File5:ドレイク本部長

 それから数日後の事、ローラは本部長からの呼び出しを受けていた。どうやらクレアが上手くやってくれたようだ。本部長のオフィスに入るとネルソン警部もいた。



「……来たか、ギブソン部長刑事。まあ座りなさい」



 奥の立派なデスクに腰掛けているジェームズ・ドレイク本部長に促されて、手前のソファにネルソン警部と向き合うようにして座る。



「さて、今日こうして君を呼んだのは他でもない。……君には用件の察しは付いているんだろう?」


「はい、本部長」


 伊達に叩き上げで本部長まで登り詰めていない。ローラの思惑などお見通しのようだ。なのでローラも下手に取り繕ったりせずに素直に認める。しかし目線は本部長から逸らさない。ここで逸らしたら負け・・だ。


「し、信じられん! 君は、我々を『ディープ・ワン』の事件に意図的に巻き込んだ事を認めるのか!? 自分が何をしたか解っているのか!?」


 だが横からネルソンが喚き散らしてくるので、仕方なくローラは一旦ネルソンの方へ視線を向ける。


「良く解っています、警部。しかしこうしなければならなかったんです。ダリオが……」


「まさにそれだ! 君はとんでもない醜聞を外部に漏らしたんだぞ!? もしこの事がマスコミに漏れたらウチはどうなると思う!? そうでなくともロングビーチ市警に多大な借り・・を作った事になるんだぞ! それを本当に解って――」



「ネルソン! ……まずは私に彼女と話をさせて貰えないかな?」


「……ッ! し、失礼しました、本部長」



 一喝でネルソンを黙らせたドレイクは改めてローラに向き直る。



「一つ聞こう。君はマイヤーズ警部補の一件で我々を恨んでいたり、失望したりしたかね? 正直に答えて構わない」



「……思う所がないと言えば嘘になります。でも必要な事であったと理解もしています」



 隠蔽しなければ何が起きていたか解らない。この街の為にも、ロサンゼルス市警の為にも、そしてジェシカ達の為にも、あれが最善だったのだ。そこに青臭い感情論の入る余地はない。ローラはそれを充分理解していた。


 ドレイクはそんなローラの目をじっと覗き込んでくる。ローラも負けじと見返す。実際に沈黙していたのは精々2、3秒程度だろうか。ドレイクがふっと笑う。


「ふむ、どうやら君の事を少々見くびっていたらしい。……『ディープ・ワン』の正体・・を世間に知られる事なく、秘密裏に解決したい。そういう事だな?」


「はい、本部長」


 万が一だがそのまま放置していて、FBIやロングビーチ市警が独自に解決してしまった場合、そして『ディープ・ワン』の正体がダリオだと何らかの理由で知られてしまった場合、その事実を押し留める事は不可能だ。ここでロサンゼルス市警が介入しておく事のメリットは非常に大きい。と言うより、介入しなければならない。ドレイクならそれを理解しているはずだ。


 少し考え込んでいた風のドレイクだが、ややあって顔を上げた。


「……よし、いいだろう。ロングビーチ市警への『協力』を許可する。ギブソン部長刑事、君を正式に『ディープ・ワン』事件の担当に任命する。ロングビーチ市警のオコナー本部長には私から話を通しておく。今、彼が置かれている状況を考えれば、まず断られる事はないだろう」


「はい……! ありがとうございます、本部長!」


 これで管轄外の問題は解消される。本部長同士の決定となれば、ロングビーチ市警の所轄刑事達も文句は言えないだろう。


「本気ですか、本部長!? これでもし解決できなければ、その責任は我々の方にも掛かってくるんですよ!? 進んで厄介事を背負い込むなんて……」


「解決できれば問題ない。そうだろう? それにこのまま余所任せにした場合のリスクは君にだって解っているはずだ。ロドリゲス部長刑事があのような事になった時点で、我々に選択の余地は無いんだよ、ネルソン。これは決定事項だ。君は署員にこの事を通達して、捜査体制を整えてくれ。頼んだぞ」


「……ッ! 了解しました……」


 不満顔ながら了承したネルソンは、キッとローラの方を睨み付けると、肩を怒らせながら本部長のオフィスを後にした。ドレイクが苦笑する。



「済まないな、ギブソン刑事。彼は決して無能な男ではないんだが、どうにも消極的で事なかれ主義な所があってね。ただ政治的な嗅覚には優れていて重宝している部分もあるんだ。ああいう人間も組織には必要なんだよ」


