第3章 悪女の宣言

第20話 ある宿の憂鬱

 青い空、青い海、鮮やかな白を中心とした町並み。

 他種族国家サンライニ公国は、非常に目を楽しませてくれる国である。


 そんな公国はサンライニ半島と呼ばれる大陸側と、トラジア島と呼ばれる孤島で構成されている。

 半島側は海にはせり出しているものの、大陸とは地続きであるため懐に余裕のある方々が旅行に訪れることも多いらしい。話に聞く限り近隣諸国とも良好な関係が築けているらしく、最近はそういった旅行客も増加傾向にあるそうだ。


 ニアの実家でもあり、現在お世話になっているレストロはそんな公国の商業中心地に建つ、老舗の宿屋である。

 細い路地が中心のティーラ区ではあるが、所々に路地がいくつも交差する場所もある。そんな場所は大抵広場となっており、商売をするにはその広場周辺というのは非常に価値が高い立地といえる。


 そんな一等地に物件を持つ所有者はその価値を正確に理解していて、できるだけ利益をあげようとするのは当然である。出店したいという商店は山ほどいるし、事実申し出も殺到するのだ。


 そんな時、大抵の所有者は商工会に物件の管理を委託する。商店が信用できるかどうか、経済的に問題がないかどうか審査をしてくれるからだ。

 商工会側は管理を委託された物件について、審査を通過した商店に代理で貸付をする。そして使用料を徴収し物件の持ち主に渡すのだ。当然使用料の何割かは手数料として商工会側に納められることになる。

 物件所有者は面倒な管理を商工会側にお願いできるし、商工会は手数料として利益を上げることができる。お互いにとって利のある話なのだ。

 商工会からすれば高額で貸付ができるということは手数料での利益も期待できる。所有者も出来る限り高額で貸付をしてくれる商工会を探して委託するというわけだ。

 結果貸付料は高騰し、一等地を管理する商工会は人気に比例して所属料も高額になりがちだ。


 結果これらの負担は商店側が負うことになる。

 一等地を借り受けるためには割高の所属料を払う必要がある。同時に高額な貸付料も支払わなければならない。

 商店からすれば一等地に出店というのは売上も見込めるが、大きな出費も伴う賭けといえるだろう。



 そんな中、レストロはその賭けに勝っても負けてもいない稀有な宿屋である。

 理由は簡単、レストロ自体は店も土地もすべて個人の所有物であり、商工会にも現時点では所属をしていないからだ。

 宿にはいると、広場の喧騒が遠くに聞こえるようなレストロ独特の空気感。

 それは一等地を取り巻く熾烈な競争から一歩引くことができている、という状況も無関係ではないだろう。


 しかしそんな穏やかなレストロにも、変化の風は吹き込み始めたようだ。



 「もう本当しつこくって。高そうなお酒まで持ってきてさ…まあそういう商売なのは分かるんだけど」


 受付嬢、最近は看板娘でもあるニアの不機嫌そうな声が聞こえる。

 

 ハンブル商工会は、現在キュリオ工房との共同開発品ウーミィの販売を請け負っている。

 魔素抜きした花を水の入ったグラス瓶に詰めるこの商品は、その独特な見た目が人気で店頭販売をするたびに売り切れだ。本日もウーミィは午前中で売り切れ午後には商店業務は終了。現在は日も落ちかけて商工会業務もまもなく終了である。


