File22:ルーファス・マクレーン

 高級住宅街ビバリーヒルズの更に小高い丘の上に建つ巨大な私有地を抱えた豪邸。それがルーファス・マクレーンの自宅であった。


 かつてあのメネスが拠点としていた豪邸からも程近い場所で、色々な意味で嫌な思い出のある場所だったが、ローラは現在それとは別の理由で緊張していた。


「ローラ、顔が引き攣ってるわよ。もっとシャンとしなさい。何のためにここに来てるのかを忘れないようにね?」


 私有地の正門前に立つローラに対して隣にいるミラーカが発破をかける。一応捜査という名目でここに来ているがリンファはいない。ミラーカが止めたのだ。


 『死神』が関わっているとなれば、再び『シューティングスター』と事を構える可能性は高い。リンファは修行中とはいってもあくまで人間の範疇であり、本気・・の『シューティングスター』が相手となるとまだ荷が重いというのがミラーカの判断であった。


 胴体に風穴を開けて死んだ大勢の同僚達の姿を思い浮かべたローラは、ミラーカの言に従ってリンファの代わりにミラーカを相棒役としてこの場に臨んでいた。



 正門前のインターホンを鳴らすと、しばらくしてから応えがあった。


『どちら様でしょう?』


 女性の声だ。恐らく屋敷の使用人か。ローラはスーツの襟を正した。


「あー……突然の訪問失礼いたします。私、LAPDの部長刑事でローラ・ギブソンと申します。本日ミスター・マクレーンは御在宅でしょうか?」


『……申し訳ありませんが、ミスター・マクレーンは現在病気・・で臥せっていまして、お話が出来る状態ではありません。お引き取りを』


 まあこんなセレブにすんなり会えるとは思っていない。ルーファスほどの資産家の有名人が本当に話も出来ない程の大病を患っていたら、とっくに入院してパパラッチ等によってニュースになっているはずだ。


 ローラはミラーカと頷き合った。明らかに怪しい。やはり『シューティングスター』の殺害予告メールはルーファスに届いている可能性が高い。


「そうですか……。ではこれだけご伝言を願えますか? 『私はメールの内容を知っている』と」


『……っ!! ……畏まりました。すぐにお伝えしますので、しばらくその場でお待ち頂けますか?』


 息を呑む気配。どうやらこの使用人の女性はある程度の事情を知っているらしい。固く口留めされているか、もしくはルーファスからかなり信頼されているのだろう。



 言われた通りその場で待つローラ達。そのまま5分ほど経過した後、インターホンから再びあの女性の声が聞こえてきた。


『……お待たせしました。ミスター・マクレーンがお会いになるそうです。ただしここでは目立ちますので、裏にある使用人用の勝手口の鍵を開けておきますのでそちらからお願いできますか?』 


「解りました。すぐに伺います」


 やはり殺害予告メールの事を公にしたくない事情があるらしい。かなり気を使っている様子だ。折角会うと言ってくれている相手の機嫌を損ねるのは得策ではないので、素直に指示に従って勝手口に回る。


 正門と違って目立たない位置にある、半ば生垣に埋もれているような鉄の扉をノックすると、すぐに内側から扉が開いた。


 中から使用人用のいわゆるメイド服に身を包んだ若い女性が姿を現した。まだ30には届いていない、ローラと同年代くらいの女性だ。


 最初その姿を見たローラは息を呑んだ。非常に珍しい……透き通るような銀髪をポニーテール状に纏めているのが目を惹いた。肌も非常に色が薄く、その瞳も透明度の高いグレイブルーだ。


(いわゆる色素欠乏症アルビノって奴かしら……)



「失礼します。私はミスター・マクレーンの使用人でシグリッド・レンホルムと申します。まずバッジを拝見させて頂けますか?」



 名前からして北欧系のようだ。事前にこちらの身分を確認するのも至極当然の措置だろう。余りまじまじと見つめるのも失礼だと思ったローラは、慌ててバッジを出しつつ改めて名乗った。


「ありがとうございます、レンホルムさん。私はLAPDの部長刑事でローラ・ギブソンです。こっちは相棒のミラーカ・スピエルドルフです」


 バッジを確認して偽物ではないと判断した女性――シグリッドは、頭を下げた。


「失礼いたしました。どうぞ、こちらです」


 シグリッドに促されて勝手口から敷地内へ入るローラ達。中はよく手入れされたかなり広い庭があり、精緻な彫像や噴水などのオブジェクトが程よい間隔で立ち並んでいた。


 仕事柄富裕層の自宅を訪問した事もあるローラだが、流石に世界的に有名なハリウッドスターの自宅に入ったのは初めてだ。その庭園に思わず目を奪われて呆けたように眺めてしまうローラだが、女性に促されて我に返る。因みにミラーカの方は流石というべきか落ち着いたもので、逆にローラの反応に苦笑しているようだった。


