第13話 子猫技師は隠さない
「レクスをグラスに加工するのは経験あるのか?」
キュリオさんは工房の机に座りつつ、俺に聞く。
「王都で学園生だった頃に少しだけやりました。その後しばらくやっていないのでほとんど素人ですね」
「リアンの国でも魔法道具技師はグラス技師とは別なのか。そっちではグラス技師は人気ないのか?」
「うーん…、魔法道具の工房が幅を効かせてるし確かに少数派かもしれません。専門の工房がいくつかあって独占してるって感じですかね」
なるほどなあ、とキュリオさんは感心しつつ、大きな木製の箱から白っぽいグラスを取り出した。大きさは彼の顔がちょうど隠れるくらいだろうか。
小さな小窓用か、もしくは実践用に確保してくれたものなのかも知れない。
「ここいらだと、トラジア島からレクスが採れるから俺以外にもグラス技師の知り合いはいる。だがこっちでも少数派だな。工房っていっても俺みたいに個人でやってるところしかない。
一応魔法技師になるための学校はあるが、どうやらグラス関係のことはやらんらしい。俺は親父もやってたからな、家業を継いだようなもんだ」
ノースモアでもレクスを加工しグラスを作る技師、いわゆるグラス技師と呼ばれる職人は少数派だ。学園で勉強することもできるが、グラス技師に憧れる人間は少ない。大きく名を上げた技師がおらず、目立っていないのが現状だ。
グラス、というのはレクスという鉱石を加工してできる、透明の板のことである。ノースモアでもサンライニ公国でも、窓をはじめ色々な用途で使われている。レクスはもともと半透明な鉱石であり、これを魔素抜きしていくことで透明にしていくのだ。この特性を見つけたのが「グラス」という技師だった。
ヴィクト王国で知られているだけではなく、サンライニ公国でも知られていたのは正直驚きだった。なんでも大陸続きになっている他の国から旅人が持ち込んだ際、その話がでたらしい。
エクセシオスやローエンより世界的な魔法技師と言っていいだろう。
グラス技師というのが存在することからもわかるように、グラスを作るには一般の魔法技師とはまた別の腕が要求される。
そんなグラス技師達に要求される技術は大きく2つに分類できる。
一つはレクス鉱石を溶かして合わせる技術だ。
アモーリテを溶かす炉と似たような、魔素を通すことで高温を発生させられる特殊な炉を用いてレクス鉱石を溶かし、一つの板にする必要があるのだ。
このとき炉の温度を維持する必要があり、この火加減というか魔素加減というのが簡単ではない。
板になった時点、炉を通した時点でグラスと呼ばれるようになる。
もう一つは透明度を高めるための魔素抜きの技術だ。
レクス鉱石を炉で溶かし、可能な限り均一な厚みのものを作っても、その時点では半透明である。これを透明にするには魔素抜きをしなくてはならない。
しかしながらこの魔素抜きにもコツがあり、均一に透明にしようと思うとかなり精密な魔素操作が必要になる。
簡単にいえば魔力を板の中央から外側に向けて流し、中にある魔素を追い出すような感覚だ。この追い出し方がなかなかに難しい。
学園生の素人なら、ほとんど半透明のままところどころ色が薄いかな…くらいに落ち着く。ノースモアに出回っているものでも大体はうっすら半透明なままだ。まだらに色が抜けていないだけでもまあ十分であろう。
まだらになっておらず、透明度も高くなれば裕福な家庭や貴族が買い付けるだろう。
そこへ来て意外であったのは、ハンブル商工会の本部、つまりサンライニ公国側の建物の窓グラスは非常に透明なものがいくつか据えられていた。その全てではなかったが、通りに面した窓は大抵そうだ。
これらが示すのは、優秀なグラス技師がそのいくつかを手掛けたということだ。
「よっし、それじゃあキュリオ工房流のグラス製作ってのを見せてやる!」
腕まくりをするような動きを見せるキュリオさん。しかしながら彼の作業着は半袖であった。
作業机の上に乗せられたまだまだ白いグラスに相対すると、驚いたことにその端に対してルーヴのようなもので彫り込みを始めた。
「えっ…ルーヴ使うんですか?」
「おうよ、これがなきゃ始まらんだろう?リアンの国だと使わないのか?」
