File3:同棲生活

 その後しばらく教会でウォーレン達と他愛ない雑談に興じ、教会を出ると時刻はそろそろ夕刻になろうかという頃だった。どうやら思ったより長居してしまったらしい。


 帰る途中でファストフード店に寄ってハンバーガーセットとコーヒーを買っていく。コーヒーや紅茶などは断然甘党のローラだが、普段の食事はなるべく節制を心掛けている。だが時折無性にこうしたジャンクフードが食べたくなる。そういう時は無理に我慢せず腹一杯になるまで食べる事にしている。そうすると気持ちが落ち着くのだ。


 カロリーたっぷりの夕食で腹を満たしたローラは、やや弾んだ気持ちで家路につく。今日は家にいる・・・・だろうか? それとも「仕事」が入っていて不在だろうか。家の玄関を開けると……彼女・・の靴があった。心の中で喝采を上げるローラ。


 リビングに入ると、ソファに気だるげに腰掛けてテレビを見ている妖艶な雰囲気の女性の姿。


「あら、お帰りなさい、ローラ。随分ゆっくりだったのね」


「ただいま、ミラーカ・・・・。教会にも寄ってたから遅くなったのよ」


 ローラの部屋のリビングでくつろいでいたのは、美貌の吸血鬼ミラーカであった。彼女とは先月からこの部屋で同棲・・を始めていた。ミラーカの財力ならホテル暮らしを続ける事も可能だっただろうが、彼女自身が同棲を希望したのだ。勿論ローラに断る理由は無い。


 同棲を始めて1ヶ月程。ローラは何だか浮ついた気分で、家に帰る度に嬉しいような気恥ずかしいようなソワソワした気分になってしまう。まるっきり新婚ホヤホヤの旦那のような心持ちになっていた。


「あら、そうだったの。クレアの方とはどうだった? 何か進展はあったのかしら?」


「ええ、調査に同意してくれたわ。彼女も手柄を上げようと躍起になってるみたいだから、結果もすぐに解るはずよ」


 ローラは手早く部屋着に着替えるとソファに身をうずめた。一息吐いていると、ミラーカがすぐにウィスキーを淹れてくれる。自分の分のグラスも持っている。2人は何とはなしに乾杯する。


「そう……。でも、『ディープ・ワン』、か……。本当にそんな怪物なのかしら?」


「まだ何とも言えないけど、クレアの調査で裏付けが取れると思うわ」


「でも本当なの? 『ディープ・ワン』が、その……だっていうのは?」


「間違っていて欲しいと心の底から思っているけど、ヴェロニカから聞いた話も含めると状況証拠は出揃っているわ。間違いなく、ね……」


「ローラ……」


 ミラーカが心配そうな顔と口調になる。ローラは努めて明るく笑う。


「そんな顔しないで。私なら大丈夫よ。教会でも元気を貰ってきたし、心の整理はもうついてるから」


「そう……なら、私から言う事は何もないわ。とにかくくれぐれも気を付けて。それだけよ」


「ええ、勿論よ。ありがとう、ミラーカ」



「……でも『ルーガルー』の事件からそう日も経っていないのに、また新しい人外の怪物が出現? 一体……何が起きているのかしら? 私は500年生きてきたけど、それまで自分達以外に人外の存在と出会った事は無かった。だと言うのに、ここに来て立て続けに……。本当に、偶然なのかしら? 私には信じられないわ。根拠はないんだけど……何か、嫌な感じがするのよ……」


「…………」


 永く人の世を見てきたミラーカだからこそ、余計にその違和感は強いのかも知れない。ローラもその思いは全く同じであった。一生を生きてきても生涯出会わない可能性の方が遥かに高い人外の怪物が、立て続けに、しかも同じ街・・・に出現しているという事実……。今回の『ディープ・ワン』は厳密には隣のロングビーチ市に出現したが、同じ都市圏という意味ではそう大した違いはないだろう。



(これが偶然だと言うの? そんな……そんな事が起こり得るの?)



