File29:時空を超えて

 LA市庁舎の前に到着したローラ。通りを挟んですぐ側に彼女の職場であるLAPDがある。こんな警察の目と鼻の先に『ディザイアシンドローム』の真犯人の根城があったのだ。


 市庁舎は不自然な程に静まり返っていた。普通なら最低限はいるはずの守衛などの気配もない。 


 庁舎の正面玄関はあっさりと開いた。中へ踏み込むとドアが閉まり同時に建物中の照明が点灯した。


「……!」

 ローラは一瞬警戒したが、どうも照明は元から点いていたようであった。ただ外からは暗く静まり返っていたように偽装されていたのだ。


「…………」


 ローラは懐の骨の欠片を握り締めてエレベーターへと向かう。特に根拠はないのだが、何となく市長室を目指すべきだと思ったのだ。そこに皆がいる。そんな予感に突き動かされていた。



 ロビーを抜けて廊下を進んでいくと複数の奇怪な影が立ち塞がった。霊鬼ジャーンだ。5、6体はいる。ローラ一人では対処しきれない数だ。


「……!」

 それでもローラは咄嗟にデザートイーグルを構える。しかし……


「キキィッ!?」


 ジャーン達はまるで何かに恐れおののいたようにローラの前から飛び退って道を開けた。遠巻きに距離を取って襲ってくる気配がない。


(……この骨の効果かしら)


 マリードの結界だけでなく、ジャーン達も寄せ付けないとは。文字通り魔除けのような物だ。


 しかし怖れを知らないはずの尖兵ジャーンすらも怯えさせるとは……



(私には『陰の気』というのは解らないけど、あの『死神』……多分相当強い・・わよね……)



 ミラーカが以前そのような事を言っていた記憶がある。ミラーカとの思い出にまた胸を痛めるが、今からそれ・・を取り戻しに行くのだ。怯んでなどいられない。


 骨の欠片の効果を信じてエレベーターに乗る。エレベーターが上昇していく間、ローラはミラーカだけでなく先にこの市庁舎に乗り込んだはずのセネムやヴェロニカ達の安否についても気に掛けていた。


(……ごめんなさい、皆。私が不甲斐なかったばっかりに……。どうか無事でいて頂戴)


 その間もエレベーターは上昇を続け、やがて最上階へと到達した。何の妨害もなく驚くほどあっさりと最上階に着いてしまった。



 市長室を目指して進んでいくとやがて何かの物音が聞こえてきた。金属音。まるで武器と武器がぶつかり合うような……。そして女性の声。


「……っ!」

 良からぬ事態が進行していると判断したローラは駆け出した。音は廊下の奥……市長室からだ。体当たりするような勢いで部屋のドアを開ける。


 すぐ目に飛び込んできたのは2体の奇怪な怪物の姿。恐らく霊魔シャイターンだ。だがそんな物・・・・はどうでもいい。ローラはすぐに視線を移した。


 その先にいたのは2人の女。1人はセネムだ。既にあの露出度の高い紫の鎧姿だ。しかし今は一方的に部屋の角に追い詰められていた。そして彼女を追い詰めているもう1人の女は……


(ミラーカッ!?)


 そう。見間違えるはずなどない。それはミラーカであった。しかし明らかに正気ではない。獣のような唸り声を上げて技術も何もない力任せの挙動で、セネムに対して刀を叩きつけている。


 仔細は不明だが、マリードによって操られてセネムと戦わされているようだ。セネムは操られたミラーカを攻撃する事が出来ずに追い詰められているのだ。


(何て事を……!!)


 ミラーカがセネムに止めを刺そうと刀を振りかぶる。常のミラーカであれば考えられないような隙だらけの動作。しかし角に追い詰められ体勢を崩したセネムは躱せない。


「――――」


 考えるより先に身体が動いた。ミラーカの刀目掛けてデザートイーグルの引き金を絞る。


 ――ドウウゥゥゥンンッ!!


