第45話 涙と陽だまり

 彼女と出会ってから約一ヶ月。


 街路樹の葉は茜色に変わり始め、木組みの街並みを抜ける風が時折それを揺らしている。空はまた一つ高くなり、路地裏の土っぽい香りは随分と薄くなった。実りの季節特有の賑やかさと、商工会の一階を染める夕暮れが秋の訪れを告げていた。


 「これ…、私に?」


 夕日が差し込むハンブル商工会の一階。今日は俺とフレンス、それからファリエ会長の3人が集まっていた。


 そんな中、フレンスは渡された箱を手に戸惑っていた。

 箱の中には、単一アモーリテ製の腕輪。彼女用に製作したスコラ・リーティフだ。


 「そう。フレンスの依頼の品だよ」


 彼女は困惑の表情を浮かべたまま、リーティフを手にとる。ほたる石がまだ嵌っていないそれは、まだ未完成品。完成するのは明日、彼女が学園生になる日だ。

 そんな未完成品を彼女はおっかなびっくり観察する。そんなフレンスの様子に俺は思わず笑ってしまう。


 「当初ご希望のプラティウム製じゃないんだから、もう少し雑に扱って平気だよ?」

 「わ、わかってます!」


 彼女の強がるような言葉に、俺の隣にいる会長も笑っている。

 アモーリテを知らなかった彼女はもういない。色の違いからルーヴとは違い単一アモーリテであることも分かっているだろう。


 「学園に入って最初の実習が、そのリーティフにほたる石を石留めすることなんだ。5番のルーヴを使えば問題ないけど、一応初日から全部持っていったほうがいい」

 「石留め…よかった。いきなり回路じゃないんだ」


 俺の説明にあからさまにほっとする彼女。未だに曲線が苦手なフレンスは、回路にはあまり積極的にはなれないようだ。まあそれも時間の問題だろう。これからは嫌でも回路をやり続ける必要があるのだから、あっと言う間に慣れてしまうはずだ。

 しかし、彼女ははっとした表情になると気まずそうにファリエ会長を見た。


 「その、それでこれはいくらになるのでしょう…」


 おそらくルーヴが出世払いの上、勢いで2倍払うなどと言ったことが響いているのだろう。彼女は自信のなさそうな声で聞く。

 その言葉に、クスクスと笑ったファリエ会長は首を横にふる。


 「依頼料はさっきもらったからね。追加料金は無しだよ」

 「えっ…でも、それはリアンの…」


 言いかけたフレンスに対して、会長は俺のほうへ視線を移す。


 「俺、家庭教師の経験なんてなかったからね。学園でも窓際だったし、お金を貰えるような指導はできてないと思う」

 「まあリアンは技師だ。うちも彼を先生として売り出すつもりはないんだ」


 いたずらが上手くいった時のような笑みを浮かべて、ファリエ会長は言う。フレンスはその話に相当驚いたようだったが、丁寧にお礼を言っていた。

 まあ言い訳じみた理屈ではあるが、彼女に魔素過敏体質の彼女には腕輪は必要だ。それに依頼料だって、俺みたいな素人が講師をした分としてはかなり破格だった。

 会長と相談した上、追加料金を請求しないことにしたのだ。実際、物としても単一の中品質アモーリテ製だ。高級品というわけではないし、個人的には現状でも少し貰い過ぎかなと思わなくもない。


 ともかく、大きさの最終調整をするために彼女に早速腕輪をつけてもらった。


 「…リアンがこれ作ってくれたの?」

 「全部が全部じゃないけどね。細工設計の大元はシスティだし、回路も一部はスタンレイに協力してもらったんだ」

 「そうなんだ…」


 お姉様の設計が入っているからだろう。フレンスは嬉しそうにしている。

 と、フレンスが何かに気づいたらしく、小さく声を上げた。


 「あれ?痛かった?」

 「あ、ううん。そうじゃないんだけど…これ、もしかして…」


 そう言ってフレンスが指さしたのは、腕輪の細工の一部。そこにはかつて彼女が希望した模様が添えられている。


 「そう、フレンスが好きだっていったやつ。システィと相談して入れてみたんだ。ただ…前に話をした通りの事情があるから、大きくは入れてないよ。中央には配置できないから端になったのは許してほしい」


