File23:サイモンの遺産

 サイモン・アーチャー主任研究員の家は、LAの外れの寂れた区画に程近い場所にあった。アンドレアによると妻と娘の3人暮らしだったとの事だ。自らの境遇に重ねたのか、ジェシカが微妙な顔をした。因みに娘はまだミドルスクールに通う中学生らしい。



 家の近くに車を止めてローラ達が降り立った時には、時刻は夕方から夜になろうとしていた。黄昏時というやつだ。


 家にはローラとアンドレア、そしてもしもの時の護衛役としてジェシカが同行する。ナターシャとヴェロニカは車に残って様子を見守る事になった。


 余り大勢で押し掛けると遺族を警戒させてしまうかも知れないというアンドレアの提案だ。



「家にいてくれると良いけど……」


「ラムジェン社から相応の『補償金』が支払われているはずよ。ま、要は口止め料ね。だからまだ働いてないはずだし、この時間ならいると思うわ」


 ローラの呟きに答えながらアンドレアが、アーチャー家の呼び鈴を鳴らす。


『……どなた?』


 ややあってインターホンから女性の応えがあった。恐らく妻のへイゼルだ。いや、正確には未亡人だが。


「お久しぶりです、ご主人の部下だったパーカーです」


『パーカー……? ああ、主人の葬儀の時に会ったわね。……何か御用かしら?』


「はい、あの……ご主人が残された研究資料を集めておりまして。ご主人が生前に、このご自宅に保管している物があると言っていた事を思い出しまして。差し支えなければそれを回収させて頂ければと……」


『主人が、うちに……? そんな物あったかしら?』


 へイゼルが考え込むような口調になる。事は社の機密にも関わっている問題だ。サイモンが妻とはいえ部外者のへイゼルに詳細を伝えてあったとは思えない。その予想は当たったようだ。


 だがそれならそれで、へイゼルが知らずにその『薬』を処分してしまっている可能性もあり得る。サイモンは慎重な性格だったらしいので、そんなリスクは犯さないと思いたいが。


 ローラは普段自分達が携行しているバッジの効力を実感していた。バッジがあればへイゼルにドアを開けさせて、『捜査』という理由で家の中を改める事は簡単だったはずだ。


 だが休職中の身ではそれも適わない。強引に事を運べば、逆にこちらが警察に通報される立場になってしまう。ローラは逸る心を押さえて、アンドレアとへイゼルのやり取りに集中した。



「その……ご主人が大切に保管していた物などはありませんか? 奥様や娘さんに触らないように言われていた物とか。恐らく何らかの薬品だと思うのですが……」


『薬品……? そう言えば……一度主人が小型のフリーザーを買ってきた事があったわ。何に使うのか聞いたら、仕事で使うとだけ言ってたけど……』


「……! それかも知れません! そのフリーザーはまだありますか!?」


『どうかしら……? 一度整理の為に主人の部屋を掃除した時には、確かそれらしいのは無かったはずよ』


 ローラはアンドレアと目線を交わして頷き合った。


「あの……奥様。それはご主人の研究成果の詰まったとても大事な物になりますので、ご主人の部屋を直接探させて頂いても宜しいでしょうか? その薬品だけ見つけたらすぐに退散するとお約束します」


『…………解ったわ。約束よ』


 やはり少し間を置いて、へイゼルから了解の応えがあった。ローラは内心でガッツポーズを取る。玄関のドアが開く。



「どうぞ。手早く済ませて頂戴。……その人達は?」


 へイゼルは40代のくすんだ黒髪の白人女性だった。ローラとジェシカに胡乱気な目を向ける。ローラは手を差し出す。


「初めまして、ギブソンです。こっちはマイヤーズ。アンドレアの友人です。彼女の仕事を手伝っているんです」


「ふぅん……? まあ何でもいいけど。主人の部屋はこっちよ」


 特に警戒する事もなく握手に応じたへイゼルはローラ達を招くと、奥の部屋へと案内した。廊下の途中の部屋から十代半ばと思われる少女が顔を覗かせていた。恐らく娘のエイミーだろう。


