File18:悲哀の海棲獣

「うぅ……!」

「ヴェロニカ!」「グガ!?」


 精根尽き果てたように倒れるヴェロニカを、ローラとジェシカが慌てて支える。


「や、やり、ました……。ミラーカさん、は……無事、です……」


「……ッ!」


 息も絶え絶えになりながら、それでも薄っすらと目を開けて苦し気に喋るヴェロニカ。その様子を心配しながらも、その言葉の内容に膝が砕けそうな程の安堵を覚えるローラであった。


 水の底から何かが浮上してくる。ミラーカだろうか、と思って覗き込むとザバァッ!! と音を立てて『ソレ』が水面に姿を現す。


 それは……異形の怪物の背ビレの突き出た背中であった。『ディープ・ワン』だ。うつ伏せの状態で水面にプカプカと浮いているだけで、起き上がったり襲ってくる気配はない。


 その脇にもう一つ浮上してくる小さな影。プハッと息継ぎをするように水面に顔を出したのは……


「ミ、ミラーカ! 良かった……!」


「ええ、心配掛けちゃったわね。ご覧の通り、何とか無事よ」


 ミラーカはかなり疲れたような声で、無理に笑顔を作る。


「ジェシカ、悪いんだけど『彼』を上にあげるのを手伝って貰えないかしら?」


「グ……!?」


 ジェシカが、大丈夫なのか!? という感じでローラの方を見てきたが、ミラーカがああ言うからにはもう『決着』が付いたのだろう。ローラは頷いた。


「ジェシカ、お願い出来る? 『彼』は……あなたのお父さんの元部下なの」


「……!」


 ジェシカは目を見開くと、しっかりと頷いて水に飛び込んでいった。ミラーカとジェシカが協力して『ディープ・ワン』の巨体を地面の上に揚げる事に成功する。反応はない。既に死んでいるようだ。



(ダリオ…………)



 ローラの胸に深い悲しみが去来する。隣ではヴェロニカも目に涙を溜めてうつむいていた。



「2人共、ごめんなさい……。エルンストが死んだ時点で『彼』が元に戻る見込みは無くなっていた。こうするしか……」



 ミラーカの済まなさそうな声に、ローラは首を横に振る。



「いいの、ミラーカ。解ってるわ。ダリオだって怪物のままでいる事を望んではいなかったはずよ。これで……良かったのよ」


「ローラ……」


 ミラーカの心配そうな声。だがヴェロニカも泣きながら頷く。


「ええ、ローラさんの言う通りだと思います。彼にこれ以上人殺しを……業を重ねて欲しくなかった。私もその思いで自らの『力』を解放したんですから……」


「……! 最後のあの不思議な力はあなたが……?」


 ミラーカが問い掛けると、ヴェロニカは再度頷いた。


「はい。本当は死ぬまで封印するつもりでした。こんな事になるなんて……」


「いいのよ、ヴェロニカ。どうにもならなかった事なの。あなたは正しい選択をしたのよ」


 再び涙声になるヴェロニカをローラは抱き寄せる。ローラの胸の中で嗚咽を漏らすヴェロニカ。



「あのさ……今思ったんだけど、何でこの……人は、ローラさんと先輩をここに連れ帰ったのかな? 他の人達はそもそも連れ帰ったりもしないで、すぐに殺して食べちゃってたんだよな? 結局そのせいでこうして私達が駆け付ける事になって、最終的にはこうなった訳だし……」



 獣人化を解いて、人に戻ったジェシカがそんな疑問を呈する。確かにそれは大いなる疑問だ。しかも彼はローラ達がクラウスに乱暴されそうになった時に、怒り狂って制止しようとしていた。


 ローラやヴェロニカに特別な感情を持っている、と言っていたクラウスの言葉が脳裏に甦る。



「……これはあくまで私の推測だけど……」



 ミラーカがそんな風に前置きして話し出した。



「彼は彼なりに抗っていたんじゃないかしら? エルンスト達の『命令』と、自分の意思の狭間で苦しんで出した答えが、あなた達を攫う事だったのかも知れない……。彼は私の存在を知っていた。ローラを攫えば私が救出に来ると……もしかしたら、それを『期待』していたんじゃないかしら?」