 かつて希望があった、健康を示す模様。それを控えめな細工で盛り込むことにしたのだ。魔素過敏という体質を理解した今こそ、この模様には意味があると思う。加えて彼女が知識抜きで好きだといったものなのだ。悪目立ちを避けながらも、どうしても入れたかった。ちなみに彼女は気づいていないが、希望していた豊穣を示す模様も実は入っている。


 気に入ったものを身に着けているだけでも気分が上向くんだよ!というのは細工設計に顔を出したニアの弁である。彼女にとってそんなものになって欲しくて、システィと一緒に設計した。


 「…ありがとう」


 少ししおらしくなった彼女がお礼を言う。その表情にはまだ幼さが残る笑顔が浮かんでいた。


 大きさの調整が終わり、リーティフは彼女の腕にしっかりと収まった。もう外してしまっても構わないのだが、フレンスはそのまま大切そうに腕輪を撫でていた。


 「うん、よく似合ってるよ。フレンスくん」

 「あ、えっと…ありがとうございます」


 ファリエ会長の言葉にはっとした後、彼女は頭を下げた。


 「君はこれから貴族子女達の巣窟のような所へ行くことになる。当然腹が立つこともあるだろうし、アウトワルド家についてあることないこと言う輩もいるかもしれない」


 以前とは違い、どこか優しい声で会長は話す。

 その変化を感じ取ったのか、フレンスは頷きながら黙って聞いている。


 「けれど、以前のように沸騰したら駄目だよ?」

 「うっ…!き、気をつけます…」


 誂うように以前のことをちくりと刺されると、彼女は恐縮しながら反省の弁を述べた。


 「あの時は本当に失礼いたしました…。穏便にすませていただいていたということも、理解できるようになりました」


 はっきりとした声で改めて会長へ謝罪する彼女は、違法商工会と罵ったあの時とは別人のようだ。1ヶ月で人はこうも変わることがあるのか、と驚いてしまう。


 「まあ、うん。正直妹が珍しく怒ってたからさ、悪乗りしてしまった所もあったんだよね…。私もたまには貴族然として振る舞いたい時もあるっていうかさ…ほら…」


 そしてこちらの貴族は台無しである。


 しおらしくなったフレンスは、少し唖然とした様子だったがすぐに顔を引き締めた。むしろこっちのほうが立派である。

 まあ会長にも考えがあったことは分かっているし、それがフレンスにも伝わっていることがせめてもの救いかもしれない。


 「うん!もののついでだ!ちょっと年長者っぽいことも話そう」


 俺の冷ややかな視線を振り切るように、会長は大きな声で切り出した。汚い大人の見本である。

 咳払いをした彼は、すこし間を置いて話を始める。


 「君は今回、喚いても叫んでも…もっと言えばお金を払っても。そう簡単に変えられないことがあることを知ったと思う」


 これはアウトワルド家を巡る環境のことだろう。魔法学園に入ることはもちろん、彼女が貴族位を剥奪されることは動かしがたい事実だった。しかもそれは彼女の手が届きにくい所で決まったことだ。


 「けれど、同時に喚かず、叫ばず、お金だけに頼らなくても。変えられることもあるんだ」


 フレンスは時折見せる真剣な眼差しで話を聞いている。


 「それはね、自分そのものだ。君は自身の周りの環境を理解し、行動を変えることで君という人間そのものを変えることに取り組んだ。

 その時、ルーヴや依頼料のためにお金が必要になったかもしれない。けれど、少なくとも依頼を受けてもらえないような状況から、引き受けてもらえるような状況に変わったんだ。それは君の行動が周囲を変えたからだよ。

