Depravity ~戦士の堕落(後編)

 そして休日明け。2位になった悔しさなどすっかり忘れたドルハルェイは、ウキウキした気分でアカデミーに出勤した。今なら何でも出来そうだ。それこそルェフトスリクにだって勝てるかも知れない。


 浮かれていた彼だが、何故かその日ンリーカはアカデミーに姿を現さず、訓練を休んだ。あんな事があったばかりだからもしかしたら恥ずかしくて休んだのかも知れないな、などとその時は考えていたのだが……


 次の日も、その次の日もンリーカはアカデミーに現れなかった。ドルハルェイは流石に不審に思い始めた。




「あの……ドルハルェイ。ちょっといい?」


 そんな時、1人の女子訓練生が声を掛けてきた。ンリーカではない。周囲を窺うような挙動で声も潜めている。ドルハルェイが瞑想室に1人でいた所に声を掛けてきたのは偶然ではなさそうだ。


「君は……確かンリーカの……」


 それ程成績が良くないので名前は憶えていなかったが顔は知っていた。ンリーカの友人で良く一緒にいる女性だ。


「……ネーリデマよ。同級生の名前くらい覚えててよ……」


「ああ……済まない。それで、ネーリデマ。俺に何か用か?」


 彼女の様子からして、あまり浮ついた用事ではなさそうだ。彼女はもう一度周囲を窺うような動作をして、誰もいない事を確認する。そして彼に向き直った。


「……ンリーカからは、あなたには絶対言わないでって頼まれてたんだけど……。でもやっぱりこれは、あなたも知らないままではいけないと思うの」


「何の話だ? ンリーカが何を言わないでだって? 彼女に何かあったのか!?」


 ネーリデマの様子に彼も徐々に不安を募らせる。そしてその不安は最悪の形で肯定される。


「……あなた、彼女に告白したんですってね? その日の夜時間に彼女……ルェフトスリクに呼び出されたの。大事な話があるからって」


「な……」

 初耳の話に彼は瞠目する。だがこの話の本番・・はここからだった。


「ンリーカは彼をきっちりと拒絶するつもりで呼び出しに応じたの。でも呼び出された倉庫部屋にいたのはルェフトスリクだけじゃなかった。彼の取り巻き達も全員揃っていたのよ」


「……っ!」

 ドルハルェイは自身の心臓の鼓動が速くなるのを感じた。あり得ない。そんな事があるはずがない。だが現実は無情であった。



「あ、あいつらは……寄ってたかってンリーカを……! ルェフトスリクは……これであなたではなく自分がンリーカの初めての男だって……!!」



「――――っ」


「こ、こんな事がアカデミーに知れたら、ルェフトスリク達は罰せられるけど、その代わりンリーカが暴行された事も明るみに出てしまう。だから彼女は泣き寝入りするしか――」


 彼は最後まで聞いていなかった。無我夢中で走り出していた。が今いる場所は解っている。




「ルェフトスリクッ!!」


 多目的ルームに飛び込む。いた。取り巻き共と下品な笑い話に華を咲かせていた。まさかンリーカの事だろうか。奴が飛び込んできたドルハルェイに気付いた。


「よぉ、ドルハ。どうしたんだ、そんなに血相を変えて。仲睦まじい恋人は一緒じゃないのか?」


「……!」


 抜け抜けとのたまうルェフトスリク。取り巻き共が一斉に笑い出す。それで彼はネーリデマの話が本当であった事を確信した。


「貴様ァァァァッ!!!」


 考えるより前に身体が動いていた。触角が怒りで逆立つ。今は当然念動銃もブレードも所持していなかったので、彼は突進しながらルェフトスリクに向かって手を突き出す。そしてサイ能力を発動した。


「ふんっ!」


 だが同時に奴も手をかざしてサイ能力を発動してきた。お互いの念力がぶつかり合って空間が弾ける。だが彼は一切怯まず、衝撃の余波をすり抜けるようにしてルェフトスリクに肉薄する。そのまま固めた拳を奴の顔面目掛けて全力で撃ち込む。


 だがルェフトスリクは両腕をクロスさせてその拳打をガードした。腐っても主席だ。そう簡単にはいかない。だが彼は些かも止まらずに追撃を仕掛けようとして――


「てめぇっ!」

「……っ!」


 取り巻きの1人が発動してきたサイ能力を横からぶつけられて、弾き飛ばされるのは堪えたが大きくたたらを踏んだ。そこに別方向から他の取り巻きが蹴りを打ち込んできた。それもガードした。だが彼の動きは完全に止まってしまう。そこに……


