File36:侵食の快楽

 LA屈指の高級住宅街ビバリーヒルズ。その中でも更に北に位置する山の中腹辺りは一般の車両が侵入できない一部の富豪達の私有地となっており、広い敷地面積を持つ豪邸が間隔を開けて建っていた。


 そんな豪邸の中の一つ、尤も奥まった区画に建つ巨大な邸宅。その二階のテラスの上から、あちこちで火の手が上がりパトカーや救急車、消防車のサイレンが響き渡る街の様子を、メネスは優雅に佇んで眺めていた。


 この邸宅の持ち主達は既に洗脳して〈信徒〉に作り替えてある。ここ最近のメネスのお気に入りの拠点であった。


「ふ、ふ……矮小なる定命の者どもよ。精々踊るがいい」


 満足げに呟いたメネスは踵を返し建物の中へと戻る。テラスと続くこの部屋はダンスパーティーでも開催する用途なのか、かなり広い空間であった。そして現在この部屋にはメネスの目を楽しませる極上の眺めが広がっていた。


「くくく、気分はどうだ? 少しは余に逆らう愚かさを実感できたか?」


 メネスが声を掛けた先、部屋の一方の壁際には四つ・・の十字架が並んでいた。十字架にはそれぞれ4人の女性がはりつけにされているのであった。


「く……」


 十字架の形に沿って手足を真っ直ぐに伸ばされた姿勢で磔にされている……ローラが唇を噛み締める。その四肢はメネスの力が込められた砂の枷でしっかりと固定されており、どれだけもがいてもビクともしなかった。


 他の3つの十字架にはそれぞれクレア、ジェシカ、そしてヴェロニカが同じように磔となっていた。


 ローラとクレアは着ていた服を剥ぎ取られ、純白でノースリーブの貫頭衣のような衣装を着せられていた。裾が非常に短く、股間のかなり際どい部分を辛うじて隠していた。元々裸だったジェシカも同様の衣装だ。ヴェロニカだけは赤いワンピース水着姿のままであったが。


 ジェシカとヴェロニカの首にはメネスの砂の輪が嵌められており、その人外の力を封じられていた。周囲には十字架を運んできた何人もの〈信徒〉達が平伏してかしずいている。


 メネスは磔にされて羞恥と屈辱と苦痛に悶える4人の美女達の姿を、目を細めてうっとりしたように眺める。



「ふざけ……ないで。あんたなんかに……絶対、屈したりしないわ」


「ふふふ、余にそのような目を向ける女は初めてだ。ただ洗脳するだけでは面白くないな」


 ローラの精一杯の虚勢にメネスは増々楽しそうな様子となる。そして片手を掲げる。するとその手が砂の触手に変化した。


「……!?」


 目を剥くローラの前で、砂の触手が更に何本もの小さな触手に分かれ、ローラの身体中に巻き付いた!


「ぐぅ……!」

「ローラさん!?」「ローラ!」


 クレアとジェシカ、ヴェロニカの3人が悲鳴を上げる。だがローラは気付いた。捕らわれた時と違って砂の触手による締め付けがまったく苦しくない事に。


(こ、これは……?)


 動揺するローラを余所に絡みついた何条もの砂の触手は、まるで撫でるような絶妙な力加減で彼女の身体を這い回る。


「く……う……な、何?」


 精神的にはおぞましいのに身体がその絶妙な感触に反応してしまう。内側から強制的に昂らされ身体が火照り、顔が上気する。抗おうにも四肢は磔で全く動かす事は出来ない。ただ一方的に嬲られるだけ。


 ローラに出来る事は、ただ歯を食いしばって耐える事だけだった。だがそれもすぐに限界が訪れる。


「は……ぁ……く……」


 吐息が熱を帯びる。顔や身体の火照りは増々強くなり、切なげに不自由な身をくねらせる。


「ローラ、しっかりしなさい!」

「ローラさん! 気を確かに持って下さい!」

「畜生、てめぇ! 今すぐその汚ぇ手をローラさんから離せよ!」


 それを見ている事しか出来ない3人が口々にローラを励ましたり、メネスを罵ったりするが、メネスはそれをまるで心地良いBGMかのように聞き流し、ローラもまた激励に反応する余裕すら失っていた。


(い、いや……いや、やだ……やめて、助けて……私、このままじゃ、どうにかなっちゃう……!)


 自分の中を、得体の知れない何か・・が浸食してくる……。その快感・・は恐怖となってローラを苛んだ。


(ミ、ミラーカ、ミラーカ……ミラーカ! ミラーカッ! 助けて、ミラーカァァッ!!!)


