第47話 個人工房室の理由
秋が深まっていくサンライニ。ティーラ区でも陽が落ちてくると、やや肌寒さを感じるようになった。
裕福な家では暖をとるための魔法道具を使うこともある。冬に向けてそういった魔法道具の整備依頼がぽつぽつと増え始めた。
兄の営業努力が功を奏したのだろう。裕福な家庭からも依頼が来るのは、ハンブル商工会の信用が増してきたことの証拠でもある。
そんな依頼の中の一つを終え、商工会へ戻る。
「あ!システィさん、おかえりなさい」
「ルーさん、お疲れ様です。問題なく終わりました」
中へ入ると、一階はサンライニの夕陽で満たされぽかぽかと暖かかった。どこか安心するようなここの雰囲気は、穏やかな笑顔を浮かべるルーさんの影響もあると思う。
「お疲れ様!」
来客用と言う名目で設置したはずの椅子とテーブルで、兄はのんびりと寛いでいた。最近外へ出ることが多かったようだが、今日は珍しく私より早く戻ったらしい。
「フレンス嬢がお姉様に会いたがってたよ?随分懐かれたねえ」
「お姉様…ふふっ…」
兄は心底楽しそうにそんなことを言う。ルーさんもニヤニヤとしている所を見ると、この二人は結構似ているのではないかと思わなくもない。
「まったく…」
私はそんな二人を見て、思わず溜息をつく。フレンスには何度も言ったのだが、頑として譲らない彼女に折れてしまった。ちょっと上目遣いで懇願するのはずるいと思う。
彼女を道で見かけたあの日。正直に言うと、声をかけるかどうか一瞬躊躇した。私の中に小さな罪悪感のようなものがあったからだ。
あの時の彼女の言動はとても危うかった。学園であのような態度を取れば退学だってありうる。兄から彼女の事情は聞いていたので、強く言う必要があると思い叱ったのだ。
…とはいえ、リアンを馬鹿にした態度の彼女に熱くなってしまったこともあったし、その分申し訳なさを感じていた。だからこれ以上は関わらないようにしたほうがいい、と思っていたのだ。
けれどそこで見た背中は、かつて工房から去っていった時のリアンにどこか似ている気がしたのだ。
居場所を追われ、諦念を抱えたままふらふらと進む彼女。彼よりも華奢で小さい背中は、ノースモアの僅かな風にさえ煽られ、どこかへ消えてしまいそうに見えた。
「待って」
そのことに思い当たった時には、もう声をかけていた。
私の気の利かない言葉に彼女はこちらを振り返り、驚きに目を見開く。すでに泣いていたのだろう、その拍子に勝ち気そうに見えた瞳からは大粒の涙が溢れていた。
肩書も拠り所も無くし、呆然と涙を流す彼女。私はそんな彼女を置いて、その場から去ることはできなかった。
その後技師向けの工房街から一度離れ、軽食を出すお店に連れて行くことにした。すると彼女は堰を切ったようにわんわんと泣き始めてしまい、声をかけたのは間違いだったかと頭を抱えた。
そして話を聞いて、エドガー工房へ向かう頃には「お姉様」と懐かれ、もう一度頭を抱えることになった。
「彼女は優秀になりそうだ。というかあの感じならリアンを講師にした塾をやったら大変なことになりそうだ」
楽しそうに話す兄。まあ言わんとすることはわかる。たった一ヶ月であの出来にまでもっていける講師なんて、王都を探してもほとんどいないのではないだろうか。
愛想笑いで頬が引きつります…とぼやいていたフレンス。半自動式成形機を、手動に作り変える技師だ。話に聞くような、一回生を教える若い講師では逆立ちしても敵わないと思う。
「私ずっと思ってたんですが…」
そんなことを考えていると、ルーさんがううん…と唸りながら言う。
「リアンさん…今のままの扱いでいいんですか?正直ちょっと契約に見合ってないっていうか…」
リアンはエクペルを使ったウーミィの開発、量産に加えルーシャの開発にも携わっている。正直彼から聞いた契約内容では見合っていないどころかほとんど搾取される側だ。私も常々そう思っていたので、兄に視線をぶつける。
ルーさんと私の視線を受け止めた兄は、だよねえ、と苦笑する。
「うちに雇った段階でさ、とんでもない子を見つけたぞ、とは思ってたんだよ。というか何故学園もアローグ工房も彼を放り出したのか始めは疑問だった」
「私もそこは不思議でした…」
「だよね」
ルーさんの素朴な疑問に兄は同意して、腕組みをした。
彼の技術は非常に高い。実際学園で提出していた試作回路も、その完成度は飛び抜けていた…けれど。
「いろいろ調べたり、話を聞いたけど。エクセシオス式っていう様式を受け入れないと、ノースモアの技師って居場所が本当に無いらしいんだよね。リアンはそれとは対極を行くローエン式っていうのが好きだった。だから貴族の皆様方の受けが大層悪かったらしいよ。しかも本人はそこについては頑固だったみたいだし」
兄はそう言うと苦笑した。
実際兄の言う通りだ。リアンは幼い頃の経験から、ローエン式に固執している所があった。アローグ工房の試験ではスタンレイと私で何とか言いくるめて、試験を受けさせたくらいだった。まあ結果として、彼は追い出されてしまったわけだけれど。
「そんなに形式って大事なんですか?ノースモアでは」
「ヴィクト王国ってさ、細工とかにすごく意味を求めるんだ。だからそういった様式を重んじないっていうのは、国の文化を重んじないってことになっちゃうわけ。そういう態度は、格式を大切にする階級の人たちには受けない」
魔法道具の効果だけを考えれば、そういったものを排するのはある種効率的ではある。華美さというものは、回路の効果には基本的には貢献しないからだ。