「おらっ!」


 ルェフトスリクが素早く彼の懐に潜り込んで、その掌を彼の腹にあてがう。まずい、と思った時には奴の手からサイ能力が迸っていた。


「……っ!!」


 ゼロ距離で念動の衝撃を喰らったドルハルェイは、吐瀉物をまき散らしながら盛大に吹き飛ぶ。


「がは…っ…!!」


 ダメージで立てない彼の元にやってきたルェフトスリクは、しゃがみ込むと彼の触角を掴んで無理やり自分の方に向かせる。



「……っ」


「へ、馬鹿が……。周囲の状況も読めずに頭に血を昇らせて突っ込む……。だからお前はどれだけ優秀でも二流止まりなんだよ」


「……!」


「あの女も馬鹿だぜ。折角エリートである俺様の女にしてやろうってのに、お前みたいな朴念仁のどこがいいってんだ? ま、下層階級の馬鹿同士で似合いだな。だが外見は悪くねぇから、一足先に頂いてやったぜ。悪かったな、童貞くん?」


 その悪意ある嘲笑に取り巻き共が一斉に追従の笑いを上げる。ドルハルェイは掌を突き破らんばかりに拳を握り締めた。


「ぐ……き、貴様ぁぁぁ……!」


「へ、悔しいか? 残念だったなぁ? あの馬鹿女は自分が輪姦・・されたって事を周囲には知られたくないだろうから泣き寝入りだし、お前だって愛しい恋人の名誉の為にそんな残酷な事はしねぇよなぁ? ま、俺の中古・・だけどな!」


「っ!!」


「どの道お前らロー・ハウスのクズ共がどれだけ騒ぎ立てても、全部俺の家がもみ消しちまうんだけどな! このアカデミー自体、俺の家から多額の寄付金・・・を貰ってるからだんまりさ。だから騒ぐだけ無駄だぜ?」


「……っ」


 ドルハルェイの中の怒りが急速に鈍っていき、代わりに彼を支配したのは途方もない虚無感であった。所詮自分達ロー・ハウスがどれだけ努力しようが、そんな物はハイ・ハウスの奴等にとっては無価値なのだ。自分達の人生など奴等が自由にこねくり回す玩具に過ぎないのだと悟ってしまっていた。 

 

 彼を肉体的、精神的に痛めつけたルェフトスリクと取り巻き達は気分良さそうに笑い声を上げながら部屋を後にしていった。後には無様に床に転がったままのドルハルェイだけが残されていた。ただひたすらにみじめだった。




*****




 ンリーカとはそれ以後お互い気まずくなり、結局別れる事となった。精神的に打ちのめされ恋にも破れた彼は、その後増々『イレフ人の使命』にのめり込むようになっていく。最早それしか彼の心の均衡を保つ術は無かったのだ。


 そんな折、アカデミーの『卒業試験』の日がやってきた。その内容は戦闘能力を試される試練ではなく、奴隷階級であるピールを虐殺するという物であった。


 訓練では優秀な成績を残してきた者も、これまで相手は命なきホログラムだけであった。いざ実戦となれば相手となる『狩人』はホログラムと違い生きているのだ。命を奪う躊躇いが実際の任務に影響してしまう可能性は大いに考えられる。この試験は『命を奪う』事への耐性を付けさせる事こそが目的であった。


 訓練生は皆、頭では解っていたが、やはりいざピールを殺すという段階になると尻込みする者が殆どであった。ピールはやや知能は低いものの、会話能力もあり立派な一個の自我を持った生命なのだ。訓練生達もこれまでピールの世話になってきた者は多い。


 あのふてぶてしいルェフトスリクですら、虐殺という行為には嫌悪感を抱いている様子だった。だが……



「くくく……はははははっ!」


 ドルハルェイは衛星クルベスレフの地表を舞台としたこの試験で、嬉々としてピールを虐殺して回った。逃げ惑う連中を追い詰めて殺す行為に、得も言われぬ快感を覚えていた。


(どうせこいつらは増えすぎて『間引き』される分なのだ。何も躊躇う理由など無いではないか)


 下層階級のロー・ハウス出身であり、常にエリートから搾取される立場でしかなかった彼が、今この場では圧倒的な強者として弱者達の生殺与奪を握っているのだ。その環境に酔いしれた。彼は今まで抑圧されてきた鬱憤を晴らすかのように、容赦なくピールを虐殺し続けた。


