File25:ナターシャの決意

 夜の人気のない埠頭。そこに一台の車が停まっていた。運転席には赤毛の女性記者……ナターシャの姿がある。彼女の顔は緊張と……そして僅かな苦しみに彩られていた。


 彼女は現在、人と待ち合わせをしていた。彼女自身なるべく人目に付きたくなかったので、この場所この時間を待ち合わせに指定したのだ。


 そして待つ事しばし……



「待たせたな」

「……!」


 いつの間に現れたのか車の側に男が1人佇んでおり、ナターシャの返事も聞かずに助手席のドアを開けて車に乗り込んできた。彼女の同棲相手・・・・であったクリストファー・ソレンソンだ。


 あんな事・・・・があった後だというのに、その顔は至って平静に見える。


「本当に1人のようだな。てっきりミラーカの仲間達が隠れ潜んでいて、俺が現れた途端襲ってくるかと思っていたぞ?」


「……そんな事しないわよ。それに今のあなたなら、彼女達が本当に隠れていたとしても察知できるんでしょう?」


 クリスには異星の技術による超高感度のセンサーが内臓されており、なまじ魔力などを用いない無機質な技術だけに遮蔽や偽装は不可能で、どれだけ気配や魔力を殺してもお構いなしに察知されてしまう。


 クリスは肩を竦めた。


「そうだな。そしてその様子だとミラーカから全て聞いたようだな?」


「ええ、聞いたわよ……。【悪徳郷カコトピア】ですって? 解ってるの? あなたが組んでいる連中は人に仇名す邪悪極まる魔物達なのよ?」


 ナターシャが糾弾するが、クリスは全く悪びれた様子もない。


「ふ……お前に言われるまでもなく解っている。しかし世間一般から見れば今の俺も奴等と大差ない化け物だろう?」


「そんな事……」


「それに俺自身の目的・・・・・・を達成するのに奴等と組んだ方が都合が良かったんでな。それももうミラーカから聞いているはずだな?」


「……っ」

 クリスの目的。それは……ミラーカの抹殺。そしてローラを奪い取る・・・・事。彼はずっとローラへの妄執に身を焦がし続けていたのだ。ナターシャは胸を締め付けるような圧迫感から拳を握り締めた。


「なぜ……ローラなの?」


「何?」


「もう10年も前の事でしょう? しかも破局した原因は明らかにあなたにあった。確かにローラ達の仕返しも度が過ぎていたけど……もういい加減忘れてもいい頃でしょう? 何故そんなにローラに拘るの!? 他に女性がいない訳じゃないでしょう!?」


 それは根本的な疑問だった。クリスならローラに拘らずとも女性に不自由はしなかったはずだ。現にナターシャ自身とて……


 だが彼はかぶりを振った。


「俺にも解らん。だがどうしてもローラでなければ駄目なのだ。勿論この10年、東海岸に移ってNROに入った後も何人もの女と関係を持った。しかしどれも長続きしなかった。他の女と付き合う度にローラの顔が脳裏にチラついた。そして極めつけに、DIAの資料で現在のローラの顔と情報を見てしまい……彼女と再び会うのが運命・・だったという結論に至ったのだ」


「……!」


 アメリカの反対側にまで離れて、気候も風土も異なる場所で仕事や交際に打ち込んできた。しかしそれでも何故かローラの事が頭から離れなかった。そこに持ってきてNROが扱う情報の中に、遠く離れたLAの地にいるはずのローラの情報が入っていて、クリスはそれを知ってしまったのだろう。


 そして『シューティングスター』の事件にかこつけてLAにやって来たのだ。ローラを手に入れる為に。


 クリスがローラを忘れ難かった理由は何なのだろうとナターシャは思った。確かにローラは人目を惹く美貌の持ち主だが、別に他に美女がいない訳でもない。


 或いは人外の怪物達がローラの元に集まってくる理由とも何か関係しているのか。


 いずれにせよ何か明確な理由があるなら妥協点を探れたかも知れないが、クリス自身にも解らない衝動によって妄執を抱いているとしたら……説得も和解も不可能だ。


 ナターシャは再び胸に強い痛みを覚えた。自分ではローラの代わりにはなり得なかった。だが……こうなった以上はローラがジョンと訣別したように、ナターシャもまたクリスと訣別して自らの使命と責務を果たさなければならない。



「そう……じゃあ仕方ないわね。NROにあなたの生存を知らせるわ。あなたが異星人の技術でサイボーグ化した事も併せてね」


「……俺がそれをさせると思うか?」


「止めても無駄よ。もう私は決心したの。ローラの友人として……そして一時とはいえあなたと関係を持った女として、あなたをこのままには出来ない」


「そうか……では、俺も仕方ないな」


「……! 何をする気!?」


 クリスから不穏な気配が立ち昇るのを感じて、ナターシャは咄嗟に護身用に携帯していた拳銃を取り出してクリスに向けた。


「ほぅ……?」


「う、動かないで! あなたには生身・・の部分もある。そこに銃弾が当たればただでは済まないはずよ。車から降りなさい。今すぐにっ!」


「…………」


 ナターシャの精一杯の脅しに、しかしクリスは口の端を歪めただけだった。


「お、脅しじゃないわよ! 早く――――っぁぁ!?」


 怯まないクリスの様子に不安を感じたナターシャが再度促そうとすると、突如彼女の身体が青白いスパークに包まれた!


(な、な、に……が……?)


 急速に意識が遠のいていく中、必死に視線だけを巡らせると……金色のアームの一本が運転席の後ろから回り込んで、ナターシャの脇腹に密着しているのが解った。どうやら彼女との会話中にクリスが助手席の脇から密かに回り込ませていたらしい。そしてスタンガンのような効果の弛緩性のショックを浴びせたのだ。


(……!!)


 それと理解したナターシャだが、それ以上何を言う事も、何をする事も出来ずにそのまま意識を失ってしまった。

 




「…………」


 自分の方に倒れ込んできたナターシャの身体を受け止めるクリス。しばらく彼女を冷たい目で見下ろしていたが、やがて小さく溜息を吐いた。


「本来なら殺しておくべきだろうが……他の連中ならともかく、この女なら捕えてさえおけば俺達の邪魔にはなるまい」


 ニック達も恐らく同意見だろう。ナターシャ自身は無力な人間の女に過ぎない。


(正直殺すには少々惜しいしな……)


 それに曲がりなりにもこの半年間、関係を持った女でもある。殺すよりは捕えておいて、ミラーカ達を撃ち破った後ローラと共にじっくりと『説得』してやるのも悪くはない。


 方針を決めたクリスはナターシャをアジトに連れ帰るべく、彼女を後部座席に移して自らは運転席に座ると、そのまま彼女の車を発進させた。


 車に発信機の類いなど仕掛けられていないのは事前にスキャン・・・・済みだが、念の為途中で彼女の携帯と共に乗り捨てておく事とした。

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