空白のひと月のこと
ワールドカップが終わってしばらく経って、俺の生活は落ち着いた。ワールドカップが終わったばかりの頃におよそひと月振り(!)に慧梨夏に連絡を入れたら、どうやら趣味の方で忙しかったらしい。落ち着いたら連絡くださいと言い残してしばらく。
キリのいいところまで書けましたーと慧梨夏から連絡が来て、久々に2人で会うことになった。2人で会うって言っても特にどこに出かけるワケじゃなくて、どっちの部屋で2人でいるっていう、いつもの日常。やっと戻って来た。
慧梨夏が来るからと張り切って作った夏らしい桃のケーキに、前の日から水出しで準備しておいたアイスティー。アフタヌーンティーをしながら互いに趣味を満喫していたひと月のちょっとした報告会を。
「慧梨夏、お前このひと月どーしてたの」
「いつも通りだね。みなもと喋ったりアヤちゃんと遊んだり。あっ、片桐神がうちのことを殺そうとしてきたので返り討ちにしてやろうとしたりね」
「本当に通常運転だったようで何より。で、忙しくしてたのは片桐さんとやらを返り討ちにしようとしてた原稿か」
「ですね。カズはこのひと月どーしてたの?」
「いつも通りだな。ワールドカップの合間を縫ってサークルに行ったりバイトしたり。あっでもIFサッカー部の活動がいつもより盛り上がってて、うちでよっぺたちと観戦してたり」
「本当に通常運転だねえ。あっ、そう言えば高崎クンから聞いた?」
「何を」
「MBCCの昼放送、カズが番組乗っ取ってたの聞きに行ってたんだよ」
「うっわマジか!」
ワールドカップの期間中は、火曜日に持ってた昼放送で俺も喋るということをやらせてもらっていた。だってサッカーの話がしたかったんだ! 果林がサッカーの話したいですよねーって言うからさ、サッカー回っぽい曲とか探してたらうずうずしてさ。
そうか、高ピーとヨシが聞きに来てるっていうのは知ってたんだけど、って言うか聞いてたんだけど(お前喋るなら最低限これこれこうしとけみたいなモニターもされてたし)。まさか慧梨夏にも声を掛けていたとは。
「浅浦クンも一緒にね」
「うっわマジお前それ! いやねーよマジで」
「何で浅浦クンに対しては拒否反応になるの」
「いや、番組乗っ取ってマルチで喋るとか、完全に俺のイキリじゃんな。うっわ、マジねーわ」
残念な俺の語彙力ではあまりいい感じに言い表せないんだけど。浅浦クラスになると俺のことをそれこそ物心つく前から知ってて、俺のことを9割以上知ってると言っても過言じゃない。
浅浦の知らない残り1割がサークルとかの部分だと思ってたのに俺の知らないところでそれを聞かれた、しかもイキってるところをってなるとそりゃちょっとなー。知ってる人に向けてやるのと不特定多数に向けてやるのってまた違うじゃんな。
「あ、慧梨夏、浅浦が余計なこと喋ってないか?」
「余計かはわからないけど、カズの部屋で観戦したときの話とか?」
「うわっ、何バラされた」
「カズが昔から憧れてたヒーローと友達になってたっていう話とか」
「あー、よっぺのことな。すげーよ、よっぺはマジヒーローだから。あんま語ると長くなるからこの切り抜きだけ見て欲しい」
タブレットに突っ込んである俺の自炊フォルダから、目的の1枚を引っ張り出す。あくまで趣味には相互不干渉というルールがあるので熱くなり過ぎない程度に。だから1枚で留めておく。よっぺと言えば、山口兄弟と言えばという1枚。
俺たちが3年の時、よっぺ擁する高校はエリア大会の決勝まで行ったんだけど、あと一歩で全国には届かなかった。それを同じチームでレギュラー張ってた弟の航平がわんわん泣いて悔しがってるのをよっぺが抱き留めてるっていうショット。翌年、航平の活躍で全国まで行ったよね。
「これ!」
「かわいい!」
「かわいいかどうかはともかく、俺はよっぺは絶対将来的に“消えた天才は今”みたいなテレビで取り上げられるって信じてるんだ」
その観戦大会の名残は冷蔵庫の中にある。俺ひとりではあまり飲むことのない缶ビール。星ヶ丘勢が結構ビール派多いんだよな。ただ、慧梨夏と一緒にいる時間が長くなると、家事に費やす時間も長くなる。洗濯機を回しながらビールだって飲めてしまう。
「そういや慧梨夏、お前このひと月ちゃんと飯食ってた?」
「出来合いのものが多かったけど、食べてたよ」
「食ってたんならいいけど」
「でも今日はカズの作ったご飯が食べたいな」
「端からそのつもりだ。何食べる?」
俺はデザートにお前を、みたいな寒いヤツは死んでも言えないけど、せっかく久し振りなんだからちょっとくらいは気合を入れた料理をしたい。何をしよう、何を作ろう。このひと月が一発で埋められるようなとびっきりのディナーってヤツをさ。
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