けれど、ノースモアの貴族社会、つまり最大のお客がもとめるのは華美さなのだ。
「リアンは自身の考えを固辞して、客の依頼を受け止めない。貴族は形式を重んじることに傾倒して彼の技術を利用しようとしない。お互い思考停止状態だった…ってこと。
だからこそうちは丁度よかった。サンライニとリアンの思想は相性がよかったからね」
「私達にとっても幸運でしたね。リアンさんが来てから、調子も上向きですし」
ルーさんの言葉に兄は大きく頷く。
そのことについては誰もが認めることだろう。ウーミィにしても、リゼのルーシャにしても。彼が関わった仕事はどれもいい結果を残している。
「そんな話を知る前から試験を通して、不器用な子だって分かってた。だから、最初は大きくはずしても再挑戦しやすいように名前を外に出さない契約にしたんだ」
「い、意外と考えてたんですね」
兄は懐かしむような雰囲気で契約した際の考えを話す。
少し驚きを見せたルーさんだったが、私も内心驚いていた。そんな殊勝な理由があったとは想像もしていなかったからだ。
「その必要はもう無いと思う。彼は変わった」
「この間のリーティフ…」
変わったと言われて真っ先に浮かんだことを、私は思わず口にした。
彼は頑固さを超えて、彼女のための魔法道具を作ろうとしていた。細工も必要だと強く言っていたし、回路の効果も最大限を狙っていたのだ。一緒に作業をしていた私は、彼の変化を間近で感じたことを思い出す。
「そう。彼は相手ともっと深く向き合うことを覚えた。自身の持っている個を押し付けることをやめて、個を活かすことにしたんだと思う。
きっとこれからの彼が生み出す魔法道具は、もっともっと幅広くなる。依頼者によってもっと自在に変化していくだろう。新時代の技師の登場と言っていい。名前を出さないのは失礼だし、彼はもっといろんな人から仕事を受けるべきだと思う。当然契約も変えるつもりだよ」
それにいつか…、と少し遠い目をして兄は言う。
「リアン工房…みたいなものを持ってほしいんだ。最近は私も随分感化されてさ。彼が大きくなるのを見たくなった。最初に彼を雇ったのは私だ。だからそれくらいを望む権利くらいはあると思わないかい?」
兄は嬉しそうに将来を語る。
正直私もそう思う。もがいて、悩んで、一生懸命先に進むリアンがそれを望むかはわからないけれど。ルーさんも近い想いを抱いているのだろうか。満足そうに頷いていた。
「それに、彼は奥さんが複数になりそうだしさ。旦那に甲斐性がないと困るでしょ?」
気づくと、兄だけでなくルーさんもニヤニヤとこちらを見ている。…やっぱり二人は似たもの同士だと思う。
「別に…私だって稼ぐつもりだから…」
言ってから余計な言葉だったことに気づく。思わず口を押さえるが、二人からのいたずらっぽい視線が憎らしい。
と、何かに気づいたような仕草をしてルーさんは視線を兄に移す。
「そういえばもう一つファリエさんに聞きたかったんですが」
「ん?なんだい?」
「妙にハンブル商工会って魔法技師に肩入れしてません?個人工房室まであるって…リアンさんが今使ってるから無駄になってませんけど。もともと専属技師を雇うおつもりだったんですか?」
言われてみれば私もそこは不思議だった。ノースモアに商工会を開いた後も、私は転移扉をほとんど使わなかった。だからまさか2階が個人工房室だとは思わなかったのだ。サンライニ側の商工会で、個人工房室があることを初めて知った。
そのことを聞かれると、兄は恥ずかしそうに頭をかきながら言う。
「遠い祖先にさ、頑固で死ぬまで孤独を味わった技師がいたんだ。…ノースモアはその技師が最後まで、まあ言ってみれば戦った場所なんだよね。調べるほどに彼が熱意を失意に変えて亡くなってしまったことが分かってさ。
ただ、外交の窓口に関わることが決まった時。ノースモアでは未だに彼のことが魔法学園で扱われてたことを知ったんだ。まあ軽く触れる程度だったみたいだけれどね」
イームス家は魔法学に親しんでいる家柄ではあったが、それが遠い昔からだとは知らなかった。
私は照れくさそうにしながらも、いつもより少し真剣な兄の様子に黙って耳を傾ける。
「その祖先の名前が、ローエン・イームスって言うんだ。彼は貴族の出であることを隠していたから、名字は伝わっていなかったけど」
私は驚きのあまり声を出してしまった。そんな私をちらっと見て、黙っててごめんね、と兄は言う。
しかし一方でようやく合点がいった。彼が急に商工会と言い出したことも、父が妙に乗り気だったことも。二人ともこの事実を知っていたからだったのだ。
「親族にもあまり覚えられていなかったんだ、私を含めてね。強い思想を持って活動していたのにさ。そのことがなんかちょっと寂しくて。だからそんな風な魔法技師を応援できないかなって言うのがここの理念でもあるんだ」
「そうだったんですか…」
ルーさんはいつもより少し目を開きながら、答える。やはり彼女も相当驚いているようだ。そんな想いをもつ会長のもとに、まるで運命のようにローエンの支持者がやってきたのだから。
「熱意はきっと、無駄にならない。今ならそう信じられる。だってローエンは、リアンという新時代の技師を育てたんだからね」
兄はそう言って、未だ驚きから醒めない私に満足そうな笑みを向けた。
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