File18:吸血鬼vs魔神

 夜のロサンゼルスを駆け抜ける一陣の風。それは夜の闇に溶け込むかのような黒い風であった。長い艶のある黒い髪を振り乱しながら、建物の屋根から屋根を伝って超人的な速度と跳躍力で移動する影は……カーミラ。


(許さない。許さない。許さない。絶対に許さない)


 普段は怜悧で達観的な表情を浮かべる事が多いその美貌を染め上げているのは、憎悪。狂おしいまでの憎悪と憤怒がその双眸を吊り上げ、貌を引き攣らせ、普段の彼女を知る者が見たら同一人物か思わず疑ってしまう程に変わり果てた人相となっていた。



 吸血鬼となった彼女には、人間のような記憶の減退や忘却が存在しない。500年前の出来事や映像も、つい昨日の事のように鮮明に思い出す事ができる。……できてしまう。



 初めて会った時の『ローラ』のびっくりしたような顔。カーミラの高圧的な言動にも全く怯まずに真っ向から窘めてきた時の怒った顔。朝が弱いカーミラに悪戯を仕掛け、強制的にベッドから起こした時の得意げな顔。カーミラの正体・・を知った時に見せた……痛まし気な顔。ヴラド達を封印してカーミラを解放するのだと決意した時の悲壮な表情。そして……心臓を貫かれ、それでも尚カーミラに微笑んだ慈愛と殉教の笑顔……。



「……っ」


 今なお色褪せる事無くカーミラの脳裏に刻まれている『ローラ』との様々な思い出が、彼女を狂怒に駆り立てる。『ローラ』の胸を貫き、彼女の心臓を自らの手で取り出した時の感触もまた、彼女の記憶から消える事は無い。


 その……全ての元凶となった存在がすぐ間近にいる。それを聞いた途端、カーミラの中から客観的な思考は失われた。今の彼女にはただ憎き存在を自分の手で滅ぼす事しか頭に無かった。


 憎悪に濁っていても、そのセンスと勘はかつてない程に研ぎ澄まされている。その彼女の鋭敏な感覚が、街に漂う邪悪な『陰の気』を特定した。強力な『陰の気』が市庁舎を中心に渦巻いている。今は夜中といっていい時間帯のはずだが、相手は傲岸不遜なまでの魔力を発散させながらカーミラを待ち構えている様子だった。


 『ランプの精霊』といえば、予言の力を持つ事でも有名だ。カーミラの襲撃を予知して待ち構えているのかも知れない。


(……上等じゃない)


 それならむしろ望む所だ。マリードも、奴に与する者達もまとめて地獄に送ってやる。カーミラは闘争心と復讐心を滾らせ、一路市庁舎目掛けて跳び進んでいった。





 LA市庁舎。繁華街やダウンタウンをすぐ近くに望む巨大な施設だ。だというのに市庁舎内部もその周辺も、夜中という事を差し引いても不自然なまでに静まり返っている。マリードが何らかの力を行使しているのだろうか。


 市庁舎はカーミラの前に、早く入ってこいと言わんばかりに聳え立っていた。カーミラが試しに正面入り口に近付くと……大きな扉が独りでに口を開けた。その奥の建物内には闇が蟠っている。


「…………」


 カーミラは油断なく刀を構えながら、開いた正面入り口のドアを潜った。彼女が建物に入った瞬間、入り口のドアが音を立てながら勝手に閉まった。しかしカーミラはそれには構わず、ただ正面だけを見据えて歩みを進めていく。建物の内部には人の気配が全く無かった。


 すぐに広い空間に出た。豪華な内装。ロビーのようだ。一見・・すると誰もいないように見える。しかしカーミラの感覚は誤魔化せない。



「……こそこそ隠れても無駄よ。出てきなさい」


 カーミラが闇に向かって声を掛けると……


「く、く……賢しい奴め。人間ではないようだな。何者だ?」


 闇が実体を得たかのように姿を現したのは、背広姿の一人の男性であった。年の頃は50前後といった所で、眼鏡を掛けている。ジョフレイ市長ではない。この態度と発散している魔力からして、恐らく部下の霊魔シャイターンとやらだろう。


「あなた達を殺し尽くす者よ」


 カーミラが刀を突きつけると、男は鼻白んだ様子となる。


「ふん、我が主に一人で戦いを挑むとは。賢しい奴と言ったのは取り消そう。お前は特大級の愚か者だ!」


「……!」

 カーミラは咄嗟に身を翻して、薙ぎ払われた鉤爪・・を躱した。そしてカウンターで斬り付ける。奇怪な悲鳴を上げて消滅する怪物。霊鬼ジャーンとやらだ。


 いつの間にか、周囲に10体以上のジャーンが出現し彼女を包囲していた。不揃いな牙を鳴り合わせながらカーミラを威嚇する。


「言うだけの力があるか……見せてもらうぞ?」


 男の言葉を合図に、ジャーン達が一斉に襲い掛かってきた!



