罪作り殺人事件: or Can You Keep A Mystery?
平成3X年5月7日のことである。己は空模様を気にかけていた。しかし今、その時の天候は記憶にない。ただ何と云うこともなく、空模様を気にかけていただけだったからである。雲や太陽、或いは降っていたかも知れない雨について関心があった訳ではない。雷が鳴っていたかも知れないし、降っていたのは雹か霰であったかも知れないが、そんなことも全く心に留めてはいなかったのだ。
己は、最寄駅前のGと云うファミリーレストランの喫煙席の一番端に座っていた。煙草を吸う訳ではないが、周りにあまり客が増えないことと店全体を見渡せる位置であるため、その席に着くことが多かった。もう大型連休も明けた平日の午前で、客の数は片手に収まるほどだった。
丁度、井上陽水の「人生が二度あれば」をうっすらハミングしていた時のことだ。レジの前で一人の客が大声を出した。「おい!」とか「こら!」とか、そんな怒号だったように思う。五十絡みの痩せた男だった。その後も言葉を続けていたが、よく意味が判らなかった。恐らく何かしらのクレームだったのだろう、と云うくらいしか。
レジに入っていたのは確か――。
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アパートから橋を渡って徒歩五分ほどのスーパーの脇にあるコインランドリーで、全自動洗濯乾燥機が高速回転しているのをぼんやりと眺めていた。春だった。15:44のことだ。凡そ七十代と思われる女性が、大きな洗濯籠を抱えて、出入口の硝子扉を横に引いた。
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TM NETWORKを聴いていた、ある朝のことである。カップの底に薄く残ったノンカフェインのアールグレイを飲み干し、そっとソーサーの位置をズラした。テーブルに円く、水滴の跡が描かれていた。ほぼ日手帳にこの文章を記しているジェットストリームのインクが切れかかっている。ウツの声が、善からぬ思考を運んでくるようだった。
あいつが憎いと云う訳ではない。しかし、殺すなら奴しかいないだろう。殺しが先で誰を殺るかは後の祭りか前野健太――。とは云え、逮捕されるつもりは毛頭ないのだから、何か策を弄さねばならないだろう。幽かにレモン風味のするコーラを啜り、己は席を立った。
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何も最初から人を殺そうと思っていた訳ではなかった。他に方法が、選択肢がなかったのだ。云うなれば、一種の緊急避難である。無罪とまでは云わないが、何かしらの酌量はあっても良さそうなものだろう。
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