Side storys:Ⅰ

Bloodline ~闇の血族(前編)

 目の前に1人の少女がいた。


 東欧人らしい濃い茶色の髪に、そばかすの浮き出た素朴な顔はまあ美少女と言っても差し支えなかった。

 年の頃は10代後半くらいか。本来は明るく元気な性格だったらしいが、今カーミラ・・・・の目の前で全裸・・で震えているその姿は、恐怖に支配された物だった。 


「うふふ、さあ、マルチナ……。私の可愛い小鳥ちゃん。今日もお前の可憐な鳴き声を聴かせて頂戴」


「ひ……! は、はい、カーミラ様……」


 黄昏時。バルコニーの豪華な長椅子に寝そべったカーミラの前で、少女――マルチナは全裸のままその可憐な口を開いて歌を歌い始める。



 カーミラはうっとりとその歌に聞き入る。彼女にとって最近・・のお気に入りの時間だった。だが……



「……?」


「ひぅ……う……グス! うぅぅ……!」


 歌が聞こえなくなった。替わりに耳障りなすすり泣きが聞こえていた。カーミラは不快げに目を開けた。


「……何をしているの、マルチナ? 私は歌いなさいと言ったのよ?」


「ひぐ……! も、もう……お許し下さい! 家に……家に帰りたいんです! お父さんとお母さんに会いたい……ヨゼフにも……」


 マルチナはその場でしゃがみ込んで、その不快なすすり泣きを続ける。


「…………」


 このマルチナは、ワラキア公国・・・・・・の公都トゥルゴヴィシュテで一番の美声と専ら噂の少女で、カーミラの見立てによると生娘であったので即座に気に入って、このポエナリ城まで強引に攫ってきたのだ。


 それ以来調教・・を重ねながらその歌声を楽しんできたのだが、ここいらが限界のようだ。


(まあもう充分楽しんだし、最近はちょっと飽きて・・きていたから丁度良かったわ……)


 カーミラは長椅子から気だるげに身を起こすと、指をパチンと鳴らした。


「いいわ、マルチナ。これまで素敵な歌を披露してくれたお礼に、あなたの家族……両親と弟に会わせてあげるわ」


「え……!?」


 マルチナは信じられないというような驚きの表情で顔を上げる。


「ほ、本当ですか!? 本当に家族に……!?」


「ええ、嘘は言わないわ。実はあなたが里心が付いてる頃だと思って、この城に呼んであったのよ。もうすぐここに来るわ」


「あ……ああっ! あ、ありがとうございます、カーミラ様! ありがとうございます!」


 マルチナは全裸の姿のままで、床に這いつくばるようにしてカーミラに、涙ながらに礼を繰り返した。


 元はと言えばカーミラが強引に攫ってきたというのに、嬉しさの余りその事実を失念しているようだ。その滑稽さにカーミラは思わず失笑した。


「ふふ、いいのよ。あら、来たようね? それじゃあ感動の再会といこうかしら?」


 カーミラの言葉に合わせて、彼女達がいる広いバルコニーに通じるカーテンが揺れ動く。そこに3人の人間が立っていた。質素な服装の壮年の男女、そして十代前半程の少年である。その姿を見たマルチナが、自分の格好も忘れて目に涙を溜めて口元を押さえる。


「あ、あ……ほ、本当に……お母さん、お父さん! ヨゼフも……! あ、会いたかった……!」


 マルチナは喜びにむせび泣きながら彼等の元に駆け寄る。


「み、皆、心配掛けてごめんなさい! 来てくれて嬉しかった! わ、私…………?」


 マルチナが駆け寄ってもその言葉を聞いても何の反応も返さない3人の様子に不審を抱いた彼女が、恐る恐る彼等の顔を覗き見ると……


「ひっ!? あ……あ……?」


「うふふ、どうしたのマルチナ? 家族に会いたかったんでしょう? もっと喜んでくれていいのよ?」


 カーミラは可笑しくて堪らないと言いたげに笑いながら揶揄する。



 マルチナの家族は確かにそこにいた。だが彼等の目は一様に白目のない真っ黒い球体となっており、その開いた口からは長い牙が覗いていた。



「ま、まさか……まさか、そんな……」



「うふふ、あなたを眠らせて連れ帰ろうとしたらこいつらが出てきて、事もあろうに私に反抗したものだから、つい殺してしまったのよ。ごめんなさいね? でもほら、こうして甦らせてあげた・・・・・・・んだから、私の慈悲に感謝しなさい」