 カーミラは広い空間を利用して縦横無尽に動き回り、同時に3体以上が襲い掛かれない位置取りを心掛ける。そうして一度に正対する敵の数を減らし後は、振るわれる、もしくは突き出される鉤爪を躱してカウンターで斬り付けるという挙動を繰り返す。



 時間にして2、3分程度だろうか。10体以上のジャーンは全て切り裂かれて消滅していた。


「さあ、次はあなたの番よ。誰一人生かしてはおかないわ」


 カーミラが眼鏡の男に視線を戻すと、男は肩を震わせて笑った。


「くく、なるほど……。言うだけの事はあるようだ。だがお前ではどう足掻いてもあのお方には勝てん。それよりはここで俺に殺されておいた方が幸せだろうな」


「……!」


 言葉と同時に男の身体が一気に肥大化した。まるで身体が内側からの圧力で弾けるように割れて、大量の血液や臓物がその身体を彩る。しかし割れて血まみれになったその身体は尚も肥大化を続け、数瞬の後には見るもおぞましい異形の怪物の姿が顕現していた。


 3メートル近くまで肥大化し縦に割れた身体から、更にのっぺりとした人型が上に突き出ていた。その人型は大量の血にまみれて目や鼻などの造作はほとんど確認できない。元の・・身体からはその腹部や腕から、まるで腸のような赤黒いヌラヌラとした細長い臓物状の組織が何本も伸びて蠢いている。


「…………」


 そのグロテスクな容姿に思わずカーミラが眉をひそめる。その様子を見た目の前の怪物が奇怪な声で嗤う。 


『スナッフフィルムという物を知っているか? 本物の人間が切り刻まれて血と臓物をぶちまけて殺される映像だ。俺はそういう類のスナッフフィルムを鑑賞するのが密かな趣味でな。それをあのお方に見出されたのだ』


「……なるほど。どの道生きてる価値も無いクズという訳ね」


『この力を与えられてから、既に3人殺した。殺しても誰も気にしないような不法滞在のメキシコ人共だがな。だがそれだけではもう満足できん。もっと……もっと殺したい! それも、お前のような美女をなぁっ!!』


「……!」


 肉の怪物が喚きながら赤黒い触手を伸ばしてきた。かなりのスピードだが彼女に見切れない程ではない。


「ふっ!」


 刀の白銀の軌跡を描く。迫って来ていた何本もの触手が全て斬り払われた。だが……


「何……!?」


 切り離され床に落ちた触手の先端が、意志を持っているように蠢き飛びはねてカーミラの身体に巻き付いたのだ。凄まじい力で巻き付いた部分を締め上げつつ、尖った先端部分をカーミラの身体に突き刺そうとしてくる。


「ちっ……!」


 身体に巻き付いているものを刀で斬る事は難しい。カーミラは舌打ちして素手で引きはがそうとするが、その時には肉の怪物が新たな触手を叩きつけてきていた。


「く……」


 やむを得ず迫る触手に対処する。刀で斬り払うと、また斬った部分が襲い掛かってきて敵が増えると判断したカーミラは、回避に専念する。だが最初の3本の触手の先端を身体に巻き付かせたまま戦う羽目になり、切れ端は容赦ない締め上げと、先端を身体に突き刺しての吸血行為でカーミラの動きを阻害してくる。


「この……!」


 吸血鬼でありながら自身が血を吸われる屈辱にカーミラが切れ端を引きはがそうとすると、肉の怪物本体の触手がその隙を突いて薙ぎ払われる。


「がはっ!!」


 切れ端に意識が向いていたカーミラはその一撃を躱せずにもろに喰らってしまう。肉の鞭に打ち据えられて吹き飛んだカーミラは、そのままロビーの壁に背中から激突して崩れ落ちた。二重の衝撃に呻く。


 だが寝ている暇は無い。即座に怪物からの追撃の触手が上から降ってくる。カーミラは咄嗟に横転するようにして追撃を躱すと急いで立ち上がった。



『くくく、足りん! まだまだこんな物じゃ足りんぞ! もっとお前の悲鳴を聞かせろぉっ!』



 肉の怪物はカーミラに休む暇も与えずに、次々と触手を繰り出してくる。カーミラは躱し続けるが、ダメージを受けた為かその動きは先程よりも鈍い。大量の触手を捌き切れずに、遂にその内の一本がカーミラの右足首に巻き付いた!


