してるし遠巻きに尾行して、いざって時になったら飛び出すってのはどうだ? 一回戦闘に突入しちまえば、後はなし崩しに行くはずさ」


「それは無茶よ。そんな都合よく・・・・ローラさんが怪物に襲われるとは限らないし、襲われるまでずっと尾行し続けるのも現実的じゃないでしょ?」


「う……そりゃまあ……」


 ヴェロニカに素気無く却下されてしまう。すると今度は彼女が少し悪そうな笑みを浮かべて提案してくる。


「日本の諺に『将を射んと欲すればまず馬を射よ』という物があるわ。それに従ってまずはミラーカさんに相談してみるべきじゃない? あの人はローラさんのスタンスに全面的に賛同してる訳じゃなさそうだし」


 ミラーカを馬扱いするヴェロニカに唖然とするジェシカ。このラテン系の美女はごく偶にだが、怒らせると怖い腹黒い一面を見せる事がある。


 だが現実的に考えてそれしか方法はなさそうだ。ミラーカを説得できれば、彼女を通してローラの考えを翻す事ができるかも知れない。



 何とかローラ達が巻き込まれるだろう事件に関わりたいという意思を見せる2人。しかし……彼女達があれこれ試行錯誤するより先に、切欠は向こうからやってきた。


 とりあえずの方針を決めて2人が帰路に着こうとした時だった。



「……先輩、気付いてるか解らないけど、アタシら尾けられてるぜ」


「え……?」


 ヴェロニカが目を瞠って反射的に後ろを振り返ろうとするが、ジェシカがそれを制止する。


「待った! このまま気付かない振りして人気のない所まで行こうぜ。尾けてる奴等、どうも変な臭いがしやがる。最近街に漂ってる臭いを更に凝縮したような酷い臭いだ」


「……!」


 ジェシカの嗅覚は確かだ。彼女がそう言うからには、その尾行者はこの街を覆う嫌な邪気と何か関係があるのかも知れない。


 ヴェロニカは頷くと、ジェシカと連れ立って何気ない会話を続けながら、徐々に街の中心から外れた路地に入っていく。幸か不幸か街には以前のような雑多な人通りは少なくなっていたので、人気のない場所はあちこちに点在している。


 そんな中の1つ、寂れた工場の敷地に入り込んで、そこで足を止める2人。周囲には人の気配が無く、ここなら他人を巻き込む・・・・心配はなさそうだ。



「……よう、そっちもアタシらが気付いてるって気付いてんだろ? 出て来いよ。ここなら余計な邪魔は入んないぜ」


 ジェシカが尾行者に挑発的な台詞を投げかける。すると……


「……!」


 敷地に3人の男達が入ってきた。全員スーツにネクタイのビジネスマンのような出で立ちであったが、このような場所では何とも浮いて見えた。


「私達に何か用ですか? この街を覆う邪気と何か関係があるんですか?」


 自らの霊力を高めながらヴェロニカが静かに問う。それに対する男達の返答は……


「……確かに『特異点』の影響を強く受けているな」

「『ゲート』の完成に支障が出る」

「お前達を抹殺する」


 男達の身体から急激に殺気と……そして魔力が噴き上がった。問答無用。どうやら戦う以外に選択肢が無いようだ。


 それと同時に驚くべき事象が起きた。3人の男達の身体が内側から剥がれて、中から全く別の異形の生命体が現れたのだ。それは皮膜翼を備え、細い尻尾の生えた『悪魔』のような姿をしていた。


「お、おいおい、悪魔だって? マジかよ!?」

「……っ! 来るわっ!」


 まさに聖書や物語の中から飛び出してきたような『悪魔』の姿にジェシカが瞠目するが、悪魔達はこちらの反応には頓着せずに容赦なく襲い掛かってきた。

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