File19:『ローラ』

「彼女……ローラはオーストリアの辺境にある小さな教会に住むシスターだった。まだ十代と幼かったけど、あなたと同じように綺麗な金髪をした、とても可愛らしい娘だったわ……」



 昔の思い出を懐かしむように遠い目をするミラーカ。今彼女の脳裏にはその『ローラ』の姿が浮かんでいるのだろう。ローラは何故か胸がざわざわした。「相手」が自分と同じ名前であるという事が、余計に彼女に複雑な感情を喚起させていた。



「当時の私はヴラドに対する愛情とは別に、その……いわゆる少女趣味に嵌っていたの。無垢で可愛いらしい生娘達を誘惑し、自分の色に染め上げる……そんな歪んだ行為に楽しみを見出していたわ」


 少し言い難そうな様子のミラーカ。だがローラは彼女にそんな趣味嗜好がある事に何ら驚きはなく、むしろミラーカならそんな行為もとても絵になるとさえ思った。

 尤も自分は『生娘』という訳では無かったが。


「そんな時に彼女……ローラの噂を聞いたの。興味を持った私は早速彼女に接触しようと現地へ向かった。病弱な貴婦人を装って、静養の為にその地を訪れた事にしてね。初めて見たあの子は……噂通りに可愛らしく、純朴で無垢で、そして慈愛に溢れていた。それにかなり天然な所もあったわね」


 何かを思い出したのか、ミラーカはクスッと笑う。


「そこで私とあの子がどう過ごしたかは、本筋とは関係ないし長くなる・・・・から省略させて貰うわね。とにかく私は天真爛漫だったあの子にどんどん惹かれていき……いつしか自分が人としての心を取り戻している事に気付いたの」


「そう……なの? 何か切欠のようなものとかは無かったの?」


 てっきり何か劇的な事件でもあって、ミラーカは人としての心を取り戻したのだと思い込んでいた。ミラーカはかぶりを振る。



「私にも何が切欠だったのかは解らない。本当に、気付いたら、という感じだったわ。当時は今よりも人智の及ばない神秘の類が現実にあった時代。或いはあの子には本当に『神』が宿っていたのかも知れないわね。あの子に惹かれ、共に過ごしている内に私の中の邪気が徐々に薄れていったのだと思っているわ。勿論あの子の人となりに心を癒やされたのも事実だけど……」



 実際にヴラドやミラーカ達が人ならざる『モノ』に変化したりしているのだ。その辺りは少なくとも現代の常識で考えるべきではないだろう。


「人の心を取り戻した私は、自分自身や自分のやってきた事が急に恐ろしくなった。恐怖と自責の念から自ら消滅を選ぼうとしていた私を救ってくれたのは、やっぱりあの子だった」


 ミラーカは目の前にいるローラへの配慮からか、それとも単に混乱を避ける為か、過去の『ローラ』の事を『あの子』と呼称する事にしたようだ。


「あの子は私の正体を知っても、全く私を怖れなかった。それ処か、ヴラドの呪縛から私を救うのだと息巻いていたわ。私が止めるのも聞かずに、結局私はあの子と連れ立ってワラキアに戻る事になった。そこで……私は自分の『罪』と向き合う事になったの」


 怖気を感じているかのように、身体を震わせて自らの両腕で自分の身体を抱きしめるミラーカ。


「罪……先程の話で言っていた恐怖政治の事?」


「ええ……ヴラドだけでなく、私達も人を人と思わず好き放題やっていた。民や残った貴族達の間にあったのは、私達に対する恐怖と憎しみだけだった。ただ圧倒的な力とそれによる恐怖で統治していただけの、頽廃の公国と化していたのよ。私は罪の意識を感じると共に……ヴラド達を止めなくてはならないと解った。私達はこの世に存在していてはいけない『モノ』だったのだと……」


「…………」


 今は人の心を取り戻している彼女だが、それまではカーミラという名の、あのシルヴィア達と同質の存在だったのだ。一体ワラキアでどれほどの無辜の民を虐待してきたのか……ローラには聞く気になれなかった。


 むしろ人の心を取り戻した事で、彼女はより苦しむ事になったのだ。


「でも状況は今と同じ……シルヴィア達はともかくヴラドの力は圧倒的だった。誰も彼には逆らえなかった。恐らく1万の兵士で取り囲んでも、まともな手段ではヴラドを殺す事は不可能だったでしょうね」


「そ、それ程のものだったの?」


「ええ、だからこそ反乱すら起こせなかったのよ。ヴラドを殺す事は不可能……。ではどうすれば彼を止められるか? あの子が出した答えが『封印』だったという訳」


「……!」

 ローラはミラーカの長い話がいよいよ佳境に入っている事を悟った。


「封印に必要だった物は、奴等の魂を封じ込める器、奴等の身体を焼く為の火を起こす聖木、そして……取り出したばかりの新鮮な人間の心臓。その3つよ」


「し、心臓!? それって……」


「そう、つまり生贄という訳よ。その力で奴等の魂を封じ込めた器に『鍵』を掛けるの。それで封印が完成する……」


「生贄……まさかと思うけど……」


 ミラーカは悲し気に頷いた。


「ええ、あの子が自ら志願したわ。自分が提唱した方法で他の人を犠牲にする訳には行かない、とね。私がどれだけ止めてもあの子の決心は変わらなかった。そして最終的に条件を整えたあの子は……」


 当時の記憶を思い出したのか、ミラーカは耐え切れなくなったかのように両手で顔を覆った。 



「私は何食わぬ顔でヴラドの元に戻り、最高の『晩餐』があるからと言って彼等を誘き出し、そしてヴラドの前に捧げられたあの子の心臓を、私はこの手で……! 最後のあの子の笑顔と、私に生き続けて欲しいと願ったその言葉を、500年以上経った今でも鮮明に覚えているの! 忘れる事なんて絶対に出来ない……!」



 ミラーカはとうとう泣き出してしまう。近くにいた他の客が物珍しそうに目線を向けてくるが、ローラが一睨みくれてやると慌てて視線を逸らして、自分達の雑談に戻って行った。ローラは躊躇いがちにミラーカを抱きしめる。


 ミラーカは一瞬ビクッとしたものの、引き剥がしたりはしなかった。ローラは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。



「ミラーカ……辛い事だったでしょうけど、良く話してくれたわ。本当にありがとう。……あなたが2度と出来ないし、するつもりもないと言った理由が解ったわ」



 それだけ彼女にとってその出来事はトラウマとなっていたのだ。それも当然だろう。相手の同意があったとは言え、いや、同意があったからこそ、愛する者の心臓を貫くなどという行為が、人の心を取り戻した彼女のトラウマにならないはずがない。


 そうでなくとも彼女には、自分が助かる為に他人の命を生贄に捧げるという行為を許容できないだろう。これがミラーカが封印は2度と出来ないと言った理由……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る