 驚くべき事にマグナム弾の直撃を受けてもその刀は折れなかった。だが流石に衝撃には抗えずにミラーカは大きく体勢を崩し斬撃が逸れた。


「……っ!?」

「グゥ……!?」

「何……」


 セネム、ミラーカ、そしてジョフレイ達……。全員の視線が一斉にローラに対して注がれた。


「ば、馬鹿な……あなた何故、いや、どうやってここまで……?」


「オ……ア……?」


 セネムが呆然とローラの姿を見つめる。ミラーカは操られているはずだが、何故か若干動揺したように後退る。


「ふぅん……? ただの人間・・・・・が、マリードの結界を通り抜けられるはずがないんだけど、ね……?」


 訝しむよう声はデスクに腰掛けるジョフレイの物だ。その両脇にいる怪物達に懐にジェシカとヴェロニカが囚われているのも確認できた。


「皆、心配掛けちゃってごめんなさい。でも……もう怖れたりしない」


 そう言って真っ直ぐにミラーカを見据える。



「ミラーカを……私の恋人達・・・を返してもらうわ!」



 自らを鼓舞するように宣言した。




「ははは! 返してもらうだって? 君に何が出来るんだい!? ミラーカ! そこにも君の仇がいるぞ! まずそいつから殺してしまえ!」


「グ……ガアァァァァ! 殺ス! 殺ォォォスッ!」


 ジョフレイの哄笑。そしてローラの姿を見て一旦は動揺したかに見えたミラーカだが、再び狂乱してローラにターゲットを変更して襲い掛かってくる。


「い、いかん! ローラ、逃げろっ!」


 セネムが焦って声を張り上げるが勿論引く気はない。ローラは逃げる代わりに懐に手を差し入れた。


(お願い……私に力を貸して!)


 取り出したのは『死神』から預かった骨の欠片だ。『死神』はこれをミラーカの身体に押し当てろと言っていた。


 といってもただ無策に飛び込めばこれを押し当てる前に、ミラーカの刀で両断されてお終いだ。なので……


(ミラーカ……ごめんなさい! でも、あなただって私に暴力振るったんだからお相子よね!)


 ――ドウウゥゥゥンンッ!!


「ガァッ!?」


 再びの銃声。普段のミラーカなら避けられていた可能性もあるが、今の操られて狂戦士と化しているミラーカは回避という物をしなかった。結果マグナム弾を腹に撃ち込まれて、その衝撃で一瞬動きが止まる。そして一瞬あれば充分だった。



 ローラは左手に持った骨の欠片を全力でミラーカの身体に押し付けた!




*****




 視界が光に包まれ、気が付くとローラは全く見知らぬ場所にいた。小高い丘の上らしき場所だ。遠くにはアスファルトも曳かれていない土を踏み固められてできた街道がどこまでも伸びている。その街道に沿って石作りの粗末な家がまばらに立ち並んでいた。家の煙突からは煮炊きの煙らしきものが上がっている。


 家々の周りは広大な果樹園のようなものが延々と広がっている。他にも農作物の畑のようなものや、牛や馬が放牧された牧草地らしきものもある。


「な、何……何なの? ここは、一体……?」


 視線を巡らせるとこじんまりした、しかし静謐な佇まいの建物がすぐ近くにあった。石造りの壁に囲まれている。建物の屋根にはキリスト教の十字架のシンボルが掲げられていた。


(きょ、教会? いや、これは教会というよりも……)



 修道院・・・という方がしっくりくる佇まいであった。



「…………」


 ローラは何かに導かれるようにフラフラとその修道院に歩み寄った。何か予感のような物があった。


 近付いていくと人の声らしきものが聞こえてきた。女性の声だ。ローラは壁に隠れるようにして正門からそっと敷地の中を覗き込んでみた。


 そこには黒い修道服を着た若いシスターらしき女性が花壇に水をやっている所だった。水の入った桶から柄杓のような物で水を掛けている。


 随分時代掛かった方法だ。ここには水道もホースも無いのだろうか。だが女性は全く不便を感じていない様子で機嫌良さそうに鼻唄を歌いながら作業を続けていた。


 女性……というかかなり若い。少女と呼んで差し支えなさそうだ。恐らくまだ十代ではないだろうか。修道服のフードから覗くのは輝くような金髪であった。


「…………」


 ローラは急激に胸の動悸が高まってきたのを自覚した。舗装もされていない街道。古めかしい作りの家々。電気も水道もないと見える『修道院』……


(いや……いや、まさか……そんな事が……)


