第5章 変わること、変わらないこと
第37話 令嬢の依頼
青空がやや高く感じ、通り抜ける風も少し駆け足になった。街並みに残る夏も、爽やかな風と日焼け後が残る陽人族の喧騒に追い立てられている。
昨日降った雨を堺に、季節の移ろいをはっきりと感じるようになったノースモア。雨上がりの土っぽさが残る路地裏で、ハンブル商工会ノースモア窓口は随分と久しぶりに営業中である。末端の技師が店番を押し付けられただけとも言う。
「受付嬢が機嫌を直してくれないんだ…」
そんな店番に困り果てた顔で愚痴をこぼすのが、我らが商工会の会長である。お得意の悪魔の微笑みは消え、すっかり意気消沈した様子だ。
「リアンからも何か言ってやってくれないかい…。このままじゃあハンブル商工会の存続すら危ぶまれる…」
「一応会話はできるようになったじゃないですか」
「いや、まあそうなんだけどさ。でもそれって普通だからね…」
リゼさんを焚きつけようとしたファリエ会長の策は、新しいルーシャカップの開発につながり成果は上々と言っていいだろう。しかしながらニアの機嫌を著しく損ねてしまったことは間違いない。その証拠にここ最近の彼女は、会長に対してわかりやすく冷たい。サンライニがヴィクト王国に比べ貴族に対しての考え方が緩いのは分かっている。とはいえ、ここまで無礼をされても困り顔で済ませてしまうのが会長らしい。それ以前に平民に冷たくされてしょんぼりする貴族はどちらでも珍しい気はする。時間が解決してくれるといいなあ、と溜息混じりにつぶやき会長はこの話題を終わらせた。
「それで、例の娘まだ来てない?」
「はい、というか誰も来てないです…」
「だろうねえ、サンライニ側はまだしもノースモア側は本当に流行ってないからなあ」
参ったね、と腕組みをする会長。
ハンブル商工会は現在それなりの利益を上げている。所属商店のレストロは相変わらず盛況だし、キュリオ工房も安定して仕事がある状況だ。そこへ最近リゼさんの工房と、システィが新たに所属として加わった。今後の商売に関しても期待が持てる上り調子と言えるだろう。あくまでサンライニ側では…。
ノースモア側はそんな勢いなど見る影もない。そもそも俺が所属することになってから、ノースモア側は出入り口としてしか使われていなかった。ひっそりと佇み、時々人が出入りするだけなので、商工会だと認識している人さえ少数派だろう。
ところがそんな商工会らしからぬ施設の周りを、不自然に行ったり来たりしている少女がいるらしい。
「騎士団からわざわざ連絡をもらったはいいものの…。あっちから何かしらしてくれないと私達にはどうしようもできないなあ」
「新手の嫌がらせ…?」
「ううむ…嫌がらせするほどの存在感を持っていないと思うんだけど…」
やや悲しい話ではあるがその通りだろう。
ファリエ会長の言う通り、少女の情報は騎士団からもたらされたものらしい。国の元首階級と話ができる立場なだけあり、そういった情報は随時手に入れているようだ。怪しくはあるが、現状拘束してどうこう…などという状況ではないそうだ。どちらにしろ商工会を監視、護衛している国に彼女の行動が筒抜けなのは間違いない。
「不審なのには違いないから強硬手段も一つなんだけどね。あんまり揉め事を起こしたくない事情もあってさ。リアンにはもう少し待ちを決め込んでもらおうかな」
少女の動向を探るための営業なので、現在こちらには俺とファリエ会長しかいない。ニアやルーさんのような窓口慣れした面々はサンライニで仕事中である。
ルーシャカップは一般販売に向け準備中だが、後は法の施行や手続きを待っているような状況だ。既に一般販売用のカップはそれなりの数を用意してある。
「ルーシャカップ販売までに片がつくといいんだけどね。それまでリアンをノースモアに置いておくとシスティに怒られちゃいそうだよ」
「ああ…俺も怒られるかもしれません…」
万が一初期不良が起きたり、故障が相次いだ場合対応できる人員は多いほうがいい。だからこそ本来なら残るべきだ。けれどカップの販売が始まればこちらの少女に対応する暇はなくなるだろう。というわけで販売までの期間に対応できないかということで、ノースモア側に俺とファリエ会長がとどまり様子を見ているというわけなのだ。
しかしいざ待ち始めると、待ち人というのはなかなか来てくれないものらしい。リゼさんに作ってもらった、営業中、という看板を最近は通りに出しているのだが。
「照れ屋なんですかね?」