 金銭を以前よりも積んだわけじゃないし、仮に倍積んだとしても。君に変化がなければシスティが君に力を貸すことはなかっただろう」


 彼女は確かに変わった。


 頭を下げるようになったし、傲慢な発言を控えるようになった。これは自身の無知を理解し、何をする必要があるのか見つめ直したからだと思う。そしてそれを行動に移したからだ。

 非常識な少女が、痛い思いをして常識的になっただけだろう、と言う人もいるかもしれない。

 けれどかつて変化を起こそうとしなかった俺からすれば、この短期間の彼女の行動はとても立派だと思う。


 「君を取り巻く環境は、確かに君が引き起こしたものではないかもしれない。それでも現実は迫ってきてしまうんだ。

 そんな現状に満足がいかないのなら。不満をもっているのなら。私達は喚いたり叫ぶための力を、行動に変える必要がある。きっとその行動は必ず周囲に影響を与えるだろう。今回みたいにね」


 現に彼女の行動に頭を抱えていた人間が、今は彼女を応援する側になっている。それこそが会長の言うことの証明だと言えると思う。



 「だからこそ、君が頑張ってきたこと。変化し成長できる立派な子だってことを、私達ハンブル商工会は絶対に忘れないよ」



 その会長の言葉に、フレンスは静かに涙を流す。


 やはりこの悪魔は人を誑かす天才である。けれど嘘偽りなく人を、その存在を面と向かって肯定する。それが彼の凄くて、暖かくて、大きさを感じるところだ。

 彼女は認められたかったのだと思う。同時に自身が何もしていないのに、評価がくだされてしまうことに強烈な違和感を持っていたのだ。だからこそ、行動の結果がこうして評価される。それが今の彼女にとっては力になるだろう。



 「…お世話になりました…っ…」



 以前は自身への絶望と、悔しさと辛さで涙を流していたフレンス。

 けれど、彼女が商工会で最後に見せた涙はとても暖かかった。


 それはとても優しくて、穏やかな秋の夕暮れとどこかそっくりで。

 暖かな夕陽が差し込むノースモアの路地裏。俺の最初で最後かもしれない指名依頼は、こうして幕を閉じた。




 ノースモアからサンライニに戻ると、まだヴィクト王国ほど秋が深まっていないことを感じる。

 暑さはもう無いが、抜けるような青空はまだその濃さを残しているし、朝晩もノースモアよりは冷えないようだ。


 依頼を終え、こちらでの業務に戻ってから2週間。

 冬へ向けた魔法道具の修理や、ウーミィの生産に追われる毎日だ。

 ちなみにルーシャは上々の売れ行き、返品も不具合もいまのところは起きていない。心底ほっとした。


 昼食時をとうに過ぎた頃、修理業務を終えて商工会へ戻る。そこでは女性陣が、陰口にしては大変大きな声で話していた。


 「まーた後で偉そうなことだけ言う感じだったんだ。頑張ったのはリアン達なのにね、ほんっと汚い大人よね」

 「ですねぇ」

 「あれと兄妹なんて恥ずかしいわ」


 ねー、と同調するハンブル商工会の女性陣。仲がいいのは良いことだが、人様の悪口で盛り上がるのはどうかと思います。

 会長がフレンスに最後にかけた言葉を、昨日ニアに話したのだ。どうやらそれがいけなかったらしい。


 ノースモアでの貴族とサンライニでの貴族は扱いが異なる。そしてハンブル商工会での貴族の扱いは更に異なる。というより酷い言われようであるのはお分かりいただけるだろう。

 ニアを始め、ルーさんとシスティに大きめの声で悪態をつかれる様子は不憫である。倦怠期を迎えた妻に追い出されるかのような会長の背中には、そこはかとなく哀愁を感じてしまう。