(しまっ……)


 まずいと思った瞬間には恐ろしい力で脚を引っ張られて床に転倒してしまう。やむを得ず巻き付いた触手を斬り払おうとするが、右腕にも別の触手が巻き付く。


「……!」


 そして対処する間もなく左腕と左足にも触手が巻き付いた。そのまま宙吊りに持ち上げられ、両手両足を大きく広げられた体勢で固定される。


「クぅ……!」


『ははは! すばしこい奴め! ついに捕えたぞ! さながら蜘蛛の糸に囚われた蝶という所か』


 肉の怪物が哄笑しながらカーミラの四肢を容赦なく牽引する。


「あぁぁっ!!」


 四肢を引き抜かれるような激痛に、カーミラの美貌が歪みその口から抑えきれない苦鳴が漏れ出る。


『ああ……いい声だ。くくく、では解剖・・してやったら、どんな声で鳴いてくれるんだ?』


「……!?」


 肉の怪物の上に生えた・・・血まみれの人型が両手を前に掲げる。するとその両手が見る見るうちに伸びて、やはり触手のように不気味に蠢き始める。その『手』の先端はよく見ると鋭い鉤爪状になっていた。あれでカーミラの身体を切り裂くつもりなのだ。両手足を拘束されて無防備に広げた形で固定されているカーミラは、逃げる事も抵抗する事も出来ない。そう……このままでは・・・・・・



(恐らく……そのマリードも見ているだろう中で、余り手の内を曝け出したくなかったけど、そうも言っていられないようね……!)



 この霊魔シャイターンという連中は、全力・・を出さずに勝てるような甘い相手ではないようだ。どの道コイツを倒さねばそもそもマリードの元まで行き着けないのだ。出し惜しみしている場合ではない。


 そう判断したカーミラは全力を解放した。黒い髪が逆立ち、目が紅く発光する。そして背中からは一対の白い皮膜翼が出現する。吸血鬼の戦闘形態だ!


『何ぃっ!?』


 肉の怪物が動揺する。カーミラは膂力に物を言わせて、四肢を拘束する触手を強引に引き千切ろうと力を込める。そうはさせじと肉の怪物もカーミラの四肢を引き抜かんと全力で牽引する。


『ぬ、ぬ……ぬ……!?』


 結果はすぐに出た。カーミラの四肢が徐々に撓んでいき、逆に触手の方がブチブチと嫌な音を立て始めて……


「はぁっ!!」

『……ッ!』


 気合と共に、一気に引き千切った! 四本の触手から血しぶきが舞う。


『ぬがあぁぁっ!!』


 肉の怪物が呻いた。だが引き千切られてカーミラの身体に巻き付いたままの触手の先端は、外れる事無くカーミラの四肢を締め付けてくる。同時に血まみれの人型が長い両手のカギ爪を振り回してきた。


 しかし戦闘形態となったカーミラは少々の締め付け程度で動きを鈍らせる事は無い。素早く鉤爪を掻い潜って床に落ちた刀を拾い上げる。


『女ぁぁぁっ!!』


 『下』の腕や胴体から大量の触手が飛び出して、カーミラ目掛けて殺到する。カーミラは避けたり逃げたりする事無く、刀を構えて自分からその触手の群れに斬り込んでいく!


「はあぁぁぁっ!!」

『ぬぅぅぅぅっ!!』


 カーミラの刀が煌めく度に、斬り払われた触手の残骸が宙を舞う。そしてカーミラが一歩ずつ肉の怪物へと近付いていく。だが触手群は斬り払われる度に、その残骸や切れ端が意志を持ってカーミラに纏わりつき動きを阻害してくる。


 今や数えきれない程大量の触手の切れ端に纏わりつかれたカーミラは、戦闘形態といえども流石に動けなくなりつつあった。人間ならとうに原型を留めずに圧死しているだろう凄まじい圧力だ。


 だが同時に肉の怪物本体・・まで、文字通りあと一歩の所まで迫っていた。肉の怪物は大量の触手を生み出し自在に操るが、自身には機動力がないようだ。


『ぬがぁぁ! 死ねぇぇっ!!』


「死ぬのは……」


 怪物の『上』に鎮座する血まみれの人型が鉤爪を振り下ろしてくる。今のほとんど動けないカーミラにそれを躱す術はない。怪物の爪がカーミラの脳天を砕く直前――


「あなたよっ!」

『……ッ!』


 カーミラの刀が肉の怪物の身体を、下から一直線に斬り上げた! 『下』の肉体から『上』の人型まで縦に一刀両断された怪物はビクンッと跳ねて、全ての動きが止まる。


『おぉ……ば、馬鹿な……』


 その驚愕を断末魔に、怪物の身体が完全に縦に割れて床に潰れた。同時にカーミラの身体を拘束していた切れ端も全て力を失って、バタバタと床に落ちていく。そして……怪物の残骸も触手の切れ端も、全てが空気に溶け込むようにして消滅していった。


「…………」


 それを見届けてカーミラはフゥッと息を吐いて戦闘形態を解いた。しかしまだ終わりではない。むしろこれからが本番・・なのだ。


 カーミラは刀を収めると、上の階を見上げた。そして今の戦いの最中も全く動くことなく同じ地点で魔力を発散させながら待ち構えている存在目掛けて、一気に駆け上がっていった。

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