第35話 習志野の不安と氷室の密かな作戦

 とある暗がりの教室の一室にて……。


「おい、東海…。本当にこれで氷室達に勝てるんだろうな…?」

「ああ。問題ない。僕の作戦に穴なんてないよ」

「ならいいけど…。くれぐれも俺達を危険な目に遭わせないでくれよ…?」

「当然さ。約束するよ」


 一人の男子生徒は、東海誠一郎の返事を聞くと、少し不安そうな顔をしたまま教室を後にしていった。


「本当にこのままでいいの?」

「何がだい?」


 男子生徒が去った後、それまで黙っていた浮島恵が表情を変えず問いかける。


「万が一の時のために保険は必要。――もしもの時は他のペアを犠牲にして助かることも考えた方がいい」


 浮島は淡々と冷静な口調で的確な助言をする。

 しかし…


「それはあり得ない!それじゃあ、氷室とやってることは同じじゃないか!!」


 東海はその助言を即座に却下する。


「……それなら、私達もリスクを犯してでも行動を起こした方がいい」

「そ、そんなことしなくても今の作戦で十分さ。さっきの彼の報告でも作戦は順調だったじゃないか!」


 それだけ言い残すと、東海は動揺をごまかすようにそそくさとその場を立ち去る。

 そして、浮島はただ黙ってその背中を見送った……。


※※※※


「うぅ~、やっぱり緊張します~…」


 二人で意気込んで家を出発してからわずか数十分後、習志野は自分の机に突っ伏して泣きごとを言っている。


「…お前、ついさっき『私、やれそうな気がします!』とか言ってなかったっけ…?」


 そんな彼女を見るに見かねて珍しく俺が習志野の席まで赴き、隣で付き添っている。


「う~…そんなこと言ったって……」


 俺が少し呆れ気味に言うと、習志野は少しだけ顔を上げてチラリと恨めしそうな視線を周りに向ける。

 その視線の先には……


「ねぇねぇ、今日の勝負、どっちが勝つと思う?」

「そりゃあ氷室くんと習志野さんじゃない?実際、今クラスで断トツトップなんだし」

「確かに。それにこの前の葛西と市川のペアとの対決も凄かったしな」

「でも、もしかしたらってこともあるかもよ?実際ルール的には東海君達の方が断然有利なんだし」

「そうだよ!確かに氷室は勉強もできるし駆け引きも上手いけど、実際のところ今回は習志野さんの成績次第なところもあるし……」

「そうなんだよな。結局今回ばかりは習志野さんの頑張り次第だよな」


 習志野の視線の先には、こちらをチラチラと見ながら噂話に興じるクラスメート達がいた。

 今日の中間テストによる俺達と東海・浮島組との退学を懸けた勝負はクラス中に知れ渡っていた。

 ――っていうか、他人の噂してる暇あったら自分の心配しろよ…。

噂をしている連中に溜息をつく。

 しかし、ふと教室全体を見渡すと必死に教科書や参考書にかじりついている連中もところどころに散見された。


(なるほど…。噂話してる連中は一応安全圏にいる奴らってことか…)


 この中間テストは第一四半期の中では最後の大きなイベントであり、『四半期毎にクラスで最下位のペアは退学』という校則のせいでほとんどの生徒は他人としゃべっている余裕等ない。

