File17:偽りの天啓
時刻は夜。昼間は港の活気に溢れる喧騒がここまで届くが、夜には人気も無くなり静まり返る。スクラップにされた車や工業用品、もしくはこれから解体やスクラップを待つそれらの既に使われなくなった金属製品が何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出し、まるで墓場のような空気を漂わせる。スクラップにされた製品達の墓場という意味では言い得て妙だったかも知れない。
そんな金属の墓場の真っ只中にローラは捕らわれていた。建物の壁から縦に伸びる鉄パイプに背中をもたれ掛けさせるような姿勢で、後ろ手に手錠で拘束されていた。手錠の鎖は鉄パイプの裏を通されているので、ローラはその場から動けない。
(な、何故……こんな事に……警部補)
ローラの頭にあるのは後悔と……そして深い悲しみであった。まだ心のどこかで何かの間違いでは、と思っていた。ミラーカ達が言っていたのはあくまで状況証拠のみだ。尊敬する上司のマイヤーズが『ルーガルー』として多くの女性達を手に掛けてきたなどと信じたくなかった。
だが……そのローラの儚い願いは、他ならぬマイヤーズ自身の手で覆された。病院から脱走したというダリオの手がかりを求めて海に向かって車を走らせていたはずのマイヤーズが、何故かこの人気のない廃品置き場に車を停めた。
その時点でダリオの事で頭が占められていたローラは、ようやく危機を悟った。しかしローラが何かアクションを起こすよりも早く掴みかかってきたマイヤーズに絞め落とされてしまい、気付いたら今の状況となっていた。
最早間違いようが無い。マイヤーズこそが、この街を恐怖に陥れている連続殺人鬼『ルーガルー』であったのだ。ローラが今まで見てきた警察官としての彼の姿は……全て偽りだったのだ。その事実がローラを打ちのめしていた。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、近付いてくる足音があった。
「やあ、ローラ。目が覚めたようだな。日中に君の携帯を使わせてもらったよ。余り人の目がある所で携帯の暗証番号を打たない方が良いと思うぞ? まあ、君がそれだけ私を信用していたという事なのだろうが」
マイヤーズであった。普段市警にいる時と何ら変わらないその様子に、ローラはこの期に及んでこれは何かの間違いか、もしくは盛大なサプライズか何かなのでは、と思おうとした。
「け、警部補……あの、これはサプライズか何かなんですよね……? こ、降参しますからこんな事もうやめて下さい。全然笑えませんよ……!」
「ふむ……サプライズか。マコーミック邸での出来事は、まさに君にとってはサプライズだった事だろう。恐怖と緊張に震える君の汗の味は極上だったとだけ言っておこう」
「……ッ!」
――微かな望みも断たれた。臭いを嗅がれたり、汗をなめられた話は誰にもしていない。報告書にも勿論書いていない。ローラはガクッと虚脱する。立っていられずにその場にしゃがみ込む。
「何故……何故、こんな事を……」
「勿論君を餌に、あの晩に殺し損ねたミラーカ達を誘い出す為だ。前にあの『サッカー』……ヴラド達がやった事と同じだよ。少なくともミラーカに関しては確実に
「ッ! わ、私が聞きたいのは、何故こんな連続殺人なんかをしているのかです! け、警部補は……私が見てきた警部補の姿は全部偽りだったんですか!?」
否定して欲しかった。せめて何かやんごとない訳があるのだと言って欲しかった。だが……
「何故って? 君だって外食して好きな物を腹一杯食べたいとは思うだろう? それと同じだよ。好物なんだ。柔らかい女の肉がね」
――現実は無情であった。ローラは目の前が真っ暗になり、自分の足元が砂に変わってボロボロと崩れ落ちていくような錯覚に襲われた。
「い、いつから……」
「ん?」
「いつから……こんな事を……」
ローラは半ば呆然としたまま、虚ろな口調で問い掛けた。頭が上手く働かなかった。
「3年程前だよ。本格的に『狩り』を始めたのは2年前くらいからだがね。それまで私は自分の中に流れる獣の血を疎んでいた。呪いだと思ってずっと衝動を抑えて暮らしてきたのだ。だがね……
「あ、ある人……?」
突然出てきた第三者の情報にローラは混乱する。