少し驚いたような声をだすキュリオさん。彼は技師グラスを顔につけながら、ルーヴを使って作業を勧めている。
よく見るとそのルーヴはあまりみたことがない形をしている。ほたる石もついていないし、魔法技師向けに作られたものでないように思える。
「ほたる石がついてるとな、魔素が強く流れて邪魔なんだ。魔法技師みたいに回路を彫るわけでもないし、ちょいと傷をつけるくらいだしな」
俺もキュリオさんの近くで作業を観察させてもらう。
技師グラスをつけて覗き込んでみると断続的な直線を彫り込んでいるようだ。
あとで聞いた話だが、このルーヴはもともとほたる石がついていたが取っ払ってしまったものらしい。
なかなかに乱暴な話である。
「これがあると魔素が均一に抜けやすくなるのさ。ただ、彫りの深さに気をつけねえと逆効果だ。グラス自体の強度が落ちるし、最悪魔素があっという間に逆流して真っ白になっちまう。若い頃は客に渡したグラスが風も無い日に割れて、親父に叱られたもんだ」
「断面に細工をするなんて考えもしなかった…これ俺の国でやり始めたら一儲けできますよ」
「大量発注なんて勘弁してくれよ」
一旦ルーヴをグラスの板から離してキュリオさんはにゃははと笑う。彼はなかなかに自由な人らしい。
確かに一度貴族に評判になったら、毎日のように注文が押し寄せてしまうかもしれない。ノースモアなら貴族が多いし。
それからしばらく作業を続けると、終わりだ!とキュリオさんは顔を上げ嬉しそうに言った。
「実は他の部分は昨日までのうちにやっといたんだ、さすがに全部やってたら疲れちまうし見ていても退屈だろう?」
どうだ!と言わんばかりに胸を反らせる子猫族は、威厳よりも可愛らしさがどうしても優先してしまう。しかしながらその作業の正確さはまさに職人芸であった。下手な魔法技師よりもルーヴの扱いは上手いかもしれない。
「次は魔素抜きの工程だな。ここは多分リアンの国ともやり方はそんなに変わらんと思うが、一応やってみせるな」
キュリオさんはそう言うと、端に加工を終えたグラスの板に手を乗せ魔力を込めていく。
「おお…」
思わず声を出してしまう。
まるで手から波紋が広がるかのように、白色だったグラスがすーっと透明になっていく。その透明度はノースモアで貴族の屋敷に据えられていてもおかしくない品質だ。
この魔素抜きの技術は並ではない。
「ま、ひとまずこんなもんだ」
ふふん、と改めて魔素抜きしたグラスを見せつけるキュリオさん。確かに素晴らしい技術であった。あれだけ丁寧で緊密な魔素操作ができる技師はそうそういないだろう。
「ただな、俺の作り方にはどうしても弱点があるんだ」
そう言うと姿勢をもとに戻し彼は苦笑いを浮かべる。
見ると魔素抜きしたグラスが端から少しづつ白色に戻っていく。魔素抜きする前よりは透明度はあるが、全体的に白っぽいグラスとなってしまった。
「これって…魔素が戻ってるってことですか?」
「そうだ。端に切れ目を入れることで魔素を追い出しやすくはなるが、その分戻ってきやすくもなる。鉱石は魔素の戻りが少ない、って言われてるが俺のやり方だと見ての通りさ。仕方ねえから何日かに分けて、何度も魔素抜きをやってる」
「それで大量には作れない…?」
「そうだな、そもそもグラスに仕立てた後にしばらく放って魔素を落ち着かせる時間もあるし、これで量を作れって言われるとかなり忙しくなる。品質にもばらつきが出ちまうし、最近はできるだけ減らしてるな」
彼が手がける透明度の高いグラスはそういった事情があり数を作ることが難しいらしい。貴族の屋敷にはまとまった数が必要になるし、お断りすることも多くキュリオさん謹製のグラスが採用されることは少ないようだ。
「まあファリエの商工会の窓は対して多くなかったし、前々から頼まれてたしな。加工の実験も兼ねてたし、納品日を含めて好き勝手にやらせてもらってる。全部の窓がうちのになるにはまだ時間がかかるだろうな」
少し照れくさそうに顔をこすりながら話すグラス技師は今でも試行錯誤を続けているらしい。同じ技師として、とても尊敬できる姿勢であった。
「よし、どうだ?幾つか端材になってるグラスもあるし、リアンもやってみるか?」
「いいんですか!」
「ルーヴの扱いが面白いってファリエに聞いてるんだ。俺も手の内をみせたし、異国の技術ってのも見せてくれよ!」