 次回販売分のウーミィの調整を一旦切り上げ、個人工房室から1階へ戻ると、宿屋レストロの一人娘は受付窓口の椅子に座り、渋い表情だった。


 「ニアちゃんの宿屋さん、一等地にありますもんねえ…」

 「まあ場所だけはいいからね…オンボロだけど。あれで場所も悪かったらあっという間に潰れてたかも」


 苦笑しつつやや愚痴っぽく零すニアに、並んで座るルーさんも困り顔だ。

 書類がないところを見ると、もうほぼ仕事は終わったのだろう。


 「まあ悪くない提案かな、とも思うんだけど。今のままじゃ苦しいのは変わらないし。お母さんも妙なこだわりは捨ててもいいとは思う」

 「うーん…なんだか寂しい気もします。今のレストロが私は好きですから」

 「ありがと、ルーさんは優しいね。もふもふだし!」


 ああ…悪女によりルーさんの耳が弄ばれている。

 ルーさんは特に講義もせず、照れくさそうにされるがままである。やはり優秀な管理官は聖女だったのだ。怒ると怖いけど。


 とはいえ、しつこいというのはなんだろうか。看板娘としても人気急上昇中のニアである。妙な男に付きまとわれたりしているのだろうか。

 俺は彼女のことを聞かれても、末端技師にはつながりなんてほとんどないですよ、の一手で逃げているのだが。


 「あ、いやまあ男ではあるけどリアンの想像しているのとは違うと思うよ?」

 「…最近心の中を読まれているんじゃないかと思う」

 「リアン大体顔に出るし、すごいわかりやすいよ?」

 「そうですねえ…お姉さんはちょっと心配になります。リアンくんは無防備な所がありますからね、知らない人についていったりしちゃ駄目ですよ?」


 耳を弄ばれたまま話す兎管理官に随分な扱いを受けている気がする。

 隣に座る受付嬢は、クスクスと笑っている。ルーさんの表情も多分に笑いを含んでいる。


 「まあそんな心配そうな顔しなくても大丈夫だって。リアンはおとなしく家に泊まってお金を落としてくれればいいんだから!」


 あはは、と笑うニアは最近欲望を隠さなくなってきたようにも思う。まあ気を許してくれたんだろう。そうだよね?財布に見えてたりしないよね?


 そんな漠然とした不安に襲われていると、出掛けていたファリエ会長が戻ってきた。

 

 「お疲れ様ー!今日もウーミィは絶好調だったみたいだね」


 かなり忙しく飛び回っているらしいのだが、疲れを臆面にも見せないファリエ会長。その表情は満面の笑みである。


 「はい、ファリエさんの予想以上に売れてると思いますよ」

 「いやいや良いことだ!看板娘の頑張りがきいてるのかな?」

 「もう…私受付担当ってことで契約したと思うんですけど」

 「契約書はよく読んだほうがいいね!貴族社会の常識だよ?」


 ニアの契約は上手に抜け道が用意されており、一定の昇給をすることで別途業務を追加できるようになっていたらしい。当然本人の同意が必要だったようだが、その本人が昇給の魅力には勝てなかったと零していたのは最近のことである。


 

 「それじゃ、お疲れ様でした!」


 ファリエ会長の挨拶を最後に、ハンブル商工会は今日の営業を終了した。

 ニアは宿へ戻っていったが、俺は個人工房室のウーミィの様子を見てから帰宅することにした。一応ウーミィはまだまだ研究中であり、商品製作のための魔法道具「エクペル」も使用しつつ改良を加えている。


 今日の分の作業を終え、再び一階へ戻るとルーさんとファリエ会長が話をしていた。

 二人が揃って残っているのは少し珍しい。


 「ファリエ会長、ルーさん、そろそろ施錠しようかなと思うんですけど」


 商工会の鍵は引き続き俺が担当している。わざわざ役割を戻すこともないし、個人工房室を使うのにも都合がいいからだ。

 ニアに言われてから泊まり込みは自重しているが。


 「お!リアンお疲れ様。ニアくんも大変らしいね」

 「大変…っていうと今日話していたことですか?俺あんまり事情聞いてないんですよね」

 「あー、やっぱりそうでしたか。ニアちゃん、あんまりそういうこと話さないから」

 「リアンはニアくんにもう少し接近する必要があるね。せっかく同じ屋根の下寝泊まりしてるんだから、もっとがつっと行かないと!」


 ろくでもないことを言い始めた貴族は、兎耳の管理官にがつっと冷え込む視線を向けられ沈黙した。

 管理官というのは、常識はずれの貴族を管理するのが本業なのかも知れない。入国の管理は二の次だったりして。


 「リアンくんも泊まってるレストロのことです。なかなか難しい状況みたいで」


 ちょっと困り顔のルーさんはそう言って、事情を話し始めた。


 

 もともと人気の宿屋とはいえないレストロ。しかしながら立地は良く、良心的な価格に惹かれ利用する客によって支えられている。ティーラ区に買い物にやってくる国内遠方の方を中心に、庶民向けというのが特色でもあった。


