仕上げに魔法の粉をひとふり

 アイツはこの人に敢えて言わないようにしてるんだと思う。だけど、長く一緒にいればわかることはあるもので、どうやら伊東はここ最近イライラしていると言うか、ピリピリしているのを宮林サンにはすっかり見破られていた。

 今年はワールドカップがあるからテンションがちょっと違うにしても、サッカーに関わる時のようなノリの違いではない。だけど、それに触れるべきか否かの結論は出ない。俺の元を尋ねてきた彼女はそう言う。


「――というワケなんですよ」

「なるほどな。で、アンタはどうしたい」


 伊東のことで困った時は俺に聞けば間違いないとか、宮林サンのことで困った時は俺に聞けば間違いない。そんなご意見番とか相談窓口のような扱いにされて久しい。そんなことをやっているうちに、すっかりこのバカップルの事情通になっていた。

 どうやらこのカップルは考えることが同じようで、相手に言えないこと……サプライズだとか愚痴だとか、部屋に持ちこみたくないことは俺に吐き出すようになっていた。2人とも相手のそれを無理に暴くことはしないし、少しの情報を与えればあとは自分たちで解決する。


「そうだねー、少しでもリラックスして欲しいよね。家でも神経張りつめてるみたいだから」

「それじゃあ答えは簡単だ。アンタは余計なことを考えずに普段通りにしてればいい」

「えっ、何それ」

「アイツ、サークルの関係で結構キテるみたいだな」

「その割に、高崎クンも何も言ってこないけど」


 伊東がイライラしているという件は、元を辿れば1年の頃まで遡る。当時そこそこ仲良くしていたらしい他校の男といろいろあったそうだ。惚れた女に近付くための踏み台にされたり、その他マウントをしてきたりと。

 そしてその男は惚れた女に振られた腹いせなのかは知らないが、彼女のいる伊東が妬ましく映ったのだろう。会ったこともない彼女に対して根拠も何もない誹謗中傷をしたのだ。それに伊東はキレて手を出した、と。高崎によれば、その件はMBCCでもタブー扱いだし当然彼女には話せない、と。

 伊東曰く、今は1年生に対する講習会で講師を頼まれたまでは良かったが、その男がしゃしゃり出て来ていて面倒なことになっているそうだ。そして、MBCCのサークル室にも不法侵入されて金銭や備品などに被害がなかったかの確認作業がしんどかった、とのこと。


「まあ、サークルのトップともなれば責任もあるからな。あまり部外者に話せるようなことでもないんだろ」

「そっか、そうだよね」


 一応はタブーとなっていることをこの人に知られるのが一番マズい。適当な言葉で誤魔化したけど、案外すんなりと納得してくれてよかった。余談だけど、俺はこの人の秘密も持っている。当然、伊東には話していない。ただ、その件は高崎も知っているから、案外俺の次に事情通なのは高崎だという気がして来た。


「とにかく、アイツはそういう負の感情を部屋とか、アンタの前に持ち込みたくないって思ってるってことだけは確かだから」

「でもさ」

「大事なことだから何回でも言うぞ」

「うん」

「何も訊かずに傍にいてやって。アンタがいつも通りにいることが、アイツにとって何よりの薬だから」

「……わかった」


 無理に捻じ伏せたようにも見えるけど、ひとまずはこれで納得してもらうしかない。


「あ、そうだ。買い物行くか」

「えっ、どしたの急に。もしかして何か食べさせてくれるみたいなこと? グラタンかな、オムライスかな」

「いや、小麦粉が安いから」

「え、小麦粉?」

「むしろ俺が食わしてもらいたいくらいだ。パンかな、うどんかな」


 小麦粉は伊東の台所には欠かせない食材だ。伊東のストレス発散法のひとつに無心で料理をするというのがあるけど、この調子だと小麦粉はいくらあっても買い過ぎるということはないだろう。チラシによれば特売らしいから、買っておいて間違いない。


「一応薄力粉も強力粉も安いっぽいし、もしアイツと買い物が被っても問題ないだろ。どうせいつかは使うんだし」

「そしたら浅浦クン、買い物に行きましょう! あっ、うち車出そうか。どっちにしても帰らなきゃだし」

「それじゃあお言葉に甘えて助手席に乗ろうかな」


 きっと、この人が「カーズー、小麦粉買って来たから何か作ってー」っていつもの笑顔で帰って来れば、アイツも余計なことは考えずにこの人のことだけを考えて目の前の料理に集中出来るはずなんだ。


「そう言えば、ロールケーキの練習がしたいとか言ってたな。ロールケーキの材料でも買ってってやったらどうだ?」

「……うち、材料がわかんないんですよ」

「高1の調理実習でやっただろ」

「そんな昔のこと覚えてないよ! と言うか、カズの部屋なら揃ってないかな!」

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