第64話 市川凛の葛藤1
「凛は大きくなったら何になりたいんだい?」
まだ小さな私に問いかけられた父の問いに、私は一生懸命考えてから元気よく答えた。
「うーん…あ!凛ねぇ、お父さんのお嫁さんになる!」
「そうか、嬉しいんだが、親子では結婚は難しいかなぁ」
「えー!何でー?」
「うーん、凛が大きくなったら分かるかな」
無邪気な娘の疑問に父は苦笑交じりにはぐらかす。
「凛は、お嫁さん以外になりたいものはないのかな?」
「えーっとね、凛、お父さんの代わりに社長になる!」
「え、社長?」
父は私の予想外の回答に目を白黒させていた。
そんな父親の意図を知ってか知らずか、私は目を輝かせながら理由を話す。
「だって、お父さん毎日お仕事で忙しそうだから、凛が代わりに社長になって、お父さんに楽してもらうの!そしたら、今よりも凛と一緒にいられるでしょ?」
そんな私に父は頭を撫でながら優しく笑いかけてくれた。
「そうだね、ありがとう。お父さんも凛がこの会社を継いでくれることを楽しみにしてるよ」
「うん!凛、絶対凄い社長さんになる!」
そして、幼い私は満面の笑みで父に宣言した。
※※※※
「……う、んん…」
目を覚ますと、そこには見慣れた天井、横に目を移すと、これまた見慣れた自分の本棚や机……。
つまり、ここは正真正銘私の部屋だ。
「いつの間にか、寝てたのか…」
誰もいない部屋で一人呟く。
時計を見ると、針は午後9時10分前を指していた。
昨日から始まった氷室君と酒々井の勝負の打ち合わせを終えて自室に戻ってきた後、ボーっとしているうちに寝てしまっていたらしい。
「それにしても、このタイミングであの時の約束が夢に出てくるなんてね」
私は苦笑交じりに先程まで見ていた夢を思い出す。
小さい頃にしたお父さんとの約束。
それは約束と呼べるほどのものでもなく、どちらかと言えば私が一方的に宣言しただけと言った方が適切かもしれない。
それでも私はあの時と変わらずお父さんが好きだし(勿論昔とは意味合いが違うけど…)、そんな お父さんのような人になり、会社を継ぎたいと思っている。
だからこそ、中学の時、お父さんに言われた言葉にはショックを受けた。
『凛、お前にうちの会社を継ぐのは無理だ』
『凛、お前には組織の長として足りないものがある』
いきなり長年の夢が自分には叶えられないと、自分の親で目標とする人から言われた衝撃は今でも鮮明に覚えている。
でも、私は諦められず、生まれて初めてお父さんに意見した。
『凛、お前に足りないもの…それは“ずる賢さ”だ』
私は父から言われた条件をクリアし、会社を継ぐためにこの学校に入学した。
だから、私にとってこの学校を卒業することは最優先事項…のはずなのだ。
しかし、私は今、そんな想いとは矛盾した行動を取っている。
氷室君と酒々井君との勝負への介入だ。
介入すれば退学のリスクが伴う。
お父さんからの条件“卒業”を最優先で考えるなら不必要なリスクだ。
それでも、様々な想いからこの勝負に自分も加わりたいという思いが私の中からなくなることはなかった。
習志野さんを助けたいとか、裏切った葛西の奴を見返してやりたいとか……。
しかし、やはり一番の理由は……
「やっぱり私も氷室君の力になりたい。そしてできれば…」
できれば、私をパートナーに選んでほしい。習志野さんじゃなくて私を…。
最近のあの二人を見てれば、私の入る余地がほぼないだろうことは分かってる。
それでも……少しくらいは期待してしまう自分がいる。
「どっちにしろ、優先順位は明確にしておかないとね…」
幼少の頃からの夢、氷室君との関係、習志野さんを助けること、後ついでに裏切った葛西への報復…。
勿論、全て達成させることもできるかもしれないし、全部失敗するかもしれない。
そして、何を優先するかで取るべき行動も変わってくる。
決めるなら今しかない…。でも…
「ダメだ…。決められない…」
考えがまとまらず天井を見上げる。
特に氷室君と私の夢…。習志野さんには申し訳ないけど、この二つは特に甲乙つけられない。
そして、しばらく考え込んだが、やはり結論は出ず、問題を先送りにしようと、ベッドに仰向けになり目を閉じようとしたその時、
ピリリリ
私は自分の携帯の着信音に反応し、体を起こした。
着信画面を見ると、そこには意外な名前が…
「酒々井、秀…?」
ピリリリ
予想外の人物からの着信に思わず画面を見たまま固まってしまった。
――どうして彼から電話が…?そもそも私に何の用…?
「も、もしもし…」
何となく無視する気になれず、私は恐る恐る電話に出た。
『あ、もしもし、酒々井だけど。市川さん、今から会える?ちょっと話したいことがあるんだけど』
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