 頭の中で必死に愛しい恋人の姿を思い浮かべながら耐えようとするローラ。しかし自己を蝕む異様な快感は、その甘い映像や記憶すらも浸食し、塗り替えようとしていた。記憶の中のミラーカの姿が徐々にぼやけ、赤く染まっていく。その事実にローラは激烈な恐怖を感じた。



「い、い、いやあぁぁぁっ! 助けて、ミラーカーーーーー!!!」



 そして遂に恥も外聞もなく絶叫した。それは抵抗を諦めた、自身の敗北を認める叫びであった。


 勿論誰も助けになどくるはずがない。ミラーカも今は警察署のジェイルの中におり、ここに駆け付けてくれる事などあり得ないのだ。


 しかしそれが解っていながら、絶叫する以外にローラに選択肢は無かった。


「ああ、良い声だ。余になびかぬ女を堕とす・・・この瞬間が堪らぬ…………むっ!?」


 邪悪な喜悦にその貌を歪めてローラを嬲っていたメネスが、何かに気付いたように視線を鋭くした。そしてローラに纏わりつかせていた砂の触手を全て引っ込める。


「はぁ! はぁ! はぁ……! ……?」

「ローラさん! 大丈夫か!? ローラさん!」「ローラッ!」


 ジェシカ達が見守る先で淫靡なる責め苦から解放されたローラは、磔のまま全身を脂汗で光らせながら荒い息を吐いていた。そして何が起きたのか解らないという風にメネスを見やった。


 メネスは顎に手を当てて何かを考えるような仕草をしていたが、やがてその口の端を吊り上げた。


「ふむ、これは……案外お主の叫びが届いたのやも知れんぞ?」


「……え?」


「あの女……ミラーカの監視に付かせていたはずの我が〈従者〉の反応が消えた」


「……!」

 ローラは目を見開いた。それは恐らくフィリップの事だろうか。ミラーカを監視していたはずのフィリップが死んだ。それはつまり……


(う、嘘……本当に、あなたなの……? ミラーカ!)


 信じられない。だがこれまでにもミラーカは信じられないタイミングでローラを救いに来てくれた。


(信じて……いいの?)


 隣ではクレアやジェシカ達も目を丸くしている。勿論冷静に考えて、いくらミラーカでもメネスが相手では分が悪すぎる。ヴラドの時と同じだ。だがミラーカにはそんな理屈では測れない何か・・がある。ローラはそれを確信していた。


「くくく……面白い。今宵は最高の余興が楽しめそうだ。たっぷりと歓迎をしてやろうではないか」


 だがそんなローラの胸中など知らぬメネスは不敵に嗤う。そして控えている〈信徒〉達に指示を出すのであった。


 吸血鬼。そしてミイラ男。


 このアメリカにおいて異境の死者達が舞い踊る悪夢の夜は、静かに佳境を迎えようとしていた……



****



「ここね……。ここにローラが……」


 カーミラが自身の感覚を頼りに辿り着いたのは、ビバリーヒルズの上層にある豪邸が立ち並ぶ一角であった。意外と言えば意外だが、洗脳能力を持っているらしいメネスにとっては案外適した隠れ家なのかも知れない。


 最も奥まった区画にある二階建ての豪邸の前に到達したカーミラ。


 ここだ。強烈な『陰の気』を感じる。まるでカーミラが来る事を解っていてそれを待ち受けているような……

「…………」

 ならば受けて立つまでだ。カーミラは敢えて正面から堂々と乗り込む。どうせ察知されているならコソコソする意味は無い。


「……!」


 すると邸宅の玄関からゾロゾロと人間達が出てきた。10人以上はいる。誰もが異様にギラついた目でカーミラを見据えていた。間違いなく今街で暴れているのと同じ〈信徒〉とやらだろう。


「……死にたくなければどきなさい。今の私は余り……優しくできない・・・・・・・わよ?」


 魔力を発散しながらの威圧と警告。しかしそれに対して〈信徒〉達は、無言で襲い掛かってくる事で応えた。その手には既に青白い光を発生させて臨戦態勢だ。


「警告はしたわよ」


 カーミラもまた刀を構えて迎え撃つ。先頭にいた〈信徒〉がジャンプしながら飛び掛かってくる。見覚えがある顔。それはマイク・ホーソンの父親エディ・ホーソンである事が解った。


「……!」

 カーミラは一瞬目を見開く。しかしすぐに決断した。ローラを救わねばならない。その為には……障害となる全てを排除する覚悟だ。


 エディが青白い光を放つ手を突き出してくる。カーミラは素早くその攻撃範囲を見切ると、最小限の動きで突きを回避した。


「ふっ!」


 そしてすれ違いざまに刀を一閃。人外の膂力で振るわれる魔力を帯びた刀は、〈信徒〉の防護膜を紙のように切り裂き――


 エディ・ホーソンの胴体が上下に分断された!