 庭に備え付けられたプールの側に、屋内への出入り口を兼ねた大きな窓が並んでおり、そこから邸宅の中へ入る。広い間取りのキッチンダイニングを抜けて、調度品の並んだ廊下の先から階段を昇る。


「……広いお屋敷ですが、他に使用人の方はいらっしゃらないのですか?」


 階段を昇りながらシグリッドに問い掛ける。庭園も屋内も他に人の気配が無かった。相当の資産家であるルーファスの、それもこれだけ広い屋敷を彼女一人で管理しているのだろうか。


「住み込みで働いているのは私だけです。ミスター・マクレーンは几帳面な方でそれ程家を汚されないので私一人で充分なのです。庭園に関しては定期的に業者を手配して手入れを行っております。勿論ホームパーティーなどを催される時は臨時で派遣の使用人を雇い入れる事もありますが」


「そうなんですね」


 それならシグリッドがルーファスに信頼されているというのも頷ける話だ。それに今回の事もそうだが、他にも何かとゴシップのネタにされやすい身としては、情報の漏洩を防ぐという面でも都合が良いのは確かだろう。


 エージェントとの打ち合わせは殆ど電話で行っているらしく、映画や取材など仕事関係の人間と会うのも、全てルーファスの方から相手方のオフィスや自宅に出向いているとの事であった。



 2階の廊下を歩いた奥にある大きな扉の前で止まるシグリッド。


「ルーファス様。お連れしました」

「ご苦労、通してくれ」


 彼女が扉をノックすると中から応えがあった。男性の声だ。間違いなくルーファスの物だろう。いよいよ超大物ハリウッドスターとの対面だ。ローラは生唾を飲んで再び緊張に身を固くするが、後ろに随行していたミラーカが肩に手を置いて落ち着かせてくれた。


「失礼致します」


 シグリッドが扉を開ける。部屋は沢山の本や雑誌などが収納された本棚が壁一面に並んでおり、奥にはマホガニーの机、手前には応接セットが置かれている落ち着いた雰囲気の部屋であった。ルーファスの書斎のようだ。そしてそのマホガニーの机には……



「……よく来たね。招いた覚えはないが、歓迎するよ。俺がこの家の主、ルーファス・マクレーンだ。まあ、名乗らなくても解るかな?」



「……!」


 デスクから立ち上がって振り向いたのは、30代後半ほどの黒っぽい髪の白人男性であった。節制の成果か引き締まった身体をしている。


 彼の言う通り、名乗られるまでもなくローラにはこの男性が誰なのか一目で解った。ローラだけでなくこのアメリカ中の殆どの人間が彼の顔を知っているだろう。


(す、凄い……。本当に、あの・・ルーファス・マクレーンと直に会っている……!)


 スクリーン越しに見るのとはまた違った印象で、実物・・は一種のオーラのような物があり、極めて濃い存在感を放っていた。


 その雰囲気に何となく呑まれそうな物を感じて気圧されてしまうが、ミラーカに脇腹を肘で小突かれて正気に戻る。


「あー……突然の訪問失礼致します、ミスター・マクレーン。私はローラ・ギブソン。こっちは相棒のミラーカ・スピエルドルフです」


 ローラが改めて名乗ると、ルーファスは彼女とミラーカの顔を見て、ほぅ……という感じで若干目を細めた。


「君達は本当にLAPDの刑事なのか? まあシグリッドが通したのだから間違いないだろうが、だとしたら映画やドラマも顔負けだな。現実も中々捨てた物じゃない」


 俳優らしい感想を述べるルーファス。使用人のシグリッドも美女だし、普段仕事柄美女に接する機会が多いはずのルーファスからそのような評価をされれば悪い気はしないのは確かだ。


「あ、ありがとうございます、ミスター・マクレーン。今日私達が伺ったのは……」


「ルーファスだ」


「え?」


 突然遮ってきたルーファスに、ローラは目を瞬かせる。ルーファスは少し面白そうな表情になっていた。


「ミスター・マクレーンなどといつまでも呼ぶのは不便だろう? ルーファスで良い」


「え……で、ですが……」


 流石に今日訪ねたばかりの、しかも超大物スターの彼をいきなりファーストネームで呼ぶのには抵抗があったが、


「気にしなくていい。君達は知らないかもしれないが、美しい女性から名前を呼んでもらえるというのは、世の大半の男からすればご褒美のような物なんだよ」


 そう言っておどけたように片目を瞑るルーファスの姿に、ローラは不必要に緊張していた事を自覚した。恐らくルーファスは彼女の緊張を解す為に、敢えて冗談交じりにこのような事を申し出ているのだろう。勿論幾ばくかは本心も混ざっているのだろうが……