うずうずといった様子でキュリオさんが近づいてくる。技術に対する好奇心も非常に強いようだ。
俺のルーヴの扱いが面白いと評されていたのは初耳だが、技術を惜しみなく見せてくれたのだ。拙くて申し訳ないが、胸を借りるつもりでやらせてもらおう。ここで遠慮しては失礼にあたる。
「それじゃあ、よろしくお願いします!」
「にゃむ!」
その後ノースモアのやり方は彼にとって珍しかったらしく、熱を増したキュリオさんに日が暮れるまで付き合うことになり、充実した一日を過ごすことができた。
「かんぱーい!」
「異国の技師に乾杯だ!」
その日の晩レストロでは、ニア家族と俺、そしていつの間にかやってきたキュリオさんも一緒になり夕食を共にしていた。
「にゃあ!」
キュリオさんはそこでレストロの果実酒に感動したらしく、用意されたご飯もそこそこにごくごくと飲み干していく。
「ご主人、こりゃ美味いな!今まで飲んだ果実酒の中でも一二を争う出来だ!」
相変わらず尻尾もフリフリと元気よく触れていて、その言葉に偽りがないことを示している。
ニアはそんな尻尾がお気に入りらしくちびちびと果実酒を飲みながらも、つんつんと尻尾を触っている。
果実酒を褒められたトレラさんは非常にご機嫌である。
「気に入ってもらえて嬉しいわ。子猫族の方はあんまりお宿に来てくれないから口に合わないかと思ってたの」
「まあ宿に来るのは外国からの旅行者がほとんどだもん。子猫族さん達が他の国から来るなんて聞いたことないし」
ニアの言うように、ヴィクト王国とは遠く離れているが、サンライニ公国にも隣国と呼べる国があるようだ。内陸部にある国から海を見に訪れる貴族が多いらしい。確かにこの国の海と景色は一見の価値があるといえるだろう。
「少し前は国内のお客さんも来てくれたんだけどねえ…」
「最近は貴族に憧れる人も増えたしさあ…お母さんの果実酒だけじゃキツイって…」
「そうよねえ…、綺麗な宿のほうが人気でるわよねえ…」
ニア家族がだんだん遠い目をし始め、世知辛い話題になってしまう。
一応部屋を借りている客である俺は気まずくなってしまい、キュリオさんに視線を移す。
「ミィミぃ~、帰っできでぐれえ~」
「えええええ!」
職人子猫族は号泣していた。しかも俺の服の袖に顔をこすり付けてくる。
おじさんの涙で服がびしょびしょになってしまう!
「ちょっとキュリオさん!それ俺の服だから!」
「ぐす…知ってる…」
「知ってるならなおさらやめて!」
「ぐす…」
「ちょっとゴシゴシしないで!」
キュリオさんは俺がとめても依然として人の服で涙を拭き続ける。おそらくあんまり話を聞いていないのであろう。完全に酔っ払いである。
「キュリオちゃん、どうしたの?」
レストロの常連候補にトレラさんは優しく声をかける。
「ミィミが帰ってこねえんだ…」
どうやらキュリオさんは仕事に精をだしすぎた結果、少し前にミィミさんという奥さんに愛想をつかされ別居状態らしい。なんでも子供と一緒に実家に帰ってしまったそうだ。
離婚はしていないのだが、奥さんがなかなか帰ってきてくれず寂しい思いをしているという。
「仕事ばっかりして、奥さんを放っておくなんてまったくキュリオちゃんはいけない旦那さんね!」
「いや、すまねえとは思ってるんだ…グラスの仕事も大分減らしたんだけどよお…」
いつの間にかトレラさんに叱られ始めるキュリオさん。
先程の話だとあまり仕事を沢山やる印象はなかったのだが、ミィミさんは寂しがりで仕事にかまけている旦那に怒ってしまったのだという。子猫族の女性はそういう方が多いそうだ。
「花の日に贈り物でもして、機嫌直してもらったらいいんじゃない?」
「やっぱりそうかあ…、でもなあ例年どおりのものじゃあなあ…」
「そうねえキュリオちゃん毎年ウーム作ってるんだし、見飽きてるかもしれないわねえ…」
酔っぱらいを中心に、ああでもない、こうでもないとニア家族は奥さんの機嫌を治す贈り物を考え始める。
女性はやはり他人の色恋沙汰が好きなようだ。職人の悩みとは裏腹な、楽しげな会話とともにレストロの夜は更けていった。
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