 ところが最近レストロのある広場周辺の一等地にも変化が起きているらしい。


 「まあ、あからさまに国外のお金持ち向けが増えたよね」

 「レストロさんの向かいの宿も最近改装しましたし、ちらっと覗いてみましたがやっぱり高級志向でしたね」


 レストロ周辺の宿は今後増加する国外からの観光客を取り込むために、全体的にお金持ち向けに業態を切り替えているらしい。比較的高級な家具類を配置したり、料理人を新しく雇って朝食や夕食に力を入れたりして売りをつくり、宿泊料を値上げする方向に進んでいるようだ。

 しかし確かに綺麗で高級志向の宿に客が集まっていきそうなのは分かるが、もともと庶民向けに営業しているレストロとは客層がかぶることはなく、逆に商機があるのではないかと思う。


 「それがそうとも言えないんですよね…」


 ルーさんはそんな俺の反応にやや嘆息気味に答えた。どういうことなのか飲み込めていない俺はファリエ会長に視線を移す。


 「一等地の土地ってさ、どの商工会も喉から手がでるほど欲しいんだ。依頼を受けたり、紹介したりっていう通常の業務と比べて、かける労力は比較的低いのに継続的に利益がでるからね。

 手数料は割合でもらうのが基本だから、貸付料が高い土地のほうが単純に高い利益が見込める」


 ファリエ会長の説明はわかりやすい。確かに一度契約をしてしまえば継続的な利益を見込めるし、一等地なら商店が撤退しても希望する商店はすぐに現れるだろう。


 「レストロの土地はニアくんのお母さん、トレラさんが所有権をもっているんだよね。だからティーラ区に手を出せる商工会は正直かなり狙ってるわけ。今までは上手にあしらって来てたみたいなんだけど、見た目の老朽化もあって、最近経営は悪化してる。

 そこへ商工会からしつこく融資の提案が来てるらしいんだ。所属してくれたらお金を借しますってことだね」

 「そこの商工会が言うには、多額の融資を出すから貴族向けの宿屋に改装して、売上をあげて所属料として融資を返済しませんかって話なんだそうです」


 つまり一等地であることを見込んで、先に投資というような形で取り込もうということのようだ。

 商工会に所属することは悪いことではないし、売上が上がるなら悪い話ではないとは思う。


 「普通に考えればいい話に聞こえるし、理にかなってるようには感じるけどね。

 最近改装を進めてる他の宿屋も、基本的にはそこの商工会が抑えてるんだよ。つまり貴族向けの他の宿屋を傘下に入れて、もう利益を上げてる。

 確かにもう一軒増やそうっていう考え方は分からなくはないんだけど、別のことを狙ってる可能性もある」

 「別のこと…ですか?」


 表情から察するに、あまりいい話ではなかったようだ。


 「端的に言うと乗っ取りだね」

 「乗っ取り!?」


 思った以上に物騒な単語が出てきた。なんだか暴力的な印象のある表現だが、どういうことだろう。


 「まあ少し過激な表現ですが、間違いではないです。

 貴族向けにレストロを改装しようと思えば、それなりの金額はかかります。改装した後、貴族相手に商売を始めたとしてもそう簡単に返済が終わる額ではないでしょう。一等地ですし、まったくお客さんが来ない、ということも普通は考えづらいですけどね」

 「ところが、あの一帯の他の宿を抑えている商工会の手が入るとわからない。

 同じ貴族相手の商売に鞍替えするわけだから、融資をする商工会所属の宿と直接競争関係になる。

 そうなると、先に営業を始めている宿のほうで常連をつなぎとめる策を講じたり、お客さんの紹介で安くなる施策を打つだけで、ある程度貴族客を独占できてしまう。

 後から貴族向けに鞍替えしたレストロは相当不利になるね」


 確かにそういうことも可能かもしれない。とはいえそんなことをしてレストロの売上を削ったところでいいことはあるのだろうか。所属料収入が減るだけのように思える。


 「レストロの経営が悪化するのが狙いだよ。融資の返済が滞るのを待つんだ。

 頃合いを見て返済が不可能だと判断して、担保として土地の所有権を買い取る。

 そうなると一等地なのに所有者が商工会だから、手数料で儲けるんじゃなくて、貸付料がそのまま利益になる。

 当然手数料の収入よりずっと儲かることになるね」

 「先に先行投資として融資したとしても、その後の利益を考えれば少額だといえます。土地の査定を不当に低くして安く買い取り、返済額がまだ残っているとしてトレラさんから取り立てを続けることもできます」