 信じられないというのはローラも同じであった。まだ何者かの意思が介在していると言われた方が納得できる。或いは街全体に何らかの呪いでも掛けられている、とか。そこでローラはマイヤーズの言っていた言葉を思い出した。


「そう言えば、あの警部補を……『ルーガルー』をそそのかしていた人物がいると言っていたわね?」


「え? え、ええ、そうなのよ。本人がそう言っていたわ」


 丁度同じ事を考えていた事に驚きながらも、ローラはあの時のマイヤーズの言葉を思い浮かべる。




 ――ある人・・・がそれは違うのだと言ってくれた


 ――その人は私の中にある獣の血は呪いなんかじゃない、むしろ人間を遥かに超越した力を授けてくれる『祝福』なんだと言ってくれたんだ




 マイヤーズの秘密を知っていてそれを唆し、『ルーガルー』誕生を後押しした人物……。あの時のマイヤーズの言葉は、誰か特定の人物を指している言い方だった。その人物は実在しているのだ。


「それを聞いてから私も気になっていた事があるのよ」


 ミラーカは思案顔でそんな事を言った。


「それは?」


「元々ヴラド達3人の灰を収めていたのは、ルーマニアの山奥にあるチェルクという小さな村だった。私は何の痕跡も残していない。そのチェルクの村人達ですら、自分達の家の下に何が埋まっているのか知らなかったくらいよ」


「……つ、つまり?」


「あのイゴールという男はどこでその情報を掴んだのかしら? 誰も知り得るはずのない情報をどうやって知ったの? それも……500年もの時があって、何故今この時期・・・・・だったのかしら?」


「……! ま、まさか、ミラーカ。あなたは……『サッカー』事件についても、誰か黒幕がいると言いたいの……?」


 それは考える事すら怖ろしい想像であった。もしそうであるなら、時期的に考えても間違いなくそれはマイヤーズを唆したのと同一人物の仕業だろう。得体の知れない存在が裏で暗躍して、次々と恐ろしい怪物を生み出している……。その目的が皆目見当もつかないだけに尚更恐ろしく不気味に感じられた。


「だ、だとすると今回の『ディープ・ワン』に関しても……?」


「勿論あくまで推測の話だから断言はできないけど、どこかでその『黒幕』と繋がっている可能性は皆無ではないと思うわ」


「……ッ!」


 恐ろしい想像ではあるが、根拠があるのだから無視はできない。と言うよりするべきではないだろう。



(『ディープ・ワン』が外部と繋がっている接点は……)



 そこまで考えた時、一つの事実に思い至った。そう、『ディープ・ワン』の正体・・はダリオなのだ。そしてローラの知る限り、ダリオはそんな人外の怪物などでは決してなかった。


 マイヤーズに騙されていた前例があるのでやや心許ないが、ダリオは周囲の目を欺く演技を続けられるような器用な人間ではなかった。そもそもそんな本性を隠していたなら、むざむざ『ルーガルー』に重傷を負わされて病院に担ぎ込まれたりはしないだろう。



(そう、『病院』だ……!)



 となれば考えられるのは病院で『何か』があったという事だ。その黒幕の人物に何か良からぬ事をされて、『ディープ・ワン』に仕立て上げられた、という事は考えられないだろうか? 


 勿論本来なら滑稽無糖もいい所な推論だが、実際に吸血鬼や人狼と対峙してきたローラは、既に常識だけに囚われるのは危険だと学んでいる。どんな突飛な可能性も疑って掛かるべきだろう。


「あら、ローラ。良い目つきになってきたわね?」


「ええ、あなたのお陰で少し糸口が見えてきたわ。ありがとう、ミラーカ」


「ふふ、それは良かったわ」


 いつの間にかウィスキーのグラスは空になっていて、溶けかかった氷だけが残っていた。


「さあ、今日はもう寝ましょうか? 明日はまた早いんでしょう?」


 ミラーカが立ち上がって就寝を促してきた。時刻もすっかり夜を回っている。確かに明日は出勤なので余り夜更かしは出来ない。


「そうね。そろそろ寝ましょうか。寝る前にシャワー浴びとく?」


 するとミラーカは首を振って微笑んだ。妖しい笑みにローラの背筋がゾクッとする。


「いいわ。どうせこの後いっぱい汗を掻く・・・・・・・・んだから、シャワーは明日起きてからの方がいいでしょう?」


「……ッ! よ、夜更かしは良くないんじゃ……?」


「うふふ……それとコレ・・とは別よ。そうでしょう?」


 ローラの喉がゴクッと鳴る。同棲を始めてまだ一ヶ月。ミラーカの手練手管・・・・に慣れたとは到底言えない状態だ。今夜もまた繰り返し絶頂させられてしまうのだろうか? 


 明日は寝不足だ、と思いながらも、妖しい期待に高まる胸の動悸を抑える事が出来ないローラであった…………

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