「……っ」


 物も言わずに即死したエディ。いや、メネスに洗脳された時点で彼の人生は終わっていたのだ。カーミラは一瞬だけ心の中で黙祷と謝罪を捧げた。


 だが立て続けに後続の〈信徒〉達が襲い掛かってくる。カーミラは心を切り替えて、ただ障害を排除するべく刀を翻した――




 数分後には返り血が跳ね、血塗られた刀を手に提げたカーミラだけが立っていた。周りには襲ってきた〈信徒〉達の死体が折り重なっている。


 カーミラはそのまま屋敷へと踏み込む。中は英国風邸宅を模した内装となっていた。メインホールの中央にある大きな階段を駆け上がっていくと、上から人影が……


「……!」

「ひ、ひぃ!?」


 20代くらいの見慣れない若い白人女性であった。メイド服を改造したような煽情的な衣装を着ていた。返り血に塗れたカーミラの姿を見て顔を青ざめさせて腰を抜かしていた。どうやら〈信徒〉ではないようだ。


「……あなたは? ここで何をしているの?」


 何かの罠かと油断なく周囲を窺うが周りは静かな物だ。


「ひ……あ、あの……メネス……様は、女は〈信徒〉にはしないと言われて……。そ、それで……ここを昇ってくる女性に伝えろと……。ぞ、『存分に腹を満たせ』と……。な、何の事なのか私には……」


「……ッ!」


 つまりこの女性の血を吸って・・・・・体力を回復させろ、とメネスは言っているのだ。確かにフィリップとの戦いで大分消耗してしまっているのは事実であった。悠長に回復に努めている時間が無かった。


(……随分余裕ね。でも……余り自信過剰が過ぎると足元を掬われるわよ?)


 完全にこちらを舐め腐ったメネスの態度に怒りを感じるカーミラ。


(いいわ。くれるというなら貰ってあげる。後になって精々後悔する事ね)


 決意したカーミラは怯える女性の頬に手を添える。女性がビクッとする。


「そう……ならありがたく頂かせてもらうわ」


「え……あ、あの?」


「大丈夫。何も怖い事はないわ。私に身を任せてくれればいいのよ」


 カーミラは努めて優しく微笑むと牙を出して、即座に女性の首筋に噛み付いた!


「……ッ! あ……あ……あぁぁ……」


 女性が大きく身体を震わせたと思うと、次第にその抵抗が弱くなり、代わりに恍惚とした吐息が漏れるようになった。その瞳も恐怖から快楽へと変化し、指が切なげにカーミラの背中を掻く。


 やがて女性は絶頂したように一声叫び声を上げると、そのまま意識を失ってしまった。カーミラが首筋から牙を離す。そして女性を壁にもたれさせると、スクッと立ち上がった。


 その姿は明らかに女性に牙を立てる前よりも活力に満ちていた。フィリップとの戦いで負った傷も完全に回復していた。



「…………」


 その身体を魔力で満たしたカーミラは、鋭い視線を向けて強烈な『陰の気』の発生源へと向かう。


 扉を開けると、そこは広いダンスホールのような部屋であった。壁の一方には大きな窓がありテラスに通じているようだ。そして……カーミラが入ってきた扉とは反対側の壁際に4つの十字架が並んでいた。そこには――


「ミ、ミラーカ……?」


 真ん中の十字架に磔にされている女性……それは紛れもなくカーミラが探し求めていたローラ本人であった!


 他の3つの十字架にもカーミラが良く見知ったクレア、ジェシカ、ヴェロニカの3人が囚われて同じように磔にされていた。経緯は不明だがどうやら彼女達もローラと共にメネスとの戦いに敗れ、囚われてしまっていたようだ。


「ローラ、待たせてしまったわね。今助けるから、もうちょっとだけ我慢していてね?」


「あ、あぁ……ミ、ミラーカ……! 私……私、信じてた!」


 カーミラの姿を認めたローラの目から涙が零れ落ちる。それを見てカーミラは間に合った・・・・・事を確信した。まだ最悪の事態にはなっていなかったようだ。


 部屋にはローラ達だけでメネスの姿が無かった。どこかに隠れているのだろうか。油断なく神経を尖らせながらも、ローラ達を解放するべく部屋の中央に差し掛かった時――


「……ッ!?」

「あ、危ないっ!!」


 カーミラのすぐ背後で、恐ろしいまでの『陰の気』が膨れ上がる。直後にローラの警告。カーミラは考えるより前に本能で、振り返り様に刀を一閃させた。しかし……


「……!!」


 刀は空を切った。振り返る前は確実に至近距離に気配を感じたのに、振り返った先には5メートル程離れた場所に立つ一人の男の姿が……



「ふむ、こうして直に会うのは初めてだな。余がメネスだ。歓迎するぞ、美しき吸血鬼ミラーカよ」



 中肉中背の身体に白いトーガのような衣装を纏った、非常に整った容貌のエジプト系の男。


(この男が……!)


 フィリップの言っていた『マスター』。そしてミラーカを妃にと狙っていた人物。『バイツァ・ダスト』としてLAの街を恐怖に陥れた殺人鬼。5000年前のエジプト古王朝最古のファラオ……メネス王その人!


「さあ、余を存分に楽しませるが良い」


 メネスが両手を広げて歩み寄ってくる。カーミラは刀を構え直した。このプレッシャーは間違いなくヴラドに匹敵する。だがカーミラの中に恐れはなかった。勝てるかどうかではない。勝つ・・のだ。


「ええ、好きなだけ楽しむといいわ。呪われた人生最後の夜を、ね!」


 先手を打って斬りかかる。ここに人外の怪物達の最終決戦の火蓋が切って落とされた!

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