「ああ。その人は、私の中にある獣の血は呪いなんかじゃない、むしろ人間を遥かに超越した力を授けてくれる『祝福』なんだと言ってくれたんだ。まるで天啓を得たかのようだった。閉塞していた視界が一気に開けた感覚を味わったよ」
「…………」
(ど、どういう事? 警部補の正体を知っていて、
それとも彼にだけ見える幻覚の類いの話だろうか。だがそれなら「ある人」などという言い方はしないはずだ。
ローラの混乱を余所に、マイヤーズは熱に浮かされたように語り続けている。
「最初はね、所用でユタ州に向かっている最中に拾ったヒッチハイクの少女だった。天啓を得ていた私は、そこで初めて自身の衝動に身を任せてみたんだよ。衝撃だったよ。世界が変わるとは、まさにああいう事を言うんだろうな。愚鈍で貧弱な人間達は皆私の『餌』にしか過ぎなかった。私は初めて自分の『力』を自覚したのさ。自分は今まで何を恐れていたのかと馬鹿馬鹿しくなったよ」
マイヤーズがローラの方に視線を戻す。ローラはビクッと身体を固くした。
「それからは『狩り』に病みつきになった。色々
「……ッ!」
2年程前からこの街とその近郊で急激に増えていた若い女性の失踪事件。やはり彼が……『ルーガルー』が絡んでいたのだ。
「あの『サッカー』……吸血鬼共が街を騒がせるようになって本当に腹立たしかったよ。私が狙っていた獲物を勝手に横取りされた事も何度かあったからね。霊園で実行犯の1人だった、あの赤毛の女を直接始末してやって多少は溜飲が下がったがね」
「……!」
ミラーカの見立ては正しかった。アンジェリーナは拳銃や偶然だけで倒せるような存在ではない。答えはあの時から既に示されていたのだ。
(私、馬鹿だ……! 何も見えていなかった!)
ミラーカ達の忠告にも耳を貸さず、心のどこかで警部補を信じる気持ちがあって、それでノコノコと吊り出されて、結果が今の状況だ。情けなさ過ぎて涙が出てくる。
「泣く事はないぞ、ローラ。ミラーカ達を始末したら、君の事も
頂くというのは勿論性的な意味ではなく、食欲的な意味合いでの事だろう。
「君の事はずっと狙っていたんだ。私の『メインディッシュ』としてね。予定より少し早くはなったが、こうなっては多少の繰り上げもやむを得んだろう。君の味はきっと極上だろうな。今から楽しみでならないよ」
身勝手な欲望を露わにするマイヤーズ。そこにはもうローラが尊敬していた理想的な警察官の姿は無かった。ローラは激しい後悔と共に……その事に深い悲しみを感じるのであった。
その時、喋っていたマイヤーズがピタッとその動きを止めた。そして何かを探るように鼻をひくつかせる。それから口の端を吊り上げた。邪悪で嗜虐心に満ちた卑しい笑みだった。
「……来たな。他に人間は……いないようだな。馬鹿め。本当に死にに来るとは……」
再びローラの方に向き直る。
「くく、待たせたね、ローラ。もうじき美女2人の解体ショーが始まるぞ。君には特等席で見物させてやろう」
(美女2人……? ミラーカ達の事!? そんな……!)
ミラーカをまた危険な目に遭わせてしまう罪悪感にローラの胸は痛んだ。さりとて自殺するような度胸も無い。ローラは激しい自己嫌悪に陥っていた。マイヤーズはダクトテープを取り出すと、ローラの口に貼り付けた。口を塞がれたローラが呻く。
「ん! んんっ!」
「さて、それではずっと『ルーガルー』事件を追ってきた優秀な女刑事殿に、憎むべき犯人と対面させてやろうじゃないか。そしてミラーカ達がズタズタになって死ぬ様を存分に見物するといい。その怒り、悲しみ、恐怖といった感情が君を更に美味にしてくれる事だろう……!」
マイヤーズが
そして……顔の形状も変化していく。鼻面が前に伸びていき、耳が頭の上に突き出る。瞳も人間のそれではなくなり、口には獣の牙が生え揃う。その形状は完全にイヌ科……オオカミのものとなっていた。
その間も身体は膨張を続け、やがて7フィート、600ポンドを優に超える巨体となる。そして「ソレ」は、天に向かって高い咆哮を上げる。
この街を恐怖に陥れてきた連続殺人鬼。残忍なる狩人。――狼男『ルーガルー』の姿がそこに顕現していた。
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