気紛れのフィット感

「ユノ!」

「あ、イク。帰ってたの」

「隣いい?」

「どうぞ」


 とある昼休み、薄暗い第1食堂の中でも特に入り組んだ辺鄙な席に陣取って昼食をとっていると、場所にそぐわない声で名前を呼ばれる。懐かしいその声に振り向けば、今度はどこへ行っていたのやら、旅帰りの様相でイクが立っていた。

 イクこと武藤育美は俺、岡崎由乃とはMBCCの同期で、今は会計という職にある。尤も、サークルの方は幽霊部員だから月に2~3回来ればいい方だし、会計職も今は実質的にカズが代行している。国内外問わず旅に出るのが趣味で、勉強もその分野が主だ。旅行はフィールドワークとも言える。

 トレーの上には肉うどんとおにぎり。どこに行っていたのかはわからないけど海の向こうから帰って来たことだけは確かだろう。俺はイクを左隣に迎え、食事を続ける。ちょうど、俺の真上にあるスピーカーからはMBCC昼放送が始まったところだ。


「あ、昼放送だ」

「ここがちょうど聞きやすいんだ」

「知ってる。ユノのぼっち席兼モニター席っしょ?」


 俺は講座の関係もあって毎日大学に来ている。毎日同じ時間、同じ場所で食事をとっているから自分の番組以外はしっかり聞けている。俺は求められればその日の番組に対して何かしらの講評をするモニター係と化していた。


「イク、急に帰って来たね」

「急じゃないよ、毎年この時期はミキ飲みだもん」

「ああ、そうか。今年もやるの?」

「カズからどこにいる予定かって聞かれたから、やるんでしょ。ロールケーキ食べたいってリクしといた」

「6月のミキ飲みってイクだけじゃなくてカズも祝う会なのに、カズにケーキ作らせるんだ」

「いーのいーの細かいことは。アタシとカズの仲だもん」


 カズとイクは3年のミキサー同士として仲がいい。一方、イクと仲が悪いのは高崎だ。天才型で音の繋がりや使う曲に根拠など要らないイクと、努力型で物事に対する根拠を求める高崎。1年の時に衝突して以来犬猿の仲だ。酒のある場所では休戦するけど、基本顔は合わせたくないらしい。

 ――という事情もあって、去年代替わりしてからイクがサークルに寄り付く頻度も下がってしまった。元々そこまで高くなかったのがさらに。高崎の束ねる場所にはいたくなかったのだろう。ただ、互いに実力はある程度認めてるから、合わないのは性格や考え方だ。


「ここで肉うどん食べると帰って来たーって感じがする」

「故郷の味みたいな?」

「まあ、故郷って言うにはデカいかもだけど。あ、ユノ一味取って」

「どうぞ」

「あんがと。ユノ、元気にしてる? もう夏じゃんね、日も長いし。目、平気?」

「憂鬱で仕方ないよ」


 日が長くなるというのは本当に憂鬱で仕方なかった。夏の日差しや突き刺すような西日なんていうのははっきりと言えば暴力だ。俺は生まれつき視野が明るく白飛びしたように見えてしまう。それを抑えるための色付きの遮光眼鏡が欠かせないのだ。

 如何せん色付き眼鏡なんていう物はよほど事情を知った人でないとサングラスでイキってるなんていう風にも見られがちで、苦労は絶えない。いっそヘルプマークでも携帯してやろうかと最近では思うようになっている。まあ、しないけど。

 俺がラジオに興味があるのも目に疾患があるという事情から。MBCCの人はそんな事情を知った上で何ら普通に接してくれる。高崎とはアナウンサーの同期として、それから唯一の喫煙者同士として木陰の喫煙所でコーヒーを飲みながら語らう仲だ。


「しばらくはこっちにいるの?」

「うーん、どうだろうね。ミキ飲み終わったらまた出掛けるかもだし、しばらくこっちでふらふらしてるかもだし。わかんない」

「イク、俺とは飲まない? ミキ飲みだけで行く?」

「それは飲むよ、もちろん。定期的な充電って必要じゃん」

「充電、ね」

「この、さ、ハグした時にジャストフィットするユノ感ってヤツ?」

「何それ。と言いたいところだけど、俺もイク感と言われればわかるかもしれない」

「そういやまだハグしてないねー」

「最初にしないから。するなら食べ終わってからにしてくれる?」

「わかった」


 いってきます、いってらっしゃい。ただいま、おかえり。そんな挨拶としてのハグは、日常茶飯事。もちろんイク以外の人とはしないけど、イクとは自然にそうしてる。MBCCのサークル室でそれをやって、俺たちの関係を知らない子に2人は付き合ってるのかと誤解されるまでがテンプレだ。


「ユノ、アタシと喋ってばっかだけど番組は聞いてる?」

「聞いたり聞かなかったり。まあ、今日くらいはね」

「そうそう、すっごいの仕入れたよ。ユノ、うちに来るでしょ?」

「お、いいね。行こうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る