「見た目はなかなか可愛らしい…って話だよ?」
他愛も無い話をしていると、会長は何やら約束があったことを思い出したらしい。
「ちょっとお偉いさん達と会食にいってくるよ。お土産もらってくるから、少しの間店番よろしく」
会食とは言っているがおそらく商談やら、法律の根回しなどをやっているのだろう。そんな会長の背中を見送ると、ノースモアの陽は少し頂点を過ぎた頃合いだった。
「薄汚い路地裏でケチくさい商売してる商工会って聞いたんだけど」
建物に入ってくるなり、かなり威力のある言葉を投げかけてくる少女。
腰まである金髪に、月銀族を思わせる白い肌。身につけている衣服や装飾品から察するに貴族の令嬢だろう。貴族関係者と揉め事を起こすのは得策ではない。ファリエ会長が言った事情、というのはこのことを指していたのだ。ご令嬢…というよりは少女といったほうがいい身長ではあったが…。
勝ち気さを感じさせる瞳に違わず、彼女は尊大な態度で言い切った。
「窓口の人間もケチくさい顔だし、間違いなさそうね。ここでしょ?ハンブル商工会って」
まだ幼さを残す顔立ちに勝ち誇ったような表情を浮かべる彼女。
会長が戻るまで何事もなければいい…などというのはどうやら甘い考えだったらしい。不審な少女というのはまず間違いなくこの人のことだろう。俺と比べればケチくさくない顔をぐいっと近づけて彼女は更に言う。
「で?あなた窓口の担当?責任者を呼んで、今すぐ」
ああ…これは面倒なことになりそうだ…。しかし言わなくてはならない。
「その、今責任者は外出中で」
「そういうのはいいから。見てわかるでしょ?あなたと私は立場が違うのよ。だからさっさとして」
苛立ちを隠しもしない彼女は、俺が最後まで言い切る前に言葉をかぶせてくる。
確かに面倒事を避けたり、飛び込みの営業を躱すために責任者を不在にしてしまう方法はある。しかしながら今回は真実なのだ。
「大変申し訳ありませんが…本当に責任者は外出してるんです」
嘘は言っていないことを理解してもらおうと改めて主張するが、思った以上に悪手だったようだ。彼女はあっと言う間に怒りだしてしまった。
「しょうもない嘘ついていると騎士団に通報するわよ!いいからさっさと言う通りにしなさい!」
「い、いや…本当に…」
「何かやましいことでもあるの!?さっさと上司を呼んでくるだけでいいの!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて…」
結論として…このどうしようもないやり取りは二人で商工会内を巡ることで解決することになった。ハンブル商工会の部屋数が少なかったことには感謝したい。
「と、途中で逃したんじゃないでしょうね…もしくは開かなかった部屋か」
怒りにまかせてやりすぎたことを自覚しているのだろうか。少し勢いが落ちた、というかやや恥ずかしそうにしている彼女が恨めしそうに聞いていくる。
「ほんとにいないんですって…あの部屋は俺にはどうしようもできないですし…」
頭が回るルーさんや、お客さんの扱いになれているニアならもう少しうまく躱したのだろう。ただ俺にはこう答えることが精一杯だったのだ。むしろ全部を見てもらったほうが納得してもらえるなら、そっちのほうがいい。転移扉のある部屋は特殊な鍵が必要だったが、鍵自体がどうみても高価、もしくは高度だとわかるものだ。さすがの彼女も庶民が手に追えるものではない、と思ったのだろう。無茶を言われることはなかった。
「確認するけど、本当に商工会なのよね?」
勢いが落ちたものの高飛車な様子はそのままに、彼女は建物内を見渡す。
俺が最初にここへきた時も感じたが、外装も内装もノースモアの商工会としては素朴すぎるのは間違いない。商工会でしょ?と言って来た人間でも改めて確認もしたくなるだろう。
「一応そうです。それで会長に用事があるなら、言伝を預かりますが…」
責任者が不在の時のもっとも無難と思われる対応で、ひとまずお帰り願うことにする。ところがその作戦は失敗だったようだ。彼女は意外なことを言い出した。
「あなたでいいわ。依頼をしたいんだけど、技師を紹介してもらえるかしら」
「技師…ですか?」
「そうよ、魔法道具を作ってもらいたいの」
貴族の令嬢がハンブル商工会へ依頼。正直怪しすぎて困ってしまう。
