File24:魔豚暴食

「く……分断されたか」


 最上階のフロアに入った途端、ジェシカとヴェロニカの姿と気配が消えた。空間そのものが歪められているような違和感。同じ事はあのシモンズという霊魔シャイターンも行っていたが、規模も強度も桁違いだ。間違いなくマリード自身の仕業だろう。


(まずいな……)


 恐らく今頃はあの2人も単身でマリードの迷宮を彷徨っているはずだ。あの2人はまだまだ未熟だ。2人一緒ならまだしも、単身でシャイターンと戦う事になったらかなり分が悪い戦いになるだろう。 


 セネムは歯噛みした。3人で組んでいればまだマリードや市長と戦い様もあると考えていたが、あっさりと分断されてしまった。敵の狙いは間違いなく各個撃破だろう。


(あの2人には、とにかく無事でいてもらう事を祈るしかない。私にできるのは前に進む事だけだ)


 迷いと動揺を振り払って歩みを進める。現状でジェシカ達を救援する手立てがない。ならば一刻も早くここを踏破して、市長達の元へ辿り着く事こそが最善の選択だ。



 セネムが出たのは広いフードコートであった。職員と来館者の食堂を兼ねている場所のようだ。契約しているカフェやファストフードの出店の看板が並んでいる。


 構造的にいっても最上階にこんなスペースがあるはずがない。明らかに空間を歪めて別のフロアへと繋げているのだ。


「…………」


 二振りの曲刀を構えて、慎重にテーブル席の間を抜けていく。すると……



 ――メリッ……ゴキュッ……バキ……



「……!」

 異音が聞こえた。何かを噛み砕いて・・・・・咀嚼するような、音。人間が何かを食べているにしては大きすぎる音だ。少し進むとすぐにその音源・・が判明した。


 フードコートのテーブルや椅子を周囲に退けて作られた円形のスペース。その中央に巨大な肉塊・・がうずくまっていた。肉塊は屈み込んで何かをしているようで、ひくひくと蠢いていた。その度にあの不快な異音が鳴り響く。


 セネムに気付いたらしいその肉塊が顔を上げた・・・・・。それによって全容・・が明らかとなった。



 それは恐ろしく肥え太ったの怪物であった。大きさは優に10フィート以上はありそうで、顔はまさに家畜の豚そのものだ。しかしその目は瞳がなく、赤く発光している。そして身体は……超々肥満体の醜い中年男性の身体をしていた。肉と皮が何重にもたるんで元のシルエットなどとうに原型を保っていない。腕や脚もダブダブと肉と皮が襞状になって、どこまでが四肢でどこからが胴体なのかも判然としない。


 そして更にその豚の怪物を奇怪たらしめているのは、胴体にに裂けた巨大な『口』だ。セネムがすっぽりと収まってしまいそうな巨大な口が、その醜い胴体を縦に裂いているのだ。まるで臼のような歯が左右・・に生え並んでいる。



 その胴体の口からは、人間の女性と思われる手足の残骸・・が覗いていた。豚の怪物はその巨大な『口』で、女性の死体を噛み砕き咀嚼していく。これが先程からの異音の正体だったのだ。


 口の隙間から長い茶色の髪が見えていたので、ジェシカやヴェロニカではなさそうだ。セネムはその哀れな女性の冥福を祈ると、烈火に燃える目を豚の怪物に向けた。



「外道め……。その姿……異常な食欲・・・・・といった所か?」



 曲刀を突きつける。アメリカでは肥満が社会問題となっている事からも分かるように、とにかく食べる事に対しての欲望が強い人間が多い。低価格ジャンクフード文化がそれに拍車を掛けている。


 恐らくこの目の前の男は、その食べる事に対する欲望が突き抜けて強かったのだろう。マリードが邪悪な欲望だと認める程に。



『グフ、グフ……。お前……お前も美味そう・・・・だな。お前を食ったらどんな味がするのか楽しみだ』



「……!」


 豚の怪物の視線が、セネムの鎧から剥き出しの素肌を舐める。といっても性欲ではない。文字通りの食欲・・に濁った目で彼女の身体を眺め回しているのだ。今までに感じた事の無い種類のおぞましさに肌が粟立つ。


「シャイターン相手に交渉の余地など無い事は解っている。一気に片を付けさせてもらうぞ!」


 こんな所で時間を食っている暇はないのだ。ローラの為、そしてジェシカ達の為にも、素早くここを突破してマリードの元まで辿り着かねばならない。


 セネムは曲刀を構えて一直線に突進する。既に刀身は霊気で包み込んである。豚の怪物はどう見ても機動力には難がありそうなので、接近してしまえば切り刻むのは容易いはずだ。だが……


 豚の怪物の『口』が大きく左右に開く。そこからまるで嘔吐するように大量の液体が吐き出された。


「……ッ!」

 様々な意味で危険を感じたセネムは、咄嗟に方向転換して横っ飛びに不浄の液体を躱した。液体はそのまま後ろにあったテーブル席に掛かった。するとそのテーブル席が焼けつくような音と共に、瞬く間にドロドロに溶け崩れてしまった!


「これは……酸か!?」


 まともに浴びれば骨まで溶けそうな威力だ。酸唾攻撃でセネムの勢いを挫いた豚の怪物は、続けて奇妙な行動を取った。そのブヨブヨに膨れた手で己の身体の肉を摘み取ったのだ。肉はまるで柔らかいパン生地のように千切れたが、豚の怪物自身は全く痛痒を感じていない様子だ。



 その摘み取った肉片を床に放った。すると忽ちその肉片に歯の生えた口・・・・・・が出現した。それと同時に小さな二本の脚・・・・も。



「な……」


 絶句するセネムの視線の先で、その小さな怪物はちょこまかと脚を動かしながら床を走って、セネムに飛び掛かってきた!