 頭に浮かんだ非現実的な考えを振り払おうとする。だが……


ローラ・・・……!」

「……っ!?」


 聞き覚えのある声とその声が呼ばわった名前に、ローラは自分の予感が正しかった事を悟った。


 修道院の建物の中から現れたのは、仕立ての良い黒いナイトドレスを淫らに着崩した、艶やかな黒髪の絶世の美女であった。


(ミ、ミラーカ……!)


 それはまさしくローラの恋人・・たるミラーカの姿であった。『今』と何も変わっていない美しい姿だ。


「あら、ミラーカ・・・・? まだ明るいのに今日は随分早起きね!」


 ローラ・・・と呼ばれたシスターの少女が屈託のない笑顔でミラーカを迎える。それを受けてミラーカもまた蕩けるような笑みを浮かべる。


「ふふ、私だってたまには早起きするわよ? 夜は好きだけど、昼もこうして明るい日の中で見るあなたがとても輝いて見えるから好きよ?」


「……っ! も、もう、ミラーカったら……!」


 『ローラ』は屈託ない笑顔から一転、恥ずかしそうにその白い可憐な頬を染めて下を向いてしまう。




「…………」


 最早疑いようがなかった。信じがたい事だが、ここは500年前のオーストリアの辺境だ。彼女らが喋っているのは英語ではない(恐らくハンガリー語)が、何故かローラにはその言葉の内容が理解できた。原理は解らないが恐らく『死神』の力の影響だろう。


 今ローラは……500年前の『ローラ』を直にその目で見ているのだった。話には聞いていたが、本当に高校生くらいの美少女であった。


(……この当時のミラーカはこういう娘が好みだったのよね)


 以前にナイトクラブで聞いたミラーカの告白を思い出していた。



「うふふ、ローラ? 今日は……いえ、今日もあなたはとても可愛らしいわ。私、ムラムラしてきちゃう……!」


「ちょ、ちょっと、ミラーカ!? 今日はこれからミサで村の人達が来るから駄目だって言った……あっ……」


「まだ一時間はあるでしょう? それまでには終わる・・・わ。だから今日は早く起きたのよ」


「はぅぅ……ミ、ミラーカ……」


 妖艶に微笑んで『ローラ』の黒い修道服の上から胸をまさぐったり、その頬を舐めたりするミラーカ。『ローラ』は口では駄目と言いつつ顔がすでに完熟リンゴのように真っ赤で、ミラーカを強く突き放す様子もない。



「……っ!」

 これは500年前の出来事だ。そう頭では解っていても感情は受け入れられなかった。それにローラ自身がこうしてここに現れたのには意味があるはずなのだ。過去とはいえ自分の恋人が他人と乳繰り合っているのをいつまでも眺めている気は無かった。


 ローラはフゥ……と大きく息を吐き出して呼吸を整える。決心を固めると壁から身を離して一気に正門から敷地の中へ踏み込んだ。



「ミラーカッ!!」


 そして大声で彼女の名を呼ばわった。


「? え……ど、どちら様……?」

「……っ!?」


 声に反応して2人がローラの方を見た。『ローラ』はきょとんとした様子で首を傾げた。その目はローラの服装に注がれていた。ここが本当に中世ヨーロッパなら、スカートスーツ姿のローラの格好は間違いなく異質で目を惹く物だろう。


 だが彼女の反応はこの際どうでもいい。問題なのはミラーカの方だった。ローラの姿を見て明らかに顔を強張らせて身体を硬直させたのだ。その反応を見て彼女は確信した。ミラーカには現在・・の記憶があるのだと。



「ミラーカ……迎えに来たわ。一緒に帰りましょう。……ロサンゼルスに」



「……っ」

 ローラが手を差し出して一歩前に踏み出すと、ミラーカは恐れおののいたように逆に一歩下がった。

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