通常貴族が魔法道具を依頼するならもっと大きな商工会へ行く。大きな商工会でなければ貴族用のものを手がけられる工房が所属していないからだ。場合によっては各商工会の会長も貴族なので、付き合いで依頼をする場所を決めるほどなのだ。そんな状況の中わざわざ場末の商工会へ来る時点で、何らかの事情があることは間違いないだろう。
「…何か余計なこと考えているわね」
ややきつめに見える彼女の目が更に細められる。やはり表情で悟られてしまったようだ。とはいえ、同じような状況になれば大抵の人は訝しむはずなので許してほしい。どうしたものか…と答えに窮していると声がかかった。
「可憐なお嬢さん、彼には留守番を任せただけでね。あんまり困らせないでやってくれ」
会長の一言がここまで頼もしく聞こえたことはない。俺は感動で涙が出そうになる。
「ただ、魔法道具の依頼なら丁度いい。眼の前の彼が技師だからね。そのまま相談に乗ってくれるはずだよ」
そして面倒事を押し付けられるルーさんの気持ちを知って、出そうになった涙は止まった。むしろ引っ込み過ぎて滅多なことでは出ない状態になったと思う。
「このケチ臭い男が技師なの?大丈夫かしら」
そんな俺に追い打ちを掛けるように少女の声がかかる。可憐でもなんでもない言葉遣いに、庶民は悲しい気持ちになります。
彼女はひとしきり俺を眺めた後、軽く溜息をついた。
「フレンスよ」
俺は少し驚いた。これだけ強気で高飛車な様子の彼女が、自身から名前を名乗ったことが意外だったのだ。礼儀としては確かに正しいのかもしれないが、庶民より先に名乗るというのも珍しい。それはどうやら会長も同じだったようで、意外そうな表情をしていたがすぐに気を取り直したようだ。
「はじめまして、フレンス嬢。私はハンブル商工会の会長、ファリエ=イームスです。こちらは商工会所属の魔法技師、リアン」
ファリエ会長の挨拶に合わせて、俺は頭を下げる。
「女性の技師はいないの?」
「今は彼しかいないね。とはいえ学園卒だし、腕は保証するよ」
「学園卒ならまだましね…。わかったわ。依頼の話をしてもいいかしら」
「もちろん、こちらへどうぞ」
奥の席へ彼女を誘導しながら、ファリエ会長は俺に手招きをする。どうやら俺も一緒に話を聞くことは避けられないらしい。俺とフレンス嬢、ファリエ会長が席につくと彼女は担当直入に話を始めた。
「腕輪を作って頂戴。魔法学園向けのやつよ」
「後期入学、ってことかな?」
「そうよ、最近ノースモアに来たの。あそこ、腕輪が必要らしいじゃない」
かつてアローグ工房がそうであったように、ノースモアでは所属を腕輪によって証明することが少なくない。それは魔法学園であっても同様だ。学園に在籍中は身分の証明を兼ねて腕輪をつけることが義務づけられている。
「色々聞いたんだけど、私ここの貴族に舐められたくないのよ。だから他の子と違った良いものが欲しいの」
腕輪は基本的には学園から支給される。庶民学園生はありがたくこれらを使うが、学園に通うのは貴族の子女達がほとんどだ。特定の構造さえ守っていれば個人での制作も許される規則と財力を活かし、彼らは工房に制作を依頼するようになった。結果、腕輪は貴族の子女達がお洒落を楽しむ道具となり、身分や家柄、感性の象徴となっている。
しかしこれで名字を伏せていた意味がわかった。家としての依頼ではなく、彼女個人からの依頼ということだろう。家柄を余計に詮索するな、ということでもあるのかもしれない。
「こんな所に他の子達が注文をすることはないでしょう?それが丁度いいの。お金は見合った分支払うわ。代わりに他の子達に差をつけられる腕輪がいい。学園卒ならどんな腕輪があったのか知っているでしょう?どれにも似ていないものにして頂戴」
確かに学園にいた頃に色々な腕輪を見はしたが、俺が在籍していた時と、現在では流行が違うだろう。時代遅れになってしまわないか心配である。それに俺は男性だ。感性に関してもニアにしばしば指摘されるのに、とてもじゃないが彼女のお眼鏡に適うものが作れるとは思えない。これならシスティにお願いしたほうがずっといいだろうし、他の商工会でも希望を伝えればそれなりのものが出来上がるような気もする。
これらのことは俺でも思いつく。ファリエ会長なら当然思い当たっているはずだ。
「そういう依頼ならリアン、君にぴったりじゃないか。フレンス嬢、彼ならきっとあなたに似合う腕輪を作ってくれるかと」
…思い当たっているはず…あれ?
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