 「リアン、何とか言ってくれないかい…。私仮にも会長なんだけど…」

 「いや無理ですって。この商工会、どう考えても女性勢力に支配されてますから」


 事実依頼の受付や、書類の整理。お茶を淹れてくれたり、場合によっては軽食を用意してくれたりするのは女性陣だ。商工会へ来たお客さんにウーミィを紹介したり、個人用ルーシャを勧めてくれているのもルーさんとニアである。システィは技師として優秀だし、容姿ゆえに客受けが良いのは今更言うまでもない。

 見た目的にも彼女たちはハンブル商工会に貢献していると言えるだろう。ファリエ会長は美形だが、仕事上外へ行くことが多い。だからといって俺が店番をやろうものなら、男性客はもちろん女性客まで減る未来が待っている。まあ確かめたことはないが、確かめたくもない…。数字が出たら立ち直れなくなりそうだ。


 よって、大人しく彼女たちに従うのが吉…というか他に選択肢ははじめからない。


 まあ女性陣も本気で言っているわけでない。その証拠にニヤニヤした表情を隠す気もないし、陰口とは思えないほど大きな声だし、会長の様子を見て楽しんでいるのだろう。


 「私もそれなりに頑張っているんだよ…。法律の根回しって大変なんだからね、施行前もその後も…。美味しくない料理を美味しいっていわなきゃいけないし、美人じゃない夫人をお綺麗ですねって褒めなきゃいけないし…」


 だんだん死んだ目になっていく会長。色々な人のご機嫌を取りながらの仕事であるし、一挙手一投足が商工会の貴族社会での評判に関わる。

 もし商工会が立ちいかなくなれば、所属商店に対して責任を取る必要があるわけで。魔法道具さえ作っていればいい俺とは、苦労の質も量も桁違いだろう。フレンスの件も上手に都合をつけてくれたことを感謝している。


 「フレンスちゃん、元気にやってるかなあ」


 そんな時、ニアが彼女のことを思い出しながらぽつりと零す。

 その言葉を聞いて、虚ろな目をしていた会長の瞳に光が戻った。


 「ちゃんと元気みたいだ。ノースモアの講師に知り合いがいるんだけど、なかなか真面目に取り組んでいるらしい。今のところ大きな問題は起こしてないし、むしろ優秀なほうだって話だよ」

 「えっ…!」


 俺は思わず驚きの声を上げてしまった。確かに彼女は変わったが、まだまだルーヴの扱いは拙かった。気も強いし、少しくらい問題を起こしそうだと予想していた。ちょっと失礼だが、優秀になるとしてももう少し後だと思っていたのだ。


 「ちょっと意外…いや、そうでもないかしらね」

 「おっと、どうやらシスティのほうがフレンスくんの才能を見抜いていたみたいだね。リアンも教え子の才能を信じるべきじゃないかい?」


 ん?と楽しそうにこちらを覗きこむ会長。一方のシスティは苦笑している。


 「でもよかったね。フレンスちゃん、頑張ってたもん。一生懸命やってたんだから、優秀って言われるくらいでちょうどいいよ!」


 ニアはまるで自身のことのように嬉しそうだ。彼女もフレンスのこれからについて案じてくれていたのだろう。


 「面談で話してたらしいけど、アローグ工房を目指すみたいな話もしてたらしいよ?」


 その話を聞いて俺は思わず吹き出してしまう。

 システィは顔を背けてはいるが肩が震えている。声こそ聞こえないが、あれは間違いなく笑っている。

 というか貴族の情報網って、講師との面談内容まで手に入るのか…恐ろしい。


 「近い将来、ノースモアの貴族をあっと言わせる技師になるかもね。まったくリアンが将来の商売敵を育てちゃうとは思わなかったよ。こりゃ減給ものかな?」

 「勘弁してくださいよ…」


 俺がぼやくと、ニアとファリエ会長は楽しそうに笑う。ルーさんも事情は知っているのだろう、一緒になって笑っていた。


 日に日に穏やかになっていく日差しが差し込む、ハンブル商工会。

 


 背中を押してくれた陽だまりは、今日も変わらず暖かかった。

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