「……! そしてあなたが自分を止めて……殺してくれるかも知れないと?」


「ええ……彼は私を打ち払おうと思えば出来たはずなのに、最後の最後で急に抵抗を止めたの。まるで……自らの死を望むかのように」



 エルンストやクラウスの命令に逆らえない彼が、一縷の望みを掛けてローラを攫ったのだとしたら……。そして全力で戦い抜いた末の『敗北』であれば死ぬ事が出来るのだと本能で知っていたとしたら……


「ヴェロニカ……ダリオはもしかして、あなたの『力』の事を知っていたんじゃないかしら?」


「……ッ! は、はい……実は、一度だけ黙っている事が出来ずに、相談してしまった事があるんです。そしたら彼は絶対に誰にも言わないと約束してくれて……」


「……!」


 ヴェロニカを共に攫った理由もこれで確定だ。いつからかは解らないが、やはりダリオは誰かが自分を止めてくれる事を望んでいたのだ。ローラはしゃがみ込んでダリオの『遺体』に手を置いた。



(ダリオ……あなたの望みは叶ったわ。もう誰もあなたを縛る者はいない。せめて安らかに……眠って)



 ローラはしばらくの間黙祷を捧げた。ヴェロニカだけでなく、ジェシカとミラーカもそれに倣った。




 その後ダリオとエルンストの遺体を火を掛けて荼毘に付した。そしてヴェロニカの『力』によって洞窟の壁や天井を壊し、この呪われた研究室ごと埋められ彼等の墓標となった。ダリオの遺体は絶対に人目に晒す訳には行かなかったし、エルンストの遺体もミラーカの希望によって共に葬られた。




「……結局クラウスには逃げられてしまったわね。クレアが上手く足取りを追跡してくれるといいけど」


 念の為、鼠タイプの『実験体』を護衛に連れている事を連絡しておくべきだろう。研究室の別室にあった自身の携帯を取り戻したローラはそんな事を考えた。因みにあの洞窟は電波が届かず、GPSは作動していなかった。だからこそ放置してあったのだろうが。


「それもそうだけど、これからどうやって街に帰ったらいいんだ、あたし達?」


 ジェシカの言に皆一様に困った様子になる。と言うのも、ローラは下着姿、ミラーカはボロボロのボンテージファッション、ジェシカに至っては何とか調達した布切れを胸と腰に巻き付けただけの原始人ルックだ。


「うぅ……わ、私がアバロンまで行って服を調達してくるしか、ないですよね」


 ヴェロニカはライフガードの赤いワンピース型の水着姿なので、この中では最もマシ・・な格好と言える。それでもそのまま人里へ出向くのには相当に勇気がいる格好なのは間違いない。



 4人はサンタカタリナ島の唯一の町であるアバロンを見下ろす山中に身を隠しているのであった。


「お、お願い、ヴェロニカ。あなたしか頼れる人がいないの……」 


「ッ! わ、解りました……。何とか頑張ってみます」


 ローラの財布に入っていた、なけなしの現金を手に町へと下っていくヴェロニカ。彼女にはいつかこの借りを返さなくてはならないだろう。そう思うローラであった。



「そ、そう言えばミラーカ達はどうやってこの短時間で、私達がこの島にいるって突き止めたの? あそこは携帯のGPSだって作動していなかったのに……」


 気を紛らわす為に、ふと気になっていた事を聞く。同じ条件で警察が総力を挙げたとしても、あそこまで迅速に居場所を突き止める事は出来なかっただろう。


「いや、あたしも解らないんだ。ミラーカさんが心当たりがあるって言うから付いてきただけで……」


 ジェシカの視線もミラーカに向く。ミラーカは一転して難しい顔になる。


「ど、どうしたの、ミラーカ?」


「ローラ、それなんだけど……もしかしたら私、『黒幕』に会ったかも知れないわ……」


「え…………」


 一瞬何を言われたのか解らなかった。だがその意味が頭に浸透してくるにつれて、ローラの顔も引きつる。



「ええぇぇっ!?」



 山の中にローラの驚愕の叫び声がこだました…………

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