第三章、その五
──その昔。ロシア北方のとある王国に、『
なぜだかその数十名ほどの部族には、成人は女性だけしかおらず、彼女たちは人里離れた山奥にある神殿の中で、外界とはほとんど関わることなく、ただひっそりと暮らしていた。
人魚の血を引くという彼女たちは人には無い力を有しており、特にそのうちの『予知能力』が時の権力者から重宝がられ、王国から常に手厚い加護を受け続けていたのだ。
彼女たちが神殿に入る前に産み落とした子供たちは、これまたなぜか男の子ばかりで、神殿から離れた集落の中で、巫女
圧巻なのは
美しい月明かりの
まさにその様はこの上もなく禍々しく、そして狂おしいほどに美しかったのだ。
──しかし伝承はこれ以降一転して、とめどもなく血なまぐさく変わり果てていく。
『彼女』たちは女性化すると、すぐさま集落へと立ち返り、何と自分の育ての親である、他部族の男たちと交わり始めるのであった。
その狂乱の宴は男たちが精根尽き果てるまで続けられ、そのあとに女たちの『巫女』としての、初めての儀式が行われた。
それは眠り続ける育ての親の首をはね、その血肉を喰らいつくすという、恐るべき『
こうして一夜にして、初潮の血、破瓜の血、
そして、彼女たちもまた選ぶのである。自分たちの子供を育てあげその
◆ ◇ ◆
──思った通りだった。
──これぞ、俺が追い求めていた伝説そのものだ。
──見つけたぞ、俺は『人魚姫』を見つけ出したのだ。
──しかも彼女はずっと、俺のすぐ目の前にいたのだ。
──何度も餌付けをして、すっかり飼いならした『バケモノの少年』。
──間違いない。あの夢の中の妖精みたいな少女は、隠れ里に棲む者すべての
──そう。ついに俺は『人魚姫』を、自分だけのものにすることができたのだ。
◇ ◆ ◇
「……何だって!
そのとき僕はあまりの戦慄のために、知らず知らずのうちに、手にしていた草稿を握りつぶしていた。
そんな馬鹿な。いくら特殊な血を引いている一族だからって、巫女姫とか呼ばれてちょっとした力を持っているからって、男が女に変わったりすることなど、現実にありっこないだろうが。
それにこの『伝承』とかの内容は、何なのだ。これのいったいどこが、『贖罪の物語』だと言うのか。まさに叔父お得意の、猟奇趣味のエログロ話ではないか。結局これ自体すらも、叔父さんの妄想の産物ではないのか?
しかし、そのときふと脳裏に浮かんだのは、煌々と光り輝く満月の夜の泉で出会った、あの妖精のような少女の、縦虹彩の
そうだ、幻なんかじゃない。僕は実際にあの少女と会っているのだ。あれはけして、夢でも僕の妄想の産物でもなかったはずである。
ではなぜこんなに狭い里の中のことなのに、満月の夜以外に、あの少女と一度も会えなかったのだろうか。
……仮にもし、この叔父の草稿に書いてあることが、すべて真実であるならば。
あの少女の正体が、いつでもこの僕にまとわりついてくる、かの少年その人だとしたら。
鞠緒が僕のことを叔父の名前で呼ぶことも、最初からすぐになついてきたことも、時おり大人びた憂いを秘めた表情をしていたことも、──そのすべての符合が、ぴたりと一致するのである。
「まさか……鞠緒が……そんな……馬鹿な」
くそっ、いったいどっちが正しいんだ。ええい、あいつってば、どうしてこんなときに限っていないんだ⁉
『申し訳ございませぬ。鞠緒様におかれましては今宵の儀式の支度がお忙しく、おそらくは今日一日、
──『儀式』。そうだ、今日は満月の夜だ。
思わず僕は、蔵の外へと駆け出した。
すでに日は暮れ、天空には煌々と輝く夜の女王様が昇っている。
「鞠緒ー!」
僕はわずかの迷いもなく、あの聖地の泉へと走りだしていた。
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