 緊張しているわけではないが、オリエンテーションで俺達との勝負に負けたせいで現在クラス断トツ最下位に沈んでいる葛西・市川ペアも余裕がなさそうだ。

 ……優等生の市川がパートナーの葛西に少しでも点を獲らせようとスパルタ授業の真っ最中だ……。

 そんな中、他人同士の勝負に話を咲かせているのは、恐らくクラスで中位の連中だろう。

 一応彼らも緊張しているようだが、少し余裕があるせいか、何か喋っていないと落ち着かないといった様子だ。

 そして、そんな彼らの緊張をほぐすためのホットな話題に選ばれたのが俺達と東海達の対決についての話らしい。


「ホントいい迷惑だ…」


 俺は溜息混じりに呟く。

 彼らの話声がこちらまで聞こえてくるせいで、家を出る前に少し落ち着いていた習志野の緊張が再燃しているのだ…。

 ――しゃべるならもっと小声でしゃべれよ…。

 かと言ってしゃべっている連中にクレームをつけられる程社交的ではない俺はジト目で睨みつけることで小さな反撃を試みる。――しかし、効果はいまひとつのようだ……。


「おはよう、氷室君に習志野さん。あまり調子はよくなさそうだね」


 すると、不意に後ろから声をかけられた。

 そんな爽やかな挨拶のする方へと振り返ると……


「…何か用か、東海?」


 そこには爽やかな笑顔を浮かべる東海誠一郎とその後ろにひょこっっと無表情で佇んでいる浮島恵がいた。


「せっかく勝負の前に挨拶しに来たっていうのに、愛想がないな。――退学する準備でイライラしてるのかい?」


 東海が皮肉交じりに敵意に籠った目で挑発してくる。


「……いいこと教えといてやるよ。そういうの負けフラグって言うらしいぞ?」

「貴様…!フン、まぁいい!!僕がこんな覚悟も信念も持ってない奴に負けるわけないし」


 俺の挑発の入った切り返しにイラついたのか、東海は一言吐き捨てると自分の席に戻ろうと踵を返した。

 そして、だまって俺達のやり取りを見つめていた浮島も東海の後に続いていく。


「……生憎両方持ち合わせてるよ。…少なくともお前なんかよりはずっとな……」


 俺は立ち去る東海の背に小声で呟く。

 ふと、俺の声が聞こえたのか、浮島がこちらをチラリと振り返る。

 ……振り返ったその顔は、いつも通り無表情であったものの、何か言いたそうな顔をしていた気がした…。


 キーンコーンカーンコーン


 不意にチャイムが鳴り、ガラガラと勢いよく教室の扉を開きながら我らが担任教師・大井先生が入ってきた。


「お前ら、さっさと席につけ!一時間目のテスト始めるぞ!!」


 大井先生の呼びかけに素直に自分の席に戻ろうとすると、ふと、不安そうな顔をして俯いている習志野が目に入った。


(…さすがにこのままにしておくわけにはいかねぇよな……)


 俺はそんな習志野の頭をクシャっと少し乱暴に撫でながら


「習志野、テストが不安か?」

「……はい」


 俺の問いかけに習志野は消え入りそうな声で答える。


「そうか。ならいい。作戦通りだ」

「……え?」


 俺の答えに習志野が思わず俺を見上げる。


「今お前が不安がってることも、緊張してることも俺の考えてる作戦通りだ」

「……」

「お前にはまだ話してなかったが、俺には、今回入念に練った作戦がある。全部順調だ。これからお前にどんなことが起きても、どんなに追い込まれてもそれは全部作戦だ。――だから、心配するな」

「たっくん…」

「どんなに失敗したと思っても最後には全部上手くいくようにできてる。お前はこのテスト期間で身に付けたことを発揮することだけ考えろ。――大丈夫だ、俺を信じろ」


 俺は習志野の頭に手を置いたまま、まっすぐ前を見据えて告げた。


「はい!!」


 そして、俺の言葉に、習志野は表情をぱぁっと明るくさせて元気よく返事する。

 そこには先程までの不安に押しつぶされそうな表情の少女はもういなかった。


(まぁ、これで習志野の方は大丈夫だろう。それに習志野にもまだ言ってない作戦があるのは本当だしな)


 俺がすっかり不安を取り除かせた習志野を見て安堵していると…


「おい、氷室。私の指示を無視してイチャつくなんていい度胸だな…。あ?」

「あ…」


 声のした方を見ると、そこには怒りで顔を引きつらせた大井先生がいた…。

 ――これも作戦通り。……そういうことにしておこう……。

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