「う、う……あ、あぁぁ、あああぁぁぁっ!!」



 グールと成り果てた両親と弟の姿に、マルチナは現実から逃避するかのように顔を伏せて声の限りに泣き叫ぶ。


「ああ……やっぱり思った通りだったわ。あなたに一番合う歌声は、何よりもその叫び声だったのね」


 マルチナの悲しみの慟哭に、カーミラはかつてない程にうっとりと聞き惚れた。だが……


「……呪われるがいい、地獄の悪魔どもめ。神はお前達のような悪しき存在を決してお許しにならない。裁きの劫火に焼かれて永遠に苦しむが――」


 怨嗟に満ちたマルチナの呪詛は半ばで途切れる。カーミラの繊手がマルチナの心臓を貫いて背中にまで突き出ていた。


「はぁ……つまらない。下等動物共は最後はいつも決まってこれ・・なのよね……。少しは芸という物が無いのかしら?」


 心底興ざめしたという風に嘆息したカーミラは、マルチナの死体から無造作に手を引き抜く。少女の身体が床に倒れ込む。


 無感動にそれを見下ろしたカーミラは、しかし面白い趣向を思いついて顔を喜色に歪める。


 カーミラが指を鳴らすと、心臓に風穴が開いたままのマルチナの死体がゆっくりと起き上がった。その目は家族と同じように黒一色となり口からも牙が覗く。


 そして同じようにグールとなっている家族達と肩を組んで、ぎこちないフォークダンスを踊り始めた。


「うふふ……感動の再会を祝って、乾杯」


 そのおぞましい光景を肴にカーミラは再び長椅子に寝そべって、葡萄酒ワインを嗜む。そうして優雅・・な一時を楽しんでいると……




「……相変わらずの移り気じゃの、カーミラよ。その娘、まだ攫ってきて二月ふたつきも経っておらぬではなかったか……?」




 バルコニーと繋がっている部屋の中に、いつの間にか1人の女がいた。淡い金髪を燭台の光に輝かせる絶世の美女だ。尤もカーミラは自身の美貌が彼女に劣るとは思っていなかったが。


「あら、シルヴィア。帰っていたの? そういうあなたこそ、また【原料】を沢山仕入れて・・・・きたのでしょう?」


「ふふ、まぁの。血色の良いハンガリー人の若い男6人じゃ! 今回こそは最高の【鮮血風呂】が出来そうな予感がするぞ」


「……あなた毎回そう言ってるわよね」


 カーミラは少し呆れたように嘆息する。このシルヴィアはカーミラと同質・・の存在であり、同じ主に仕える同胞でもある。


 ただしカーミラは若い生娘が好みで、シルヴィアは美青年が大好きという嗜好・・の違いはあったが。


「む……? ええい、細かい事を気にするでないわ! 今度こそ間違いなしじゃ!」


「まあ、いいけど……。それで? あなたの当てにならない予感を聞かせる為だけに来たんじゃないでしょう?」


「……引っかかる物言いじゃが、まあ良い。おほん! ……主様の【選定】が終わったようじゃ」


「……! それじゃあいよいよ……?」


「うむ。3人目の……つまり我等のが出来る事になる」


「……妹、ね。どこの娘?」


「コドレアヌ家じゃ。傍流に燃えるような赤毛の美しい娘がいたそうで、そやつが主様の御眼鏡に適ったようじゃな。確か……アンジェリーナとか言ったかの?」


「アンジェリーナ……。その娘、処女かしらね?」


「……おい、カーミラ。馬鹿な事は考えるなよ? まず主様がお味見・・をされるに決まっておろう」


 ギョッとしたように警告するシルヴィアに、カーミラは苦笑しながら肩をすくめる。


「分かってるわよ。ちょっと興味があったから聞いてみただけじゃない」


「……はぁ。お主の生娘好きも筋金入りじゃな」


 シルヴィアが呆れ気味に胸を撫で下ろす。カーミラは長椅子から立ち上がる。



「ふふ、冗談はさておき……。ここはもう飽きた・・・し、早速新しい妹の顔を見に行かない?」


「うむ、そう思って声を掛けたのじゃ。……ところでそれ・・、いつまで続けるつもりじゃ?」 


「え? ああ……これ?」


 話している2人の後ろでは、相変わらず4体のグールが悪趣味なダンスを踊り続けていた。


「面白いからしばらくこのままにしておくわ。ここの警備用グールの数が足りなくなってきてたし、丁度いいからそのまま使っちゃいましょう。お前達、城に勝手に入り込む人間がいたら殺しなさい」


 カーミラの命令を受けたグール達はそのまま不器用なダンスを続ける。外見的な変化はないが命令が受諾された事は、主人・・であるカーミラには感覚で解った。シルヴィアが嘆息する。


「グール共は便利じゃが、数か月で腐って使い物にならなくなるのは面倒じゃのう」


「全くね……その度に一々補充・・しないといけないし。主様が死体を長期保存する技術を探しておられるようだけど、早く見つかるといいわね」


 おぞましい光景や行為に何ら罪悪感を覚える事のない美女の形をした2体の怪物は、バルコニーの縁に手を掛けると、すっかり日を落として暗くなった夜の闇に躊躇う事無く身を躍らせた。そしてそのまま闇に溶け込むようにあっという間に消え失せてしまった。



 後にはただ機械的に不器用なダンスを踊り続けるグール達だけが残されていた。心臓に穴の開いたマルチナのグールはその黒い目から血のような涙を流し続けていたが、カーミラ達がそれに気付く事はついぞ無かった……



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