「ママ、その人達……誰?」


「お父さんの同僚と、その友人だそうよ」


「ふーん……」


 ローラ達はエイミーにも軽く会釈をしておく。ジェシカはややフレンドリーに「よっ!」という感じで片手を上げて挨拶する。するとエイミーの目が見開かれた。


「え……も、もしかして……ジェシカ・マイヤーズ? 『ウィキッドキャッツ』のボーカルの……?」


「あれ? 何で知ってるんだ?」


 ジェシカがきょとんとした顔になる。因みに『ウィキッドキャッツ』とは、以前ローラもバーに聞きに行った事がある、ジェシカのやってるガールズバンドの名前だ。


「うわ……マジ? マジで!? あ、あたし、ファンなんです! あたしだけじゃくて学校の友達もです! 最近いいよねって話してて……!」


 興奮した様子になるエイミーを呆気に取られて見ていたジェシカだが、「ファン」という言葉に実感が伴うにつれて、驚いたような、それでいて嬉しそうな、照れくさそうな複雑な表情になる。


「え……あ、そ、そうなんだ。その……凄く嬉しいよ。ありがとうな」


 エイミーは急いで部屋に引っ込むと、スマホを片手に再び飛び出してきた。


「あ、あの……ツーショットいいすか!? Facebookに上げたいんすけど!?」


 興奮で口調がいきなり砕けている。母親のへイゼルが窘める。


「こら、エイミー! この人達は仕事で来てるんだから邪魔しないの!」


 一転して不満そうな様子になるエイミーだが、ジェシカは首を振って進み出る。


「いや、いいよ。あたしなんかで良ければ。その代わり宣伝よろしくな!」 


「ジェシカさん……! あ、ありがとうございます! 任してください! 皆にメッチャ自慢しまくりますから!」


 ジェシカはまくし立てるエイミーに苦笑しながら、ローラ達の方を振り返った。


「という訳だから、先に行っててくれよ。あたしも終わったら行くから」


「ふふ、いいのよ。この機会にしっかりファンサービスしておきなさい。こっちは大丈夫だから」


 ローラもまた苦笑しながら頷き、アンドレア達の方を振り返る。


「じゃあ私達だけで行きましょうか」


 ジェシカをエイミーの部屋に残し、ローラ達はサイモンの書斎だった部屋に案内された。




「ここよ。あれから色々バタバタしてて、結局一度掃除したっきり手付かずよ。捜すのはいいけど、余り荒らしたりしないでよ?」


 勿論ローラ達とて好んで故人の部屋を家探ししたい訳ではない。極力荒らさない事を約束して捜索に入った。


 書斎というだけあって、棚には所狭しと専門書の類いが並んでいる。化学関係の本が多いようだが、一部歴史や民俗学の本、趣味の釣り関係の雑誌などもあった。


 ローラは棚や机を丹念に調べるが、特に怪しい所は無い。アンドレアはクローゼットの中を調べているが、やはり目ぼしい成果は無いようだ。


(フリーザーというくらいだから、机の中とかには無いわよね? この部屋には無いのかしら?)



 その後も怪しそうな場所を2人で探してみたが、成果は芳しくなかった。諦めかけた所に、ジェシカがエイミーを伴ってやって来た。



「ローラさん、見つかったか?」


「ジェシカ……。残念ながら難航してるわね」


 ローラが難しい顔でかぶりを振ると、何故かジェシカは少し得意げな顔でニッコリ笑った。


「へへ、実はこのエイミーが心当たりがあるって言ってるんだ」

「え……?」


 ローラ達が思わずといった感じでエイミーを見やると、彼女は頷きながら天井にある照明を指し示した。


「部屋のドアが少しだけ開いてて、偶然見ちゃったんだ。パパがその照明を弄ると、その部分がパカッて下に開いたんだ。そこに何か仕舞ってたみたいだったけど……」


「……!」


 ローラはアンドレアと頷き合って、照明の下に椅子を持ってくるとその上に乗った。そして照明をよく調べてみると、裏側に小さな突起のようなものが付いているのが感触で解った。どうやらスイッチか何かのようで、指で押すとカチッと音がして横にスライドした。


 すると左手で押さえていた照明が急に重みを増した。支え・・が無くなったのだ。ゆっくりと左手を下に降ろしていくとそれに合わせて照明も下に向かって開いていった。


 そこは天井に備え付けられた小さな収納スペースだった。どこかから電源を取っているようで、小さなフリーザーが仕舞われた時と同様に稼働していた。


(見つけた……!)


 震える手でフリーザーのドアを開けると、中には紫色の液体で満たされた小瓶と、太めの注射器が収められていた。間違いない。これが例の『薬』だ。ローラはそれらを手に取って椅子から降りた。


「ありがとう、エイミー。これが私達の捜していた物だわ。お手柄ね、ジェシカ」


「いいって事さ。助かったよ、エイミー。約束通り、今度のライブに来てくれたらあんたを名指しするからさ」


「約束ですよ、ジェシカさん!」


 エイミーの部屋でのやり取りが想像できてローラは苦笑した。

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