 だが彼は些かやり過ぎたのかも知れない。管理局に危険な人物としてマークされた可能性もあった。


 何故ならアカデミーを卒業後、優秀であるはずの彼は『狩人』の査察任務から外され、『地球アース』と呼ばれる辺境の惑星の監視任務に押し込められてしまったのだ。彼のアカデミーでの成績からすると考えられない辞令であった。いくら配置換えを希望しても受理されなかった。


 或いはルェフトスリクが裏で手を回したのかも知れない。ドルハルェイはこれで出世コースから外れたので、大いにあり得る話だ。


(そうか……主席で卒業し、俺からンリーカを奪っただけでは飽きたらんという訳か)


 腸が煮えくり返る思いを抱えながらも、根が真面目であった彼はそれでも監視任務をこなしていた。



 そう……あの謎のエネルギー反応を感知するまでは。



 あの思念波の影響を受けた事で、彼はピール虐殺時の得も言われぬ万能感を思い出してしまい、再びあの感覚に酔い痴れたくて、原始的で弱い地球人相手にそれを求めてしまった。彼は自身が嫌悪する『狩人』と同じ……いや、地球人にとっては『狩人』など比較にならない恐怖の権化と化してしまったのである。


 だが罪とはいつか明るみに出て裁かれる物。


 定期連絡や報告は毎回巧妙に偽装していたはずなのに、どのような手段でか管理局は彼が地球でやっている事を知った。


 リベンジゲーム・・・・・・・の最中、弱いくせにしぶとく抵抗する地球人の女達に苛立ちながらも地力の差で圧倒しかけた時、それは起こった。



 突如上方から複数の念動銃による光線が降り注ぎ、ドルハルェイを貫いたのだ!



「――――っ!!」


 凄まじい激痛と共に、彼は瞬間的に事態を悟った。そしてゆっくりと上空を見上げた。そこには3人の管理局の局員が念動銃を構えた姿で、スラスターによって空中に停止していた。


「……!」


 局員のアーマーにはそれぞれシリアルナンバーが刻印されている。シリアルナンバーはアカデミーにいた時からずっと固定である。そして彼は……3人の内、向かって左側にいる局員のナンバーに覚えがあった。


(ンリーカ……君か。君が来てくれたのか……)


 その光景と思考が、彼が生涯で最後に認識した物となった。意識が永遠の闇へと沈んでいく中で、彼は最後に愛しい女の手に掛かって死ぬ事、そして彼女が自分を止めてくれた事に幸福を感じていた……




*****




「馬鹿よ……ドルハ。あなたは大馬鹿よ。もう少し……待ってくれていれば……」


 ドルハルェイのポッドに乗り込んで操作しながら地球の重力圏から脱出したンリーカは、ヘルメットの奥で涙を流し続けていた。


 彼女はアカデミー卒業後、管理局の内務調査室に志願して所属となっていた。ルェフトスリクには、自分が受けた被害以外にも大量の余罪がある事を確信していた彼女は、ずっと彼等の罪を白日に晒す為に戦っていたのであった。


 ルェフトスリクが実家の権力を使ってドルハルェイを左遷させた事には気づいていた。だがルェフトスリクと彼の家を失墜させる事が出来れば、その左遷は解けるはずだった。その時こそ大手を振って彼を迎えに行くつもりだった。


 しかしもう少しで彼等の罪を暴ける所まで来ていたのだが、彼の実家による妨害が思いの外激しく、動かぬ証拠を固めるのに手間取ってしまった。


 その時間差がこの悲劇を生んだ。監視対象・・・・の異星人を大量に殺戮してしまった彼は、どの道死罪を免れなかった。


「……いえ、元はと言えば私のせいね。私があんな下らない男の企みを見抜けずにむざむざ罠に嵌った事、そして当時あなたと向き合う事に耐えられずにあなたを遠ざけてしまった事が大元の原因よね……」


 最早どれだけ後悔しようと手遅れだ。ルェフトスリクやその取り巻き達は今や刑務所の中だ。彼女は戦いに勝利したのだ。だがそれは虚しき凱旋となった。



 ンリーカは後ろを振り返った。ポッドの中央には、ドルハルェイの遺体が納められた簡易棺が安置されていた。彼女の目に再び涙がこみ上げてくる。


「……さあ、ドルハ。イレフに帰りましょう。……私達の故郷に」


 彼女はイレフ軌道の座標を指定すると、ワームホールのブースターを作動させた。ポッドの前の宇宙空間に歪みが生じたかと思うと、彼女らが乗ったポッドをすっぽりと包み込んで、そして何事も無かったかのように歪みは消失した。


 後にはただ何もない虚無の宇宙空間が広がるばかりであった……

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