 「店自体は融資によって改装済み。土地も手に入れて、後は価格を吊り上げて経済力のある商店に貸し付けるだけだ。改装したばかりの綺麗な物件が使えるとなれば、引く手数多だろうね」


 商工会も商売ではある。だから利益を求めるのは決して悪いこととは思わないが、商店を支援し儲ける側が商店を潰しにいくようでは本末転倒ではないだろうか。

 トレラさんの笑顔や、ニアの困り顔が頭をよぎりどうにも納得の行かない気持ちになり、ほとんど反射的に意見を述べてしまう。


 「ハンブル商工会から融資する…ってことはできないんですか?」

 「できればいいんだけど…簡単にできないからね、ニアくんもそこは分かってるとは思う」


 ファリエ会長は溜息混じりに続けた。


 「彼女はうちの従業員だからね。理由の弱い融資は利権の乱用として怒られてしまう。あまり公にはなってないけれどハンブル商工会は公国の機関としての側面を持っている。その力や金を知り合いだからっていう理由だけで動かすわけにはいかないよ。キュリオの時とは額もかなり違う、なかなか無理は効かない」

 「融資が少額で回収見込みがあり、利益の予測が立てば可能ですが…。

 件の商工会が掲示している融資額を鑑みた額を拠出しなければ、ハンブル商工会が何らかの力を使ったと疑惑の目を向けられますし、公国からの許可もおりないでしょう」

 「そんな…」


 常識はずれの商工会といえども…いやむしろ普段は常識を外れている商工会だからこそ、通さなければならない筋があるのが現実のようだ。

 俺には当然金はないし、レストロが乗っ取られてしまうのを見ているしかできないのだろうか。


 「公国側を納得させられる理由があれば、融資や支援、もしくは所属を勧めることができますが…」

 「現状では難しいね。キュリオの時はウーミィの開発費を拠出した時に、一定以上の成果がでたら所属を確約っていう形だったし、公国的には技術支援って受け取ってくれたからね」


 つまり今回はそういった策は現状取りにくい…ということだろう。相手は工房ではないのだ、技術支援という形では不自然である。


 「ニアちゃんは笑ってごまかしてますけど、亡くなったお父さんの経営方針だったそうです。遠方からいらっしゃる方に、比較的安くて、心が休まる場所を提供したいって。

 だからニアちゃん、家計のためにここで働いてるんです。宿屋のお手伝いよりお金になるからって、ほとんどお家に入れてるみたいですよ、お給料」

 「ああ見えてさ、孝行娘なんだよねニアくん。あんまりそういう所は見せないんだけど」

 「玉の輿を狙ってるのも無関係じゃないと思います…」


 意外だった。

 でも考えられないことではなかった。初めてレストロを俺に見せた時、彼女は珍しく控えめになったことを思い出した。きっと色々思う所があったのだ。

 どうにも考えがいたらなかった自分が恥ずかしい。

 その恥ずかしさを打ち消すようにややすがるように聞いてしまっていた。


 「どんな理由があれば、ハンブル商工会からの融資が可能なんですか?」


 ファリエ会長は腕組みをしながら答える。表情はあまり冴えてはいない。

 

 「何か売りがあればね。一等地の宿屋っていう強みを活かせて、融資額も膨大にならず、ハンブル商工会だからお金を出しそうなこと…だねえ…」

 「そんな上手い話あるといいんですけど…」


 確かにそんな上手い話があれば、この二人なら手を打っているだろう。

 

 「レストロの…売り…」


 深く考え込み始め、いつも通り周囲が見えなくなり始めた俺には。



 

 その時、兎と悪魔がしたり顔だったことに気づくことはできなかった。

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