 ローラもまた苦笑しながら頷く。単にゴマすりだけが取り柄の無能な人間が警部にまで昇進できる程、ロサンゼルス市警は甘い組織ではない。それはローラもよく解っていた。


「さて、これで君は晴れて『ディープ・ワン』事件の捜査が出来る訳だが、ここまで大胆な事をして捜査権限をもぎ取ったからには、何か展望があるのだろう?」


「はい……。まずはダリオが運び込まれていた病院を調べてみたいんです。警部補の時とは状況が違う。ダリオはあのマコーミック邸で『ルーガルー』に重傷を負わされた時は、確実に普通の人間でした。となれば『ディープ・ワン』とダリオを結びつける接点は、あの病院しかありません」


「ふむ、なるほど。まずは原因・・から特定しようという訳だな。今『ディープ・ワン』に一番近いのは君だ。思うようにやってみたまえ。周辺の細々とした雑事・・は我々に任せて、君は事件解決に全力を尽くして欲しい」


「本部長……。はい、ありがとうございます! 必ずや成果を上げてみせます!」


 ようやく具体的な行動が起こせる手応えにローラは奮い立った。必ず『ディープ・ワン』に……ダリオに辿り着いてみせる。そう決意を新たにするのだった。




◆◇




 ローラが喜び勇んでオフィスを退室していった後、ドレイクは何事かを考えるような仕草で目を閉じたままデスクに腰掛けていた。やがて何かの気配を感じたかのようにゆっくりとその目を開いた。


 彼の座っている席のすぐ後ろに、1人の人物が佇んでいた。一体いつそこに現れたのか……。オフィスのドアが開かれた気配はない。勿論窓もだ。そして間違いなくローラ達がいた時は、他に誰もいなかった。



「……ご命令・・・通り、許可は出しました。これで宜しかったのでしょうか、閣下・・?」



 ドレイクはその何者かに向かって語り掛けるような口調で喋り始める。いきなり現れたその人物に対して何ら動揺した気配はない。それどころか恭しい口調ですらあった。


「ええ、よくやってくれました。デュラハーン・・・・・・・ドレイクよ」


 その何者かが傲然と答える。口調は丁寧であったが、その声音は冷徹そのものであった。


「恐縮でございます。しかし宜しいのですか? あの娘・・・、このままではいずれ閣下の元に辿り着くやも知れませんぞ? 既に必然を疑っている節があります。やはり『特異点』はもっと無害な人物にしておいた方が……」


「いえ、構いません。逆にあれくらいの気概が無ければ『特異点』としての役目を全う出来ないでしょう。むしろ私の元に辿り着けるほどになって欲しい物です。……尤もあの女吸血鬼・・・・がまだまだ『弱い』ままですから、それは当分先の話になるでしょうが」


「そう……ですな。マイヤーズはとんだ期待外れ・・・・でした」


「まあ、自分が文字通りただの噛ませ犬に過ぎない事にも気付かなかった小物ですし、彼はあの程度でしょう。多少なりとも『蠱毒』としての役割を全うしてくれたのですから、それで充分ですよ。次なる『蠱毒』に期待するとしましょう」


「……『ディープ・ワン』ですか。正直、人間・・の科学力などで造られた存在がどの程度『蠱毒』足り得るか甚だ疑問ではありますが……」


「くく、そこはあの老人・・・・の狂気の妄執に期待という所ですね。まあこれが駄目なら、また別の『蠱毒』を順次当てていくだけの事です。徐々に毒性の強い・・・・・『蠱毒』を当てていけば、いずれはあの女吸血鬼も精錬に足る魂へと昇華するでしょう。その時が楽しみです」


 そう言ってその人物は冷酷な笑みを浮かべる。ひとしきり笑うとまた元の冷徹な表情に戻りドレイクの方に視線を向けた。


「ではドレイクよ。今回の件、上手くやりなさい。期待していますよ?」


「は……」


 ドレイクは恭しくその人物に向かって頭を下げる。しばらくして彼が頭を上げた時には、既にその人物は影も形もなくなっていた。やはり部屋のドアや窓が開かれた形跡は無い。現れた時と同じく忽然と姿を消したのであった。


 しかしドレイクはそれを何ら不思議に思う事も無く、己の役目をこなすべく淡々と受話器を手に取り、ロングビーチ市警へと電話を掛けるのであった……

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