「ぬぅ……!」


 咄嗟に刀で斬り払うが、小さな怪物は素早い動きでセネムの斬撃を回避した。そして積まれたテーブルの上に着地すると、再びセネムの周りをちょこまかと走り回る。


 その間に豚の怪物が新たな肉片を摘み取って床に放っていた。新たに誕生する小さな怪物。


「ちぃ……!」


 このままではジリ貧になると悟ったセネムが、小さな怪物を無視して強引に豚の怪物本体に斬りかかろうとする。だが怪物は意外な程素早い挙動で向きを変えると、再び酸唾を吐き出してきた。


 ヴェロニカの『障壁』なら防げたかもしれないが、生憎セネムにはそこまで有効な防御手段がない。舌打ちしながら横っ飛びに躱す。勿論その間にも豚の怪物は、両手でどんどん己の肉を摘み取って小さな怪物を増やしている。


 既に4体に増えた小さな怪物が、素早い動きでセネムの周りをウロチョロと走り回り、隙を見つけては飛び掛かってくる。


「ええい! 邪魔だ!」


 セネムが曲刀を振るうが、ジャーンと違って的が小さく且つ動きが素早いので中々当たらない。そうこうしている内に、更に2体の小さな怪物が追加される。


 こうなっては出し惜しみしている場合ではない。セネムは曲刀を×の形に交差させた。動きの止まった彼女に対して小さな怪物が一斉に飛び掛かってくる。


「نور فلش!」


 目をカッと見開くと、練り上げた全身の霊力を一気に体外に放射させる。


 セネムの得意技、『神霊光』だ。間近で彼女の霊力を浴びた怪物達が軒並み弾き飛ばされる。本体の豚の怪物も一瞬怯む。


 その隙を逃さず一気に突撃する。やや回り込むような軌道を取る。豚の怪物はやはり酸唾を吐いてきたが、神霊光の影響で狙いが逸れて関係ない所を溶かしていた。


「もらった!」


 霊力を帯びた曲刀の刃を豚の頭に叩きつけようとした瞬間、視力が回復したらしい怪物がこちらを振り向くと、何と跳び上がるようにして胴体の『口』で噛み付いてきた!


「何……!?」


 そのブヨブヨの巨体からは考えられないような素早い挙動に虚を突かれたセネムは、一瞬反応が遅れた。


「く……!」


 咄嗟に二振りの曲刀を左右に突き出すようにして防御を固める。豚の怪物は構わず噛み付いてきた。胴体の『口』の左顎・・右顎・・にそれぞれ刀が突き刺さって、何とか噛み砕かれる直前でその動きを止めていた。



『グフ、グフ! く、食いたい……。食わせろぉぉっ!!』



「くっ!? うぅぅ……!」


 何と豚の怪物は顎を刺し貫かれてもお構いなしに食い付いてくる。徐々に両顎がセネムを挟み潰さんと迫ってくる。それだけではない。神霊光で怯んでいた小さな怪物達が体勢を立て直し、後ろから飛び掛かってきたのだ。豚の怪物と『鍔迫り合い』をしているセネムに躱す事は出来ない。


(くそ……! 連続使用・・・・は身体への負担が大きいが、そんな事を言っている場合ではないな……!)


 このままでは豚の怪物のデザートになるだけだ。意を決したセネムは再び神霊光を使用した。


「نور فلش!」


 正しい構えを取っていない為威力は半減するが、それでもこの『口』に半ば埋没しているような至近距離・・・・であれば効果は充分だ。


『うぎっ!? ぎやあぁぁぁぁっ!!』


 体内を焼かれたに等しい豚の怪物が絶叫する。後ろから迫っていた小さな怪物達も再び弾き飛ばした。両側からの挟み込みの力が弱まった。その隙を逃さず、セネムは曲刀を豚の怪物の体内に突き入れた。勿論霊気を帯びた状態だ。


『ごああぁぁぁぁぁっ!!』


「滅びよ、邪悪な魔物めっ!」


 そのまま二刀で一気に下まで斬り下ろしてやると、豚の怪物がビクンッと跳ねた。セネムは素早く飛び退って距離を取った。豚の怪物は悶え苦しんだかと思うと、やがてその身体がドロドロに溶け崩れていった。見ると小さな怪物達も痙攣しながらやはり溶け崩れていく。


 一瞬の後にはおぞましい色をしたペースト状の山が出来上がっていた。それも床に吸い込まれるようにして消えていった。同時にシャイターンの霊圧が消えた。どうやら無事に斃す事が出来たようだ。



「ぐ……」


 それを確認するとセネムは激しい目眩を感じて、がっくりとその場に片膝を着いた。神霊光を連続で使用した反動だ。視界がぐるぐると回っている。


 だがあの豚の怪物は神霊光を連続で使わなければ勝てない相手だった。もし当たったのがジェシカやヴェロニカであったら、余り想像したくない事態になっていた事だろう。最初に噛み砕かれていた女性の無残な姿を思い返した。そういう意味ではこいつに当たったのが自分で良かったと思った。


 本当なら一時間ほどはこの場で休んでいたい気分であったが、勿論そんな余裕は無い。こうしている間にもジェシカとヴェロニカが危機に陥っているのだ。回る視界や吐き気と戦いながら強引に身体を起こすセネム。そしてより強い邪気が渦巻いている地点を目指しながら再び歩き始めた……

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