「そういう事なら、ルーファス。これでいいわね?」


 ローラの心理的抵抗を軽減させる為か、ミラーカが率先して名前呼びをしてくれた。ルーファスは本当に構わないようで大きく頷いていた。それでローラも心を決めた。


「解りました。それでは……ルーファス。今日私達が伺ったのは、あなたが『シューティングスター』の殺害予告メールを受け取っているだろうと予測を付けた為です」


「……! ふむ、やはりか。この事を知っているのは俺以外ではシグリッドだけのはずなんだが……」


 ルーファスは否定しなかった。そして扉の前で控えているシグリッドに視線を向ける。彼女にあらぬ疑いが向けられる前にローラは慌てて手を振った。


「い、いえ、彼女から聞いた訳ではありません。私達には非常に情報に明るい伝手・・がありまして。『彼』からあなたが殺害予告を受け取った可能性があると聞いたんです」


 シグリッドは関係ないという事を強調する為、敢えて『彼』という呼び名を用いる。『死神』が本当に男性なのか、いや、そもそも性別という概念があるかどうかも不明だが、とりあえずローラのイメージの中では『死神』は男性であった。


「ふむ、そうなのか? 一体どうやって知ったのやら……。というかこの事を知っているのは君達だけなのか? それとももう上に報告してしまっているのか? 出来れば大きな騒ぎにはしたくないんだが……」


「いえ、まだ確証はありませんでしたし、誰にも報告していません。知っているのは私達だけです。どの道今のLAPDにはとても『シューティングスター』の再度の襲撃に備える余裕がありませんし」


「そう言われれば確かにそうだね。警察にも止められない超法規的存在とは……全く馬鹿げた話だよ」


 ルーファスはかぶりを振った。


「それで? 私が殺害予告を受け取った事は事実だが、それを知って君達はどうするのかな? 警察も返り討ちに遭う、FBIも逃げるのがやっとの相手に対して、君達はどうするつもりなんだ?」



「――その質問に答える前に、こちらからも一つ質問させてもらっていいかしら、ルーファス?」


 ローラが答えようと口を開きかけた所で、割り込むようにしてミラーカが口を挟んだ。ルーファスは肩を竦めた。


「いいとも。好きな食べ物から好みの女性のタイプまで何でも聞いてくれ」


「そんな物に興味はないわ。私達が知りたいのはただ一つ……。あなたは何故殺害予告の事を公表していないの? 確かに警察は敗れたけど、FBIは前回のターゲットの保護には成功している。それにあなた程の知名度があれば、個人で軍隊に保護を求める事も可能なはずよ」


 それがそもそも根本的な疑問であった。自分の命が大事ならFBIなり軍隊なりに保護を求めるのが普通だ。なのにルーファスはまるで隠すように一切の情報を遮断している。先程も大きな騒ぎにはしたくないと言っていた。


「……『シューティングスター』が馬鹿ではないのなら、次は必ず前回の反省を取り入れて対策してくるだろう。FBIの作戦も二度は通じまい。なら軍隊に保護を求めるか? 殺害予告を受けた俺はLAから出られん。軍隊に保護を求めれば、最悪LAを舞台にした戦争・・が起きる。兵士達は勿論だが、LAの街や市民にもどれだけの被害が出るか想像できるか? ならたった3日でLAの全ての市民をどこかに避難させるか? それこそ非現実的な馬鹿げた話だ」


「……っ!」

 ローラは鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。自分達は軍隊なら対抗できると考えるばかりで、その具体的な影響・・にまで考えが及んでいなかった事に気付かされたのだ。


 『シューティングスター』は軍隊が相手となれば今まで出し惜しみしていた兵装も全て解禁して、全力で暴れ回る事は想像に難くない。そして勿論陸軍もロケットランチャーすら通じないあの化け物を仕留めるべく、どのような破壊兵器を用いるかも分からない。街も市民も……巻き込まれず無傷という事は絶対にあり得ないのだ。


「それだけじゃない。俺が『シューティングスター』のターゲットになったなどとマスコミに知られれば、どれだけ騒ぎ立てられると思う? テレビも新聞もネットも……間違いなくお祭り騒ぎ・・・・・だ。君達はどうか知らんが、俺は自分が命を狙われているという状況を他人の娯楽・・にする趣味はないんでね」


「…………」


 それもまた彼の言う通りだろう。ハリウッドスターのルーファスが命を狙われているとなれば、マスコミや世間の関心度は前回のブリジットの比ではない。彼の言う所の『お祭り